見て・聞いて
仏教は、さまざまな説き方があります。
南無阿弥陀仏の教えは、その中の一つです。
仏説無量寿経に説かれる阿弥陀如来の本願の
はたらきで、すぐれた功徳を、すべての衆生に
与え、「南無阿弥陀仏」一つで、救われることを、
教えてくださったのが親鸞聖人です。
親鸞聖人を、宗祖と仰ぐ、浄土真宗の本願寺派。
そこに所属する九州・佐賀の一寺院で
製作しているのがこのホームページです。
「南無阿弥陀仏」の味わいを、電話で
お話ししています。毎週木曜日に、
内容を変更しています。
法話原稿をこのページに掲載して
います。ここで、「見て、聞いて」 ください。
メールマガジン始めました 「こんな話を聞きました」。
(佐賀局 ニシ ホンガンと
記憶してください。)
24はニシ、西。 本願は、18願。
そこで、24-1800は、西本願
第1667回 これもご報謝
令和7年 1月9日~
年末から お正月の三が日 お寺の境内にあるお墓には
多くの方々がお参りに なりました。
お子さんを連れた方が 多かったのは 有り難いことですが、
本堂へ上がって、お参りの方は 少数で ちっと残念な風景でもありました。
中には お正月の晴れ着の方もあり、近くの神社へ
初詣の方もあったのかもしれません。
親戚でもない神様は 誰にでも一律でしょうが、身内のご先祖さまは
自分だけには 特別扱いで、わがままな願いを聞いてくれる
のではないか、かなえてくれるのではないかとの
ほのかの願いが、あっての墓参りかもしれません。
ところで、当妙念寺の電話サービス 初期のころのお話を、まとめて
印刷しようと準備していますが、その中で、こんな言葉がありました。
マザーテレサさんのお母さんは、常日頃、
「大切なのは 貴方がやりたいことを知ることではなく、
神様が望まれることを知ることです」と、言っておられたと。
私たちの場合は、自分のわがままな願いを聞いてもらうのではなく
阿弥陀さまの願いを 聞きとることが大事といえるのでしょう。
また、浄土真宗は、職業であるならば、猟漁をも商い奉公をもせよ、
出家しないで、家にいるままでよい、欲のあるままでよい、
そのまま必ず救うと。
そこで日常の生活は、すべて報謝であると心得えての
生活をするといい、農業の人は、鍬の一打ち 一打ち
大工さんお場合には 槌のひと打ち 一打ちが 皆ご報謝と
思って生活しようではないか。
お仏壇の前で お念仏するときだけが 報謝ではなく、
朝起きてから晩寝るまで、すべてがご報謝のしどおしと成るように
生活するのが 浄土真宗の報恩感謝であると
教えていただいてもいます。
そして、
幸せだから 感謝するのでない
感謝するから 幸せなのだ という言葉もありました。
第1666回 私の宝ものです。
令和7年 1月2日~
本堂正面に今年は、絹の紫色の幕を張っています。
いつもの木綿の幕に比べて 軽く色も鮮やかですが、残念ながら
たたみシワが はっきりと見える欠点があります。
木綿幕の時には、霧吹きをして、そのシワを
伸ばしていましたが、絹製でも同じようにしても良いのか、
ネットで調べてみましたが、絹は水が大好きですと書かれており、
お風呂掃除用洗剤のボトルをよく洗い、そこに
水を入れて シュシュと吹き付けて、たたみシワを立派に
伸ばすことが出来ました。
昭和48年 3月 川崎みやと、寄進者の名前と
「宗祖親鸞聖人、御生誕800年記念」とあり、今から50年前に
御寄進いただいたもの、シワが取れヒーンと伸びた下り藤の幕、
太陽があたると輝いて見え、うっとりと見とれています。
ところで、こんな話を聞きました。
一人住まいだった母親を亡くし、故郷に帰って
遺品を整理をしいたときのことです。
母のタンスの上に 一つの箱が置かれていました。
それを開くと、中学、高校の時 夢中だった
野球のユニホームが 綺麗に洗って 入っていました。
太ってしまい、もう着ることはできませんが、母親が
捨てずに大事に保存していたのが意外でした。
そして、ユニホームの下には、小学生、中学生、高校生の
通信簿が順番に全部 そろって入っていました。
自分の子どもや妻に、とても自慢出来るような内容ではなく、
そのまま捨ててしまおうと ゴミ袋に入れようとしましたが,
箱の一番下に、母親の字で 「マー君 よく頑張ったね
貴方は私の宝ものです」と書かれた紙が 張ってあり、
捨てるのを思いとどまりました。
お通夜 そして葬儀、初七日と ご住職の話で
南無阿弥陀仏のことを、
「任せない あなたを必ずそのまま救う 親だから」と
南無阿弥陀仏の意味を教えていただきましたが、
ただひたすらに、この私のことを見守り続けてくれた母
今まで気づかなかっただけ、
何の条件もなく、私の頑張り努力の結果ではなく、
そのままの私を 受け入れてくれていたことを知りました。
そして阿弥陀さまの国で 仏になった 今も 私を見守り続けているのだ、
だろうと気づきました。
もっと頑張りなさい、努力しなさいではなく、よく頑張ったねの
言葉に、安心しホットしました。
任せない あなたを必ずそのまま救う 親だからと
の言葉が 有り難く。
いま仏になった母親が、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と
呼びかけているのだろうと。
この故郷へは 帰るつもりはまったくなかったのが、今
定年後、帰って親たちが生きてきた世界を見直してみようと
思うようになってきました。 と
第1665回 浄土真宗は 有り難いですね
令和6年 12月26日~
こんな話を聞きました。
あるご住職が、普段着に着替えず、布袍を着たままで
銀行に行かれた時の話です。
ATM 現金自動預け払い機の前に行くと、長い行列が出来ていました。
カンターにある受付の方を見ると、そこには、お客さんの姿がありません。
申し込み用紙に、名前などを記入したり、ハンコを押すのが
面倒なので、みなさん機械の方に、並んでいるのでしょう。
このまま 立ってじっと待っているよりも、あっちの方が早いかもしれないと、
申し込み用紙に、必要事項を記入して、奥の窓口の方に向かいました。
受付の女性の方は、「いつも有り難うございます」と、挨拶した後、
「ご住職は 何宗ですか」と、尋ねられ、びっくりしました。
記入する欄に、宗派を書く必要があって それを忘れていたのかと
一瞬思いましたが、自分が僧侶の布袍の姿だったので、
尋ねられたのだろうと、気づき、「浄土真宗ですよ」と、答えたそうです。
すると、その女性は、「そうですか、浄土真宗は有り難いですね」と
にこやかに仰います。
突然の言葉に、驚きながら、見つめ返すと、その女性は
「大好きな 祖母を先日亡くしまして、悲しくて、辛くて 落ち込んでいましが
ご住職が、死んだら すべてが終わりではなく、
お浄土に生まれて 仏さまになられて 私たちに
はたらきかけてくださっているのですと、教えていただいて、
ほっとしました。
悲しさが少し消えて 嬉しくなりました。死んでしまったのではなく
おばあちゃんは 生まれたんだと聞いて、浄土真宗は 有り難いですね」
と、手続きをしながら、仰いました。
いつもお会いするご門徒ではなく、まったく関係のない銀行の窓口の
人に、浄土真宗は有り難いですねと、言われて、気づきました。
子供のころから、お浄土がある、仏様になると、繰り返し聞いて
いましたので、当たり前になっていました。
そして、誰もがみんな そのことが分かっている、知っているものと、
思い込んでいました。
しかし、多くの人が そうではなく、亡くなった人はどうなるのか
自分が死んだらどうなるのか、心配しながら生活しておられるのだと、
改めて気づかせていただきました。
近頃 お仏壇の無い家で 子供たちは育っています。
きっと多くの若者が、お浄土があることも、仏さまになった方が
はたらきかけていただいていることも、まったく知らずにいるの
だろうと、思います。
大切な方を亡くした人に、「浄土真宗は 有り難いですね」と言われ、
この言葉が、新鮮に聞こえ、とても嬉しく、有り難く味わわせていただきました。
私たちは、もっともっと 素直に お浄土があることを、
喜んでいいのだと思います。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
第1664回 良いことをするときには
令和6年 12月19日~
令和6年の正月は、早々に 大きな地震が発生、そこに
救援物資を、繰り返し運んでいた海上保安庁の飛行機が、羽田空港の
滑走路で事故に遭遇し、大変悲しい辛い年明けとなりました。
その事故原因調査が進められていますが、飛行機に設置されていた
ボイスレコーダの解析などから、残念ながら指示を間違って受け取り、
滑走路手前で待つべきところを、滑走路の中に入ってしまい、それが、
事故の原因だったようです。
普通は、機長、副機長が管制官からのことばを、再確認するものの
ようですが、被災地へ何度も救援物資を運んでいるこの飛行機を
最優先に、出発できるよう、周りが誰もが配慮してくれているとの、
誤解が、思い込みがあったようです。
人は 自分の為、自分の利益のために努力しているときなど、
どこか後ろめたさがあるためか、充分に配慮して行動しますが、
良いこと、人に為になることに邁進しているときには、どうしても
注意が散漫になることがあるようです。
周りのみんなが、自分と同じように考えて、心配りをしているのだろう
誰もが自分たちと同じ気持ちでいると思い、感じて、突き進んで
しまうことがあるようです。
良いことをするときには、ついつい間違いを起こしてしまうものです。
悲しいことですが、辛いことですが、人間はそのように出来ているようです。
そして、僧侶である自分もまた、仏さまの教え、仏法を多くの人に
知ってもらおうと、良いことをしていると思い、注意を怠り
周りの人や 相手の気持ちに無頓着になって、突き進んでいるのだろうと、
このニュースを聞きながら感じています。
良くないこと、自分にとって有利なこと、少し後ろめたいこと、
恥ずかしいことを 実行するときのように、良いこと、人の為になることを
するときには、油断せずに充分に配慮しないと、折角の努力も
かえってマイナスになってしまうこともあるのだろうと、
心にかみしめています。
何がご縁になるか分かりませんが、力まずに 淡々と お念仏の
味わいを 表現することで、後は 仏さまのはたらきに お任せ
することだと、意気込まないことが大切だろうと思います。
日頃、車で走るときも、横断歩道でないところを、歩行者が横切ろうとして
いるときなど、安慰に道を譲るのではなく、周りをよく注意をして
行動しないと、親切にしたことが、かえって悲しい結果を
もたらす事があるものと思います。
自分が、良いことをしていると思ったときには、慢心にならずに
充分に気をつけて、周りをよく見ながら、誰もが自分と同じ考えではないと
意識しながら、行動することが大事であると 改めて感じています。
第1663回 絵本の読み聞かせ
令和6年 12月12日~
大阪に行信教校という 浄土真宗の専門学校があります。
そこの校長先生だった方が、こんな話をされたことがあると
いいます。
子どもが夜寝る前に 親が絵本を読み聞かせて
寝かしつけることがあります。
その絵本の内容を 子どもに伝えようということよりも、
子どもに添い寝して一緒にいるから安心しなさい、
ちゃんと母さんは 父さんはここに居るよと
寄り添うことで、子どもは安心して眠りにつけるのです。
浄土真宗のお説教は この読み聞かせと同じようなもの、
辛いこと悲しいこと悩み苦しんでいるこの私に、心配しなくていい
いつも一緒にいるから大丈夫 大丈夫 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏と 阿弥陀さまが呼びかけていただいていることを、
繰り返し繰り返し 聞かせていただくのだと、
教えていただいたと言います。
先日亡くなった 詩人の谷川俊太郎さんが、若いお母さんの質問に
こんな答えをしたと聞きました。
私は、夜になると、一日が終わることと、いつか死ぬことが怖くて
怖くて泣いていた子どもでしたが、娘も同じように「死ぬのが怖い」と
夜な夜な泣く子です。母親として、どんな言葉をかけてやったら
いいのでしょうか、という質問です。
これに対して谷川さんの答えは「抱きしめて、母さんも死ぬのが
怖いと一緒に泣けばよい」。
「大丈夫 大丈夫ではなく、母さんも怖いよと伝えること。
人は誰でも死ぬ。みんな怖いのです。
抱きしめてそのことを、子どもに伝えてあげたほうが良い」と。
詩人の谷川さんは、そんなときには言葉ではなく
しっかりと抱きしめて 一緒に泣いてあげることですよと。
言葉を大事にしている方が、言葉ではなく、寄り添い
抱きしめてあげることですとの意外な回答だったと言います。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏も 阿弥陀さまがいつも一緒だよ
何があろうと、どんなことがあろうと、私が一緒だよと
呼びかけ、私を抱きしめてくださっている、そう味わうことで
どんなことが起こっても、何があっても、この人生は 安心です。
それには、繰り返しお聴聞することが大事なことです。
そして、阿弥陀さまと一緒になって、今は亡き、父も母も
祖父母も私の大切な人が、みんな揃って、私を見守り 抱きしめ
支え続けてくださっていることを、自分でお念仏し、耳で
南無阿弥陀仏の声を聞かせていただくことで、怖さも吹き飛んで
安心して生きていけるのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は、その呼びかけの声です。
第1662回 ハッピーバースデーだね
令和6年12月5日~
こんな話を聞きました。
とても熱心で、厳しく、しかし誰にでもやさしかった門徒総代さんの
お葬式の時のことです。
開式のアナウンスがあり、全員で合掌礼拝をして、キンを
打とうとした時のことです。
「ハッピーバースデーだね」と 幼いお嬢さんの元気な声が
会場に響きました。
葬儀のお勤めを始めましたが 子どもさんの言葉が、気になります。
確かに お葬式は、お浄土へ生まれた お祝いの会なんだと味わえます。
亡くなった総代さんは、自分が死んで居なっても
お浄土へ生まれて 仏さまになるのだよと、可愛いひ孫さんに
言い聞かせていたのだろうなあと、総代さんの写真を見ながら、
その思いに 気づき だんだんと有り難くなってきました。
お勤めが終わり、喪主の方が控え室へ挨拶にこられて
「先ほどは大変失礼しました。」と謝られます。
「何でしょう」と聞くと 「孫が 大きな声で
あんなことをいってしまって 大変申し訳ありません」と
恐縮しておられます。
「いやいや、きっとおじいちゃんが ひい孫さんへ お話をされて
いたんでしょうね。とても有り難い事ではないですか」と言うと、
「実は つい先日 あの子の2歳の誕生パーティーを
開いたばかりで、そのときにローソクを付けてお祝いしましたので、
今日 またローソクを見て 誕生会のことを 思い出し、
場所もわきまえず 大変申し訳なく思っています」と仰います。
お孫さんは そうだったのかもしれませんが、あれほど熱心に聴聞された
有り難い総代さんのことですから、死んだんじゃないよ、お浄土へ生まれて
仏さまといっしょに、お前達のことを 応援しているぞと、
お孫さんの口を通して 教えて頂いたんじゃあないでしょうか。
本当に有り難いことですねと。お話ししました。
お通夜は 娑婆のお別れの会 人間の卒業式とおしゃる方があります。
そして、お葬式は、お浄土の入学式 仏さまの就任式であると、
ですから、確かにお浄土へお生まれになって 仏さまになられたということは
喜びのお祝い ハッピーバースデー に違いありません。
仏さまは いろいろの人を通して そのはたらきを教えてくださっています。
ところが、それに、ほとんど気づかないでいるのが私たちです。
南無阿弥陀仏の声は そうした仏さまになられた方々の はたらきかけ
呼びかけの言葉なのでしょう。
耳を澄ませて 先輩方の呼びかけを 願いを、しっかりと聞かせていただき
生きがいある喜び多い毎日を 南無阿弥陀仏とともに過ごさせて
いただきたいものです。
第1661回 周りに迷惑をかけて
令和6年 11月28日~
仏教では「多くのお陰によって生かされている」と教えてくれています。
植物や動物の生命を奪うことでしか、人は生きることができません。
そのことへの「痛み」があってこそ「人間」であり、痛みを失ってしまえば
人間とはいえません。
(「無慚愧は名づけて人とせず」・慚愧は罪に対して痛みを感じ、
罪をおかしたことを羞恥する心。慚愧がなければ、人と呼ぶことは
できないという意味。涅槃経の言葉を 教行信証に引用)
慚愧がないことは、畜生という主体性を失った生き方(飼い主に
生殺与奪の権利を握られ)、欲に振り回されている存在(餓鬼)に
なってしまうと教えています。
それでは長生きをしても喜べず、むなしく過ぎる人生を送ることに
なるというのです。
私たちはすでに人間として生まれていると思っていますが、
仏教では、多くの「お陰さま」を、感じることができて初めて
人間と言えるというのです。
外見は人間でも、中身が餓鬼畜生のような在り方なら、間柄を
受け取れる智慧の目がないと、人は傲慢なる危険性があり、
相手に迷惑をかけ、苦しめる三悪道(地獄・餓鬼・畜生)の
世界を生きることになるのです。
「人間」、それは、間柄を生き、あらゆるものと関係をもって
存在しています。
単独の存在を主張する人は、あたかも真空パックの中に
いるようなものです。三分間も経てば酸欠で必ず死を迎えます。
人間のありさまの過去・現在を、あるがままに見ると、
父母をはじめ、あらゆる存在の犠牲の上に今、現に存在して
いるのです。
いくら「誰にも迷惑をかけてない」と、うそぶいてみても、
人は周りに迷惑をかけずには生きていけません。
私たちの分別は、科学的思考を信条としていますが、
戦後の貧しさを克服して、物質的に豊かな国になった成功体験から、
仏教などなくても生きていけると、傲慢になっているのでは
ないでしょうか。
いくら科学・医学が進歩しても、人間は「老病死」を免れる
ことは出来ません。
迷いの人生の苦しみを超える仏教の教え、私たちの分別の
次元を超えた(異質な)仏の世界に触れることによって、
私のあるがままの姿に気づき、目覚めさせられるのです。
仏の心に触れるとき、「人間として生まれてよかった。生きて
きてよかった」という人生を生きることに導かれるのです。
田畑正久著 「生きることを教える仏教」本願寺出版社
第1660回 親の足を洗う
令和6年11月21日~
こんな話を聞きました。
ある会社では、入社試験に毎年、「これから三日の間に、
お母さんの足を洗って、その感想文を提出してください」という
問題を出すそうです。
学生達は、簡単な問題でほっとして、会社を後にしますが、
なかなか母親に言い出すことが、できない人が多いようです。
ある学生は、二日間、言い出せず、やっと三日目、ようやく
母親を縁側に連れて行き、その足を洗おうとしましたが、
その足の裏が、あまりにも荒れ放題で、ひび割れているのを
掌で感じて、絶句してしまったといいます。
「
この荒れた足は、自分達のために働き続けてくれた足だ」と、
胸が一杯になり「ありがとう」と、つぶやくと
それまで、ひやかしていた母親は、声を詰まらせ「ありがとう」と
言ったまま黙り込んでしまいました。
「私はこんなに素晴らしい経験をしたのは初めてでしたと・・・・」
今まで 自分の頑張り、努力したことばかりを意識していましたが、
自分のために、はたらいてくれた親の苦労に はじめて気づきましたと。
親鸞聖人が 29歳のとき、比叡山を降りて法然聖人のもとを
訪ねられたときも それまで、自分の力で修行をすることばかりを
考えていたのに、自分の努力以上の、仏さまの大きなはたらきかけに、
気づかれたのでしょう。
自力から他力への転換です。
お釈迦さまの時代、仏足頂礼 仏前にひざまずき、
仏足を自分の頂にあてて礼拝することを最高の敬意を表すことと
されていたようですが、これも、ことによると、教えを説き、各地へ
休むことなく厳しい旅を続けられて 痛んだその足を拝むことで、
そのご苦労を改めて気づき、味わい、感謝することを意図したのかも
しれません。
私たちは、自分の行いや努力、自分のことしか気づきませんが、
お念仏にあうことで、南無阿弥陀仏を聞くことで、私のために、
いかに多くのはたらきかけが、ご苦労があるかに気づかされ、
感謝する力が育てられていくのです。
感じる力が育ってくると、なんとありがたい人生であったかと
味わうことが出来るのです。
気づくことができないと、自分ひとり苦労して、何もいいことは無かったと
辛い苦しい人生だったとしか、味わえないで一生を終わるのです。
気づくか 気づかないか、感じるか感じないか、それで、まるで
違った人生となってしまうのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏を聞く度に だまって私のために
はたらきかけてくださる 多くの有り難いはたらきかけが 力があることに
改めてはっきりと、気づかせていただきたいものです。
第1659回 願いを知る
令和6年 11月14日~
月忌参りをはじめ、本堂での法座では、いつも「正信偈」を
お勤めしています。
お仏事ですから、阿弥陀経などお経をお勤めするのが普通でしょうが、
親鸞聖人のまとめていただいた「正信偈」を、いつも拝読しているのには
大きな理由があります。
お釈迦様の教えは 八万四千の法門といわれるように数多くあると
言われます。
しかし、その多くは 出家して、厳しい修行をし、さとりを
開こうとする、お弟子さん達のために説かれたものと言われます。
ところが、私たちは 出家していません、修行をするような
気持ちもありませんし、また、その能力もありません。
そうした私たちをも、何としてでも救いたいと、阿弥陀さまは、
はたらき続けておられると、お釈迦さまは、教えていただいているのです。
わがままで、自分が生きるためと、生き物のいのちを奪い、
罪の意識もなく平然と生きています。
しかし、その報いで、私は必ず地獄にいく生き方をしているのです。
それなのに、阿弥陀さまは自分の国、お浄土へ生まれさせて、
救いたい、何としても仏にしたいと、南無阿弥陀仏のお念仏となって
はたらき続けておられるというのです。
親鸞聖人自身は 出家して修行をして さとりを得ようと
努力された方でした。
しかし、すでに末法の世、自分で努力しても、人間の力では
決してさとりを得ることの出来ない時代であることを知り、
お念仏の教えでしか、救われないことを、法然聖人に
出会うことで、はっきりと理解されたのです。
これはインド、中国、日本の優れた先輩たちが
自分自身で味わい喜び、伝え残していただいた、有り難い教えであると、
教行信証にまとめていただいてるのです。
ですから、正信偈のおつとめをするのは、数多くの教えがあるものの
今の時代、この私が救われる教えは、このお念仏の教えしか無い。
他の教えでは、助かることは出来ないと教えていただいているのです。
そして、ご和讚で詠んでいただいたように
安楽浄土にいたるひと 五濁悪世にかえりては
釈迦牟尼仏のごとくにて 利益衆生はきわもなし
お浄土へ生まれて仏と成って、はたらいておられる
両親や 祖父母・多くの先輩の方々は、お釈迦様のように
私のために この教えでしか救わる道はないと勧めて
いただいているのです。
いつも正信偈を拝読しているのは 先だった両親の
遺言を読み直すようなもの、親の願いを聞くことなのです。
なかなか親の願いに気づくことができませんが、
その思いに、願いに出会うことが出来ているのです。
遺言書を 読むように、親の願いを味わわせていただき、
お勧めいただいているとおり、お念仏して、同じお浄土へ
生まれるものとしての生き方をさせていただきたいものです。
第1658回 私は 私でよかった
令和6年 11月7日~
こんな話を読みました。お医者さんでお念仏の人、
田畑正久先生の本で「生きる ことを 教える仏教」
その中の「私は 私でよかった」という内容です。
日常生活で、われわれは 事に当たって 何か判断する時、
私にとって 善か 悪か、損か 得か、勝ちか 負けかを 考えます。
われわれが善いもの、得になるもの、勝ちになるものを
集めようとするのは、そうすることで 自分の人生を
充実したものにしたい
という心が 働いている
からだと思われます。
世間的には 自分を 充実させるもの として、良好な人間関係、
経済的安定、社会的評価や 健康等を 考えます。
しかし、それらは 相対的なものですから、どこまで
手にすれば 満足することに なるか わかりません。
人間を 一番 困らせるのが「 死 」です。
哲学者のフィヒテは「 死というものは、どこかに
ある
のではなくて、真に 生きることの できない人に
対して のみある 」と言われています。
フィヒテの言う「 真に 生きる 」とは、「 足るを知って 生きる 」
「 私は 私で よかった 」「 完全燃焼 できた 」
「
生きてきて よかった 」と いうような 生き方だと 思われます。
江戸時代の思想家で、医師でもあった 三浦梅園の書に、
「 人生 恨むなかれ 人知るなきを 幽谷深山 華 自ずから 紅なり 」
( 他人が 自分のことを 評価してくれなくても 嘆くことはない。
深山幽谷に咲く花は、誰かに 見られなくても 精一杯
見事な花を 咲かせている )
最後の「 華 自ずから 紅なり 」は、私は 私でよかったという
「 真に 生きる 」ことを 表現した言葉と
思われます。
「
真に 生きる 」ことのできない状態を、仏教では 餓鬼、
畜生と
表現することがあります。
餓鬼とは、いつも
何かを 取り込まないと 満足できず、
常に 取り込もう、取り込もう としている 状態を 示します。
畜生は 家で飼っている ペットのようなもので、
飼い主の顔色を うかがいながら 生きて、主体性が 無い状態です。
自らに 由ってない、自由でない 生き方です。
「
真に 生きる 」とは 足を 知って、主体的に 自由自在に
生きることを示しています。
自分に 与えられた 場を、「 これが 私の現実 」と
受け取れる人は、その場で
精いっぱい 生き切ることが
出来るでしょう。
あとは 安心して「 仏へ お任せ 」になるのです。
田畑正久著 「
生きる ことを 教える仏教 」本願寺出版社刊
第1657回 私が 仏になる
令和6年10月31日~
やがて、「仏に成る」ことが、なかなか理解出来
ないという方があります。
阿弥陀如来という仏さまは 一人も漏らさず必ず仏にしたいと、
宇宙的長い間自分で修行をし、南無阿弥陀仏を口にするものを、
お浄土へ必ず生まれさせ、仏にし 続けておられると、
お釈迦さまは説かれています。
それで、親鸞聖人は 念仏をしようと思うこころがおこった時
摂取不捨の利益、間違いなく仏の仲間であると、言われた
と歎異抄にあります。
仏教は 因果の道理 自業自得が説かれており、
自分でつくった原因は 必ず自分に帰ってくると。
そこで、生き物を殺さないこと、(不殺生)、盗みをしない(不偸盗)、
よこしまな姓の交わりをしない(不邪淫)うそをいわない(不妄語)、
酒を飲まない(不飲酒)など、慎むべきことが説かれています。
生き物を殺すと、その報いを受けることになると。
しかし、皆やっていることで、生きていくためには必要なことだと
何の心配もしていませんが、その報いを受けることは間違ないのです。
そこで、地獄にしかいけない自分であると、気づき、
仏さまの助けが必要であり、 阿弥陀さまは この私のために
お念仏を与えていただいたと、理解し、味わえるように
なったものを、真実に気づいた人、目覚めた人を、本当の人間、人間になったと
いうのでしょう。
私たちは人間に生まれ、すでに完全な人間になっていると
思っていますが、実は、そうではなく、いつも満足出来ずに、
欲望を追い求めて飢餓の状態、餓鬼の毎日であり、
動物のように養われ、本能のままに生きている畜生の生活、そして
絶えず対立し闘争する 修羅の人生、まさしく六道の餓鬼、
畜生、修羅、地獄のような苦しみの生活をおくっているようです。
自分の行いの報いで、自分の行き先は 間違いなく地獄であると
理解できたとき、阿弥陀如来のはたらきでしか、救われることは
ないのだと味わえて、南無阿弥陀仏と、お念仏を口にしようとするとき、
はじめて人間になったということなのでしょう。
親鸞聖人は、「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は
一定すみかぞかし。」とおしゃっていたと。
この私は、地獄にしか行くところがない 南無阿弥陀仏の
はたらきでしか、救われることはないのです。
本当の人間になり、お念仏を口にすることができれば、やがて間違いなく
お浄土へ生まれることが出来る、お念仏の人は もう仏の仲間であると。
私たちは、私、私と 自己主張をしていますが、
私の字から 人を引くと 仏になると 漢字ではみえます。
のぎへんから -(マイナス) 人 は、にんべんとなります。
私は 仏になれるのです。
本当の人間に成り、やがてお浄土で仏になる、それは
私の力ではなく、仏さま 阿弥陀さまのはたらきのお陰なのです。
そして今、感謝報恩のお念仏が出来る 仏の仲間の生活を
送っているのです。
今の状態から、もっとよくなる浄土へ生まれるのではなく、
地獄へ行くべき所を 救われてお浄土へ生まれ仏になれるのです。
第1656回 救われる私
令和6年10月24日~
こんな話を聞きました。
祖父の33回忌法要のために、四国に帰り、祖父が
長年書き綴ったものを、見るご縁がありました。
戦前のこと、成績が良かった長男に期待して 地元の学校ではなく、
海を渡った広島の学校に入学させ、その成長を楽しみにしていました。
ところが、昭和20年、原爆が投下され、広島の親戚が、探し回り
被爆して横たわっている長男を発見し、連れ帰ってくれましたが、
30分もしないうちに「おやすみ」と、一言残して息絶えてしまった
ということです。
電話も手紙も通じず、やっと、6日の後、遺骨になった我が子と
対面することになりました。
見取ってくれた親戚に、自分たち父や母のことを、何か口にしなかったかと、
何度も確かめましたが、「おやすみ」の言葉だけで、他には何も
言わなかったと聞かされ、子どものためと思って、遠い広島の学校に
一人で出してしまって淋しかったのではないか、恨んでいたのではないかと、
悔やまれ、それからは悲しく苦しい毎日だったとあります。
この子がどんなところにいようとも、なんとしても
助けなければいけない、救ってやらねばならないと、それからは
お聴聞を繰り返す生活をしていましたが、あるとき、ふと気づかせて
いただいたと。
自分が救おう、自分が仏となって救おう、救ってやろうと思っていたが、
あの子のご縁で、こうしてお聴聞させていただいているのである、
救われなければならないのは、若くして亡くなった子どもではなく、
この子をご縁として、私こそが救われているのではなか。
救う側ではなく、自分は救われる側であったと、
味わえるようになったと書かれていました。
本願寺第十四代ご門主 寂如上人は
引く足も 称える口も 拝む手も
弥陀願力の 不思議なりけり
こうして、お仏壇の前に座り、本堂にお参りし、おつとめをして
お聴聞し、お念仏を口にし、手をあわすという尊いご縁は、
私の力ではなかった、阿弥陀さまのはたらきのお陰であったと。
そして、そのご縁を結んでいただいたのが、若くして亡くなった
あの子であったと味わえるようになったと。
第1655回 後になって 気づく
令和6年10月17日~
あるお寺の掲示板に 「後になって気づく ことばかり」と
ありました。
あの時、ああすれば良かった、こうすればよかったと、後になって
悔やむことがあります。
歳を重ねてくると、若いころ気づかなかったことに、あれは
ああ、そうゆうことだったのかと、有り難く感ずることも
多くなるものです。
前もって 気づくことが出来ればいいのですが、後になって、
反省したり、悔やんだり、感激したりしています。
ネットに 前もって気づくには、どのようにすればいいですかと、
尋ねると、「経験者や先輩に聞くこと」との返事が返ってきました。
そういえば、親鸞聖人は 教行信証の最後に中国の道綽禅師の
『安楽集』の言葉「前に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は前を訪え。」
と書かれています。
「前に生まれた者は後に生きる人を導き、後の世に生きる人は
先人の生きた道を問いたずねよ」という呼びかけです。
訪え、尋ねることを、とぶらえ(訪え) 訪問する家庭訪問の訪の字が
使われています。
訪ねていって聞くということでしょう。
仏教は、お釈迦さまが説かれた教え、人生を深く見つめて悟られた内容を
多種多様に説いていただいています。
その神髄を、800年前の親鸞聖人は インド中国そして日本の優れた
先輩が理解し味わわれ、解釈していただいた内容を、教行信証に
まとめて表し、私たちに残していただきました。
そこで、仏法を聞く、お聴聞するということは、訪ねて
先人に、経験者に訪ね、聞くことなのです。
このお念仏の教えに遇うことが出来れば、後になって気づく
のではなく、今、前もって気づかせていただくことが出来るのです。
失敗し後悔するのではなく、気づいていなかった親切や思いやり、
温かい はたらきかけにも 気づかせていただくのです。
良いことも悪いことも、後で気づくのではなく、今 前もって
気づかせていただける、それが、お念仏に生きる人の特徴だと
いえましょう。
そして訪ねれば、訪ねるほど、有り難くなり、喜びがましてくるのです。
後悔や 反省することよりも、感謝の思いが深く味わえてくるのです。
何事も当たり前になって、気づいていなかった
仏さまのはたらきを、はっきりと感じ、味わえ、喜ばせて
いただけるのです。
それが、お念仏の生活、南無阿弥陀仏に遇えた人生です。
第1654回 ハチドリのひとしずく
令和6年 10月10日~
こんな話を聞きました。
「ハチドリのひとしずく」という 物語です。
森が燃えていました
森の生き物たちは、われ先にと逃げていきました
でもクリキンディという名のハチドリだけは
行ったり来たり
くちばしで水のしずくを一滴ずつ運んでは
火の上に落としていきます
動物たちがそれを見て
「そんなことをして いったい何になるんだ」
と言って笑います
クリキンディは、こう答えました
「私は、私にできることをしているだけ」
南米のアンデス地方に伝わるお話だといいますが、
この物語を翻訳し出版されると、大きな反響があるようです。
多くの小学校では、この森の火事はこの後、どうなったのでしょうかと
子どもたちに問いかけると ほとんどの学校では
「ハチドリの姿を見て、森の動物たちも、火を消すことをはじめ、
森の火は、やがて消えました。」との回答がほとんどだといいます。
純粋な子どもたちは、先生の問いかけに、授業の時間ですから、
正しい答えは何かと考えて、そのように回答するようですが、
世間の現実を知っている、大人の世界では、はたしてどうゆう
答えが返ってくるのでしょうか。
大きな出来事だけではなく、身近な問題、小さな出来事でも
自分の出来ることを、無理だと思っても、無駄だと思えても
ほんの小さなことでも行動し、活動し続けていきたいものです。
そして、浄土真宗の門徒の私たちは、まず出来ることは、何か、
それは、声にだして、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と口にする
ことなのかもしれません。
その声が、少しでも聞こえてくると、やがて、仏さまの仲間が
増えていき、仏さまの願いが、はたらきが味わえる人の輪が、広がって
世界は少しづつ、変わっていくのだろうと味わいます。
ほんの小さな声の南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏でも、
仏さまのはたらきかけ、やがては、大きな変化が起こって
くることでしょう。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
第1653回 墓 友 ~この世からの仲間~
令和6年 10月3日~
お墓を維持していくことが出来なくなったと、墓所を
整理する人が増えています。
少子化で、後を見る人がいなくなったとか、地方の
出身者が都会へ出て、もう故郷には帰って来ないなど、お墓が
あることが負担となっている人が増えてきたようです。
先祖から受け継いできたもの、粗末には出来ないものの、
なかなかうまく維持できず、どうすればよいのか、関係者に
とっては、お墓の存在は 切実な問題のようです。
また、お墓を持たない人は、お骨を海にまく散骨や、
樹木の元に納める樹木葬などが注目されてはいますが、
なかなか、そこまでは踏み切れず、それといって、新しく墓を
ひとりで建てるのは無理だと、仲間でお墓を建てようという墓友、
お墓に一緒に入る仲間を募って、お墓を建てようという動きが
あるようです。
死んでからだけではなく、同じことなら、生きている間に
親しい仲間になろうではないかという、墓友の会というのがあると
テレビで放送していました。
親子や兄弟などの血縁関係ではなく、友達で一つの墓を建てようと
いうお墓の友だち、お墓の仲間・グループです。
お稽古事や、趣味の仲間、友だちは、元気で、生きている間だけのこと、
墓友は、生きている間だけではなく、いのち終わっても
ずっと一緒の仲間であると、まったくの赤の他人が、あの世までも
一緒しようという話です。
このテレビの内容を聞きながら、浄土真宗のご門徒は、みんな
墓友ではないかと思えてきました。
同じお墓ではないものの、同じお寺の境内の墓地に入り
そこに留まるのではなく、みんなお浄土で仏さまになる。
そして、仏さまとして、人々を救うはたらきをするのです。
テレビでは、墓友という新しい仲間づくりをする、斬新な発想と、
紹介していましたが、もう、数百年も前から、真宗門徒は
存在していました。
この世だけではなく、お浄土でも共にはたらく仲間、それが、
浄土真宗の門徒ではなかったかと、味わっています。
そして、浄土真宗の仲間は、いのち終わっても
一緒に、よろこびをもって はたらく仲間です。
しかも、時代を超えて 両親や祖父も、ずっと前の多くの祖先とも
再開し、共に同じ 喜びと生きがいをもって、活躍できるのです。
そして今、やがて仏となる仲間と一緒に、生きているのです。
みんな一緒にお聴聞をし、御斎を共にし、共におつとめをし、
共に歌い、共に笑って、共に泣き生きているのです。
限られたこの世の短い間だけではなく、末通って、共に生きる仲間、
それが浄土真宗の門徒なのです。
第1652回 法座 & フォークソング
令和6年 9月26日~
ご法座の多くは 午後の1時半から始めていますが、
お彼岸法要と門信徒総会・降誕会の時だけは
午前中にスタートしています。
親鸞聖人の降誕会では 斎のあと それぞれが日頃鍛錬した
かくし芸や、カラオケを披露しあって楽しんでいますが、
彼岸会ではここ数回、福岡県甘木市から 石井太郎さんの
ギターとボーカル、
三原奈津子さんのピアノの、お二人を招いて
昭和時代の懐かしいフォークソングを聞かせていただいています。
午前中の法座だけで帰られた方もありましたが、お弁当の後、
40人ほどの方が残っていただき 、
希望に燃えた青春時代の思い出に
ドップリとしたっていただきました。
その歌詞の多くは、周りの親切や思いやり、純粋な愛に
気づかずに、悩んでいた青春時代、歳を重ねて、少しずつ気づかせて
いただけるようになると、みなさんに支えられた有り難い時代を
生きてきたことを感じとれる感動的な曲ばかりでした。
本堂の椅子に、体を揺らすこともなく座って、静かに聞く姿を
見ていましたが、中には、眼を閉じて、歌詞に合わせて、
唇を動かす方があることに気づきました。
なつかしい、なじみの曲を、一緒に口ずさんでおられるようです。
その姿を、じっと見つめながら、お念仏を喜ばれた有り難い
先輩の方々を思い出しました。
ご法話を聞きながら、いつもお念仏を口にされたいた懐かしい方々です。
未来への不安や思い通りにならない悲しく苦しかったのが青春時代、
それに対して、お念仏の人は 明るい未来と安心を
お念仏を口にしながら確認し味わっておられたことでしょう。
あるご婦人が、こころが洗われるような、心地よさを味わわせて
いただきましたと、お礼を言っておられましたが、
南無阿弥陀仏のお念仏もまた、心からの安心と喜びを味あわさせて
いただくものだと感じています。
こころにしみる音楽と、こころに新たな喜びを与えてくれる
ご法話、南無阿弥陀仏のお念仏、私に元気を与え、生きていく力を
与えてくれるところに、共通点があるように感じています。
第1651回 はじめての道 はじめての人生
令和6年9月19日~
山登りが大好きなご住職に、こんな話を聞きました。
学生時代は 高い山に登っていましたが、近頃は、そうもいかず
時間をつくっては、近くの山によく登っているとのことです。
慣れ親しんだ山であっても、別れ道では、右だったか、左だったか、
よく悩むものだそうです。
でも、そんなところには、テープでの目印や、岩にペンキで矢印が
書かれてあったり、迷うことがないようにと山の仲間が、ちゃんと
心配りをしてくれているのだそうです。
一歩一歩、登っていくのは大変ですが、新鮮な空気、眼に鮮やかな
赤や、緑、眼下に広がる豊かな自然に、なんとも言えない喜びがわいてきて、
どうしても、登山はやめられないものだそうです。
そして、山登りは 人生と同じように、荷物が軽いと軽快ですが、
どうしても捨てきらず、ついつい沢山の荷物をしょいこんでしまうと、
その道のりは、とてもきつく苦しいものになるといいます。
登頂まで何日もかかる高い山ですと、専門の案内人を付けないと
とても無理ですが、日帰りできる山でも、道案内や標識がなければ
迷ってしまうとても危険なものです。
ところで、この人生も、私にとっては、はじめての経験です。
どこへ向かっていけばいいのか、どこが目的で、どう行けばいいのか、
まったくわかってはいません。
その道を知った人に、経験した人に尋ねることができれば、少しは
安心ですが、尋ねることもなく、自分勝手に、どんどんと歩んで、
苦しんでいる人が多いものです。
人間について、深く深く考え抜いたお釈迦さまが説いていただいた、
そして、それを私たちにわかり安く、紹介し解説してくださった
親鸞聖人が示してくださった確かな道が、行き先があるのだと
先輩が先祖や親たちが、私たちに伝え残してくださって
いるのです。
ところが、それを知らず、気づかず、振り向かないで、一人悩み
苦しんでいるのではないでしょうか。
南無阿弥陀仏の教えに遇えれば、自分でやれること、仏さまに
任せておけば、大丈夫なこと、この限られた人生だけではなく、
いのち終わっても大丈夫な世界、有り難い価値観があるのだと
聞かせていただけるのです。
初めての人生、初めての道 知らない危険な山に登るのと同じことです。
重い荷物を背負い込んで、自分ひとりで悩み苦しむのではなく、先人たちの
経験を、教えを素直に聞く耳を持ち、豊かな有り難い人生を
喜びながら、一歩一歩、歩みたいものです。
第1650回 自分の姿を鏡で見る
令和6年9月12日~
近くの県にある親のお骨を近くに移したいが、どうしたら
良いのでしょうかと、美容師の方が、相談に来られました。
そこで、美容院と お寺 多くの共通点があるように思います。
定期的によく美容院に通われる方と、まったく無関心な方があるように、
お寺も定期的に、よくお参りいただく方と、まったく
ご縁のない方があるものです。
美容院にいくと、頭が軽くなり、こころも明るくなってくるものですが、
お寺も、お参りして仏さまのお話を聞くと、すっきりとして、
心も明るくなるものです。
お墓に花をあげただけで、帰る方がありますが、それでも、
少しは気持ちがすっきりするものです。
しかし、これはちょうど、美容室の花瓶に花をさし、
待合室で雑誌を見ただけで帰るようなもので、カットや髪を洗って
セットしていただかないと、本当の喜びは感じられないものです。
それと同じように、お寺も、ただ墓にお参りするだけではなく、
お話を聞いて、新たな価値観を、新しい視点を受け取ることがなければ、
余り有り難いものでは、ありません。
美容院の鏡で、素敵になった自分の姿を見たときのように、
仏さまの話を聞くことで、心の中が、新鮮な喜びを、感じられてきて、
すっきりとして、うれしくなってくるものです。
浄土真宗では、特に恩ということをいいます。
親鸞聖人の御命日を報恩講といい、よく歌ううたも、恩徳讃、恩という
言葉がよく聞かれます。
これまでいかに多くの方々の力、支えがあったかを気づかされて、
心の中が喜びでいっぱいになり、生きていく力がわいてくるものです。
美容院を出るときのように、世界が変わって見え、未来が明るくなるものです。
とはいえ、しばらく時間がたつと、その喜びは薄れてくるものです。
髪も伸びて、気持ちが悪くなるように、心もだんだんと重たくなって
どんよりとしてくるものです。
そこで、美容院に行って、綺麗にしていただくように、浄土真宗の方は
仏さまのお話を聞くことで、心の喜びがよみがえっていくものです。
ですから、ただお骨を預けるだけではなく、それをご縁に
お話を聞くことができる所に、ご相談されることをおすすめします。
第1649回 あんたが悪い
令和6年 9月5日~
こんな話を聞きました。
「あんたが悪いと指さした
下の三本は自分を向いている」
仏教のことばが書かれた掲示板がお寺にはあります。
これは、山の断崖の大きな岩のくぼみに建てられた奥院
国宝の「投入堂」で有名な鳥取県三朝町(みささちょう)にある
天台宗の三佛寺(さんぶつじ)境内にある自動販売機に
掲げられていたことばだそうです。
自販機に掲示板というのは、なかなか斬新な有り難い発想です。
お前が悪いと 一方的に批判しているのが私たちです。
相手を指さし非難していますが、その手をよくみると、
人差し指は相手をさしていても、折り曲げられた中指、薬指、
小指の3本は、自分の方を向いているものです。
人を指している指は自分の目からよく見えますが、自分を指している
3本の指は意識しないので視界にはあまり入って来ません。
相手の悪いところが 見えたとき、気づいたことは、私の方には、
その三倍の問題があるのだと、教えてくれているようです。
相手の悪い部分と同じようなことを 自分もしていることに
気づいていないのが、私たちです。
もし、相手に怒りや憤りを思えたときには 一息入れて
自分の方には、気づいていない三倍の 悪い点を 回りに見せていると
理解した方がよいようです。
中国の善導大師は
経教(きょうきょう)はこれを喩(たと)ふるに鏡のごとし。
しばしば読みしばしば尋ぬれば、智慧を開発す。
『観経疏』序分義 にあります。
仏法は 鏡に映すようなものだと言われていますが、
誰かの悪が見えたとき 自分自身の姿を 鏡に映すように
点検してみることが、重要なようです。
「あんたが悪いと指さした
下の三本は自分を向いている」
第1648回 まだ仕事は残っています
令和6年 8月29日~
「老いて聞く 安らぎへの法話」という 本の中に
最後の仕事という項目が ありますが、
その一つで、「まだ仕事が残っています」というお話です。
本願寺派に雑賀正晃というとても立派な布教使さんが
おられました。
そのご法話で こういうお話を聞いたことがあります。
雑賀先生のお寺の檀家総代 Yさんが老齢で入院され、
もう末期になられた。
雑賀先生がお見舞いに行かれると、目に涙をためて、
「先生、もう私は何もできません。この家内と看護師さんの
お世話になるばかりで・・・・」と細い声で言います。
「いや、Yさん、あなたには まだ大事な仕事が残っています。」
「仕事って、どんなことですか」
「『ありがとう』って言うことですよ。奥さんにも、先生にも、
看護師さんにも、お見舞いの人にも『ありがとう』とお礼を言うのが
あなたの仕事です。もし声が出なかったら、手で、眼で
言ってください」
「あぁ、そうでした、そうでした。本当ですね。『ありがとう』
ございました」
「それにね、Yさん。どのようになっても、お救いくださる
阿弥陀さまにお礼申しあげることが第一ですよ」
「あぁ、そうでした、そうでした。なもあみだぶつ、
なもあみだぶつ、・・・・」
藤枝宏壽著 老いて聞くやすらぎへの法話より 自照社出版
まだ、まだ先は長いと思っていますが、明日がしれないこのいのち
大切な人に、そして阿弥陀さまに ありがとうございますと
お礼をする一日でありたいものです。
第1647回 さいごの仕事
令和6年8月22日~
あるご門徒さんが言われました。
「わたし、歳がいったらもう何もできません。
あかんもん(だめなもの)になってしまいました」と
そこで私は「いや、いや。まだ大事な仕事が残っていますよ」
と、言って次のようなお話をしました」
大阪府吹田市の光徳寺さんの掲示板にこういう詩がはってありました。
病気になって 気付く 空の青さ 空の高さ 空の広さ
直海玄洋師
ある日、中年の女性が、この人は薬剤師さんでしたが、
この詩を見て感動します。
実はガンの宣告を受けて、悩んでいたのです。
さっそく住職の直海先生にお会いしてお尋ねします。
「私は、余命いくばくもないと宣告されてから、身の回りの
整理をしましたが、どうしても心の整理がつきません。
人間、何のために生まれてきたのでしょうか」
すると直海先生が、
「仏法を聞いて、仏の世界に生まれ、仏のさとりを
得るために生まれてきのです」
と答えられます。
女性は目の前が明るくなるのを感じました。
それから、彼女は何回も仏法を聞かれましたが、
ついにこの世のご縁が尽きて亡くなられました。
すると、ベッドの下から遺書が見つかりました。
私は間に合ってよかった。
みんな、手遅れにならない中に、仏法に遇うておくれ。
彼女は、自分自身のいのちの行き先をハッキリするという
大仕事をやり遂げ、さらに遺された若い人たちをも、
その人生の行き先に導くという さいごの仕事をされたのでした。
藤枝宏壽著 老いて聞くやすらぎへの法話より 自照社出版
第1646回 お母さんの 一言
令和6年8月15日~
阿弥陀さまのお話をユーチューブで繰り返し聞きながら、
何故か、子どもの頃に見たモノクロの映画のことを断片的に思い出しました。
当時、「母もの映画」といっていたようですが、三益愛子という
俳優さんがいつも母親役で、食料事情も良くない戦後まもなく、
その日 その日、食べることにさえ苦労していた、大変な時代のこと、
苦労して苦労して一人息子を育てていた母親。
しかし、子どもの方は、その親の心が分からず、反抗し悪い仲間と
つるんで問題ばかり起こして、心配をかけつづけていますが、ついに
警察につかまってしまいます。
それでも見捨てることのできない母親、連行されていく子どもが、
そこに母の姿を見て、はじめて「おかあさん」と、呼んだ時、観客は、
みんな一斉に涙を流していたのを思い出しています。
「お母さん」との息子の言葉、涙する母親、一緒に泣いている
満員の観客。
どの母もの映画を見ても みんな同じような物語だったように思います。
今思えば、脚本家か監督か制作者なのか、浄土真宗のご法話を聞き
阿弥陀さまのはたらきに、反抗する人が、その有り難さに気づいて
南無阿弥陀仏と口にお念仏するそのことを、母と子の関係で
表現したのではないかと、味わっています。
反抗し 反抗し 困らせ続けた息子が 最後に一言 お母さんと
声に出す、それは、母親の苦労、心配に気づいて 有り難く
感じてた瞬間だったのでしょう。
出来損ないの息子が、親のきもちに触れて、お母さん と
呼んだときと同じように 南無阿弥陀仏と 声を出したとき、
こころから喜んでくださる方あることを、改めて味わっています。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は 私を思い よびかけ続ける
大きなはたらきがあることを、そして、その有り難さを
感じたときに、口から漏れ出る 大きな願いのことばなのでしょう。
仏さまが、親たちが 最も喜んでいただくことば、安心することばです。
第1645回 未来は 前か 後ろか
令和6年8月8日~
こんな話を聞きました。
私たちは、未来へ、あしたへ向かって精一杯生きていますが、
未来は 明日は、どちらの方向にあるのでしょうかとの質問です。
多くの人が、前に進む 前向きに生きると 未来は自分の前にあると
イメージしています。
「眼の前に広がる」のが未来であり、「後ろは振り返らない」などと、
うしろにあるのは、過去のことです。
未来は 自分の前にあり、過去は、自分の後ろにあるものと思っています。
しかし、「この後のご予定は」等と言うとき、私たちは
未来を前ではなく「あと(後ろ)」に置いています。
三日後にまたお会いしましょうとか、五年後にはこうなるとか、
未来は 前ではなく、 後ろにあるように話しています。
そして、三日前に、一年前は などと、過去のことは 前と表現しています。
日頃使う言葉では、過去のことは 前方にあり、未来のことは 後ろ、
後方で表しているのです。
ですから、「以前」は、前は過去で 「以後」、後ろは、未来のことです。
私たちの気持ちの上では
前が未来で 後が過去なのですが なぜか 言葉では
逆の 未来を後ろ 過去を前の 表現をしています。
ヨーロッパの国では、過去は前にあり、全部見えるが、
未来は 自分の後ろにあり、何も見えないという表現をするところが
あるようです。
蓮如上人のお手紙である 御文章にある 後生の一大事 も
後生とは、これから先、未来のことを意味します。
見えているようで、見えないのが未来です。
浄土真宗では、お釈迦さまが説いていただいたように
精一杯生きている人は、必ずお浄土へ生まれさせ
自分と同じはたらきをさせる仏にすると、阿弥陀さまは、はたらきかけて
いただいている、後は任せればいいのだと、受け取っています。
これから、老病死 沢山の苦難が訪れるものの、心配はいらない
かならず、お浄土へ、そこには両親をはじめご縁のあった
多くの方々が、待っていていただく世界へ 生まれていくのですと、
呼びかけてくださっているのです。
その呼び声が 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏のお念仏なのです。
見ることの出来ない未来 阿弥陀さまにおまかせして
今できることを 精一杯 生きていきたいものです。
お盆が近づきましたが、地獄へ落ちた人は、地獄の釜の蓋が開く
13日に、お帰り頂くのでしょうが、お浄土の人は いつでも
私のために、遠くではなく、今、ここではたらいていただいているんです。
第1644回 気づかない 私が
令和6年8月1日~
大阪のおばちゃんが、左足のしびれが出始めて、病院にいきました。
診察したお医者さんは、「うーん、これは残念ながら、高齢のためですね」と
告げました。
「でも、先生、この右足も同級生ですぜ」と、返事しました。
先生も負けず、「心配せんでええ、まもなく右足もしびれてきます」と。
同級生という表現でいえば、右足だけではなく、私の手も頭も口も
心臓もみんな同級生なのです。
ところが、頼みもしないのに、みんなだまって働き続けてくれています。
夜になれば、私自身は、眠って休んでいますが、
一日も、一刻もやすむことなく、働いてくれた同級生も沢山います。
心臓はその一つです。
頼みもしないのに、やすむことなく働づめで私を生かしてくれています。
私が気づかないところで多くの臓器が、精一杯、黙々と働いて
くれていたのです。
そればかりではないといいます。
頼みもしないのに、阿弥陀さまは、この私のためにずっと
はたらきかけ続けていただいているというのです。
気づかないだけ、知らなかっただけで、私のために多くの同級生と
一緒になって、私を生かし続けていただいているのです。
そう気づくとき、感謝しても感謝しきれないことが、いかに多いかが
知らされてきます。
当たり前になって気づかないことが、なんと多いことか、南無阿弥陀仏は
その多くのはたらきかけに、気づき、心から、感謝することばであり、
仏さまが、そして私の体のすべてがもっとも喜んでくれる言葉なのです。
何事も当たり前では、何の感動もなく不平不満のつらく苦しい毎日になりますが、
多くのはたらきかけに気づき、味わうことができれば、なんと
ありがたく喜びいっぱいの、豊かな人生を味わうことができるものです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は、その喜びを、感謝を表す言葉、
「ありがとうございます」という言葉にもよく似た、親たちが受け継いで
残してくれた 有り難いことばです。
私に、多くの はたらきかけがあることに気づかせてくださる
仏さまの言葉です。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
第1643回 感じ取る力
令和6年 7月25日 ~
「学仏大悲心」という大きな額が、講堂の正面に掲げられている
学校があります。
善導大師が説かれた、仏の大悲心を学ぶという言葉です。
学ぶということは
勉強する。学問をする。
教えを受けたり見習ったりして、知識や技芸を身につける。
習得する。経験することによって知るという意味がありますが、
そればかりではなく、 まねをするという意味もあります。
何をまねるのか、それは苦悩するものを必ず摂取して捨てないと
はたらき続ける仏さま、阿弥陀さまの大悲心を学び、それを、ほんの
少しでもまねることだと言われます。
お念仏の教えは、仏さまの話を聞くこと、お聴聞することが大事と
いわれますが、これは、仏の大悲心、仏さまのはたらきを聞く
ということです。
それは、頭で理解したり、何かを覚えたりすることではなく、
全身で、仏さまのはたらき、仏さまのお慈悲のぬくもりを
感じとることを意味します。
必ず救う、ひとり残さず救うという、摂取不捨の光明に
照らされていることを、この身に感じることが出来るように
育てられていくことなのです。
そうした、大きなはたらきかけがあることを、感じることが出来る
ようになると、自分ひとりで生きているのではなく、
実は、生かされているのだという、大きな喜びと安らぎを感じることが
出来るようになっていくものです。
いくら仏教を深く学んでも、お慈悲のぬくもりを感じることが出来
なかったら、なかなか喜びは味わうことが出来ません。
仏さまのはたらきを、感じることが出来ると、そのはたらきの
まねをさせていただくこと、ところが、自分中心の私には、とても
とても、仏さまのようには、できないということに、気づかされて
いくと、人生は大きく変わってくるものです
仏さまのはたらきは、目にはなかなか見ることはできませんが、
仏さまのお話を繰り返し、繰り返し聞くことによって、仏さまのはたらきを
ほんの少しずつでも感じることができるようになっていくものです。
仏さまのはたらき、真実が、ただ一つのことば、南無阿弥陀仏となって
私に絶えず、喚びかけてくださっていることを、感じ取れていくのです。
第1642回 誰の安心のためか
令和6年 7月18日~
ある布教使さんから、こんな話を聞きました。
近くのお寺に招かれて、ご法話にいったとき、
控え室でお茶をいただいていると、帽子をかぶった紳士の方が、
お参りになる姿が見えました。
その姿をじっと見ていると、坊守さんが、あ、あの方の奥様はとても
有り難い方で、今日もお参りになりましたねと、おっしゃいました。
本堂でご法話中、その紳士がうなずきながら熱心にお聴聞されており、
隣の奥様も、にこやかな笑顔でお聴聞いただいていました。
うらやましいご夫婦と拝見していましたが、一席を終わり休憩のあと、
本堂にいくと、その紳士の隣には、別の女性が座っておられます。
どうゆうことだろうと、気になっていましたが、その女性は、
どちらかと言えば、暗い顔をして、あまり反応がないを方でした。
控え室に帰って、ご住職に聞きました。
あの紳士の奥様は、最初に横に座っておられたかたですよね、
後半、横に座った方はどなたですかと聞きますと、住職さんは
どなたのことですかね。聞き返されます。
帽子をかぶった立派な紳士の奥様のことですよと、言いますと、
いえあの方の奥さんは、もう何年になりますかね、ご往生されましたよ。
大変有り難い方で、婦人会の役員もしておられましたが、
ガンにかかられて亡くなられました。
奥様が元気なころは、ご主人は、まったくお参りになりませんでしたが、
病気になった奥様が、私がいなくなったら
必ずお寺でお話を聞いてとご主人に頼まれたそうです。
あまりにも熱心なので、わかったわかった、私がお寺に行けば、
あなたは安心出来るのでしょうから、必ず参りますよと、返事を
されたそうです。
そうすると、奥様は、私が安心するのではなく、残された貴方が
安心できるから、どうか、お参りしてくださいと、真剣に頼まれたそうです。
その奥様のことば通りに、あの方はお寺でお話を聞かれるように
なったのです。
亡くなっていく人を安心させるのではなく、生き残った自分のことを
心配してくれた奥さんのご縁で、お聴聞されるようになりました。と
お念仏の教えは、先立つ親や、連れ合いを安心させる教えではなく、
自分自身が安心を得られるもの、この人生を堂々と生き抜く力を
与えられていくのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏は、心配しなくていい、間違いなく
お浄土へ生まれさせ仏にするぞ、一緒に仏として はたらいてくれと
真剣に呼びかけ、はたらきかけていただく仏さまの言葉です。
誰の安心のためなのか、この私の安心のための教えです。
第1641回 いつも一緒の阿弥陀さま
令和6年 7月11日~
近頃 ご門徒のお宅へお参りするのがとても
楽しくなりましたと、いうご住職に会いました。
どうしてなのか、「南無阿弥陀仏」の声が聞こえてくると ああここにも、
阿弥陀さまが はたらいておられると味わえるようになったからですと。
朝目覚めたとき 南無阿弥陀仏とお念仏して、ああここに阿弥陀さまが
顔を洗いながら 南無阿弥陀仏 ここにも阿弥陀さまが、
食事のときも、着替えのときも、おつとめをするときばかりではなく、
南無阿弥陀仏といつも私と一緒の 阿弥陀さま。
ご門徒のお宅にお参りすると、お経さんの本をちゃんと
準備して、待っていただいており、一緒に合掌し、いっしょに声を出して
おつとめをしていただくと、ああ、このお宅でも阿弥陀さまは
間違いなく はたらいておられるのだと、確認出来て有り難く
嬉しくなり、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。
自分の口から出た 南無阿弥陀仏は勿論ですが、近くの
どなたかの口に南無阿弥陀仏が出て、聞こえてくると、
阿弥陀さまのはたらきが、なお一層はっきりと、感じられます。
日差しが 暑い中、境内のお墓参りにおいでの方を見ても、阿弥陀さまが
あの方を、お墓まで導いていただいていると、
法座の時に、沢山の方が本堂に座っていただくと、目でも見えて
とても心強く、頼もしく、お堂いっぱいに南無阿弥陀仏が聞こえてくると、
有り難く嬉しくなってくるものです。
ところで、若いころ、親しい友と また明日ねと 別れる時など
バイバイ、グッドバイといっていましたが、その意味を訪ねてみると
実は、「神様があなたと一緒にいますように!」とか、
「神さまの御加護を!」という意味なのだといいます。
いつも、神様があなたを守ってくださいますように、
というキリスト教の祝福の言葉だったというのです。
そういうことなら、浄土真宗では、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は
いつも阿弥陀さまが一緒という意味なので
別れの時、「では、またあした 南無阿弥陀仏」でいいはずです。
私たちが 気づいていなくても、忘れていても、阿弥陀さまは
いつも私のことを見守り、励まし、導いてくださっているのです。
寝ても覚めても、居ても立っても、嬉しいときも悲しいと時も
悔しいときも、悲しいときも、いつも阿弥陀さまがいっしょ
阿弥陀さまは、私といっしょに、はたらき詰めであります。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏のお念仏となって。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。
第1640回 浄土真宗にないもの
令和6年 7月4日~
築地本願寺の晨朝のご法話で、こんな話を聞きました。
京都でタクシーに乗ったら、運転手さんが話しかけてきました。
京都は、どこへいってこられましたかと、聞かれ
本願寺ですと答えると、そうですか、それでは突然ですが
クイズですと。
京都には 数多くのお寺さんがありますが、他のお寺にあって
東西本願寺さんだけにないものがあります。
それは何でしょうかとの問題、質問です。
お寺には必ずあるのに、本願寺だけにないもの、それはなにか。
浄土真宗には、戒律はない、座禅はしない、たたく木魚はない、などと
つぶやいてみましたが、
運転手さんは いえいえ、外からすぐ見えるものです。
思いつかずに、黙り込んでいると、
正解は 入り口の門に、敷居が無いことです。
確かに、山門を入るときに敷居をまたぐことなく、スムーズに
門をくぐって入っています。
多くの人は 門の前で立ち止まり、軽く頭をさげてから、
入っていかれますが、足下を気にするはありません。
お参りの方は、年配者が多く、安全のために 敷居をなくしたのだろう、
今はやりの「バリアフリー」の先取りなのではないかと思っていましたが、
どうも、それだけではないというのです。
普通の寺院は、山門から中は 別の世界、一段高い敷居は、
外の世界と境内を分ける結界であると言うことです。
また木造建築では、敷居は、強度をたかめるためには重要なはたらきを
しているものだそうです。
そこで、またいで通るもの、踏みつけて劣化させないためにも敷居は、
踏まずに、またぐものだといわれるそうです。
山門をくぐって神聖な別の世界に入っていくのが一般の寺院ですが
浄土真宗の寺院だけは ひとり残らず、一人漏らさず
必ず救うという阿弥陀さまの教えを伝えるお寺であるために
結界である、敷居はないのだそうです。
当たり前になって、気づきもしませんが、敷居のないのが、
浄土真宗である 他力のお念仏の教え、そして、浄土真宗の
お寺であると、教えていただきました。
よくお寺は敷居が高いといいますが、浄土真宗のお寺には
敷居がないのです。
いつでも自由に入ってこれるのが、開かれた貴方のお寺なのです。
第1639回 かっこいい大人に
令和6年6月27日~
東京都知事選挙に、異色の候補者が登場し、善戦しています。
ユーチューブという動画配信を使い、情報発信をして有名になった
広島の安芸高田市の市長だった石丸伸二という青年です。
街頭演説では、「かっこいい大人になってください」と、
歩道いっぱいに集まった人々に呼びかけています。
一人ひとりに投票権があり、政治に直接参加できるのに
投票したところで、どうせ変わりはしないと諦めています。
しかし、みんなで投票することで、東京を動かし、日本を動かして
いきましょう。
東京のみなさんは いま日本全国から期待され注目されているのです。
かっこいい大人の姿を、子どもたちに見せてやってくださいとの演説です。
その言葉を何度も何度も、ユーチューブで聞きながら、浄土真宗の
お念仏の教えも かっこいい大人の姿を、次の世代に見せ、
残していくものではないかと、感じました。
多くの人が、死んだら終わり、死んだらすべてなくなると
思い込んで生きています。
しかし、阿弥陀さまは 私たちを、自分の国お浄土へ生まれさせ、
一緒に はたらいてほしいと、呼びかけておられるというのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を口にする人に 仏に成って
すべての人のために、はたらいてくださいと願われているのです。
生きていくためには、どうしても自分の家族や仲間のために、
努力せずにはおれず、利己主義にならざるを得ません。
しかし、やがていのちが終り、仏になったら、
みんなのために はたらいてほしいとの仏さまの願いとは、
いったい何を意味しているのでしょうか。
一人ひとりが、損得ぬきに、自分の出来ること、勤めをはたし
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を口に、にこやかに喜びながら、
いきいきと、堂々と生き抜いていく。
お金や財産などすぐに消えてしまうものだけではなく、
おかげさまでと感謝して、楽しく自信にあふれた、
かっこいい大人の姿を見せていくことが、次の世代に対しての
最高の贈り物となることでしょう。
かっこいい大人になる これがお念仏に生きるということなのでしょう。
第1638回 因を知り 感じる力
令和6年6月20日~
仏教では、因果の道理が説かれています。
因果とは、原因の「因」と結果の「果」で、行いや考え方に
よって、それに応じた結果が出るというのです。
子どものころから、勉強しなければ良い結果は出ない、
努力することこそが大事だと、教えられて頑張ってきました。
病気になるのも、歳を取るのも、自分自身で
その原因をつくっているのだと思い込み、精一杯生きています。
ところで、今、私は、将来のために行動し、様々な原因、
因をつくっていますが、因果関係でいえば 今、結果、果も
受け取っています。
ご恩という言葉がありますが、恩という字は、原因の因と、心と書きます。
現在は 結果であるとすれば その原因を、因をはっきりと知り、
感じとることを、恩を知るということなのでしょう。
今この状態を、なにもかも当たり前と思っていますが、
数多くの人々のご苦労やご縁により、今ここにいるのです。
因果関係を 過去に遡って正しく見つめ、感じる力が
育てられてくると、私の人生は平凡ではなく、とても素晴らしく
有り難いことと味わうことが出来るものです。
これまで育て導いてくださった、両親をはじめ、
気づいていない沢山の人々、いのちを投げ出して、食物となった
動物や植物、そして自然、感謝しても感謝仕切れるものではありません。
どうかご恩を味わう力を持ってほしいと、先輩達は、南無阿弥陀仏の
お念仏を伝え残してくださったのでしょう。
私たちは、明日のこと、将来のことを心配しているにもかかわらず、
知らず知らずに地獄へいくような悪い原因ばかりをつくり続けて
いるといわれますが、心配はない。大丈夫だよ。
南無阿弥陀仏の人は 間違いなくお浄土へ生まれさせ仏にする、
すでに、阿弥陀仏がその原因を完成されているので、心配はないと。
阿弥陀さまは、あなたの未来は大丈夫、任せておきなさい
それよりも、いままで気づいていない、数々の因や縁を、感じ取る力を、
ご恩に気づき 今を喜び、感じ取り、味わえるように
なってほしいと、呼びかけ、はたらきかけていただいているのです。
南無阿弥陀仏は、将来ではなく、今を喜ばせていただく、
報恩のことばです。
第1637回 かんしゃくのくを 捨てて
令和6年 6月13日~
かんしゃくの く(苦)を捨てて 日を暮らす
かんしゃく から、くをとると かんしゃ(感謝)になります。
ご本山の常例布教に出講中のご講師が、ご本山にいる間は
腹を立てることもなく、有り難い日々を送らせていただいています。
何故かというと、それは 腹を立てる相手が近くにいないからですと、
にこやかにお話くださいました。
自分の不甲斐なさに立腹することもありますが、多くの場合
そこに相手がいて、自分と違った主張をしたり、行動したり
思い通りにならないことに、イライラしてしまうものです。
その相手がいなので、腹の立てなくていいとの意味でしょう。
一方 かんしゃくの苦を取った感謝の方は、そこに相手が
居ても居なくても、しかも現在だけでなく、過去も未来も、
有り難く感じ味わうことができるものです。
食事の前の、食前のことば 「多くのいのちと みなさまのおかげにより
この御馳走を 恵まれました。深く御恩を喜び ありがたくいただきます。」
この言葉を通しても、食事の度に 感謝することもできるものです。
ネットで 「感謝する」と検索してみましたら、
日本予防医学協会という組織のページに、
「人生は 感謝するだけで 好転する」とありました。
外国の心理学者の実験で、「小さなことでよいので、感謝できることを
5つ書き出す、それを続けてもらうと、感謝することを毎日考えた
グループは、何もしなかったグループと比べてみると、
感謝することで、幸福度が高まる 体調がよくなる
人間関係がよくなる 生産性が高まる、よく眠れるなど、
様々な良い効果が期待できるということです。
また感謝すると体内で何が起っているのか
科学的研究の結果から、感謝することで、セロトニンや
ノルアドレナリン(情動や感情に作用)、サイトカイン(抗炎症および免疫力)、
コルチゾール(ストレスホルモン)、血圧、心拍数 、血糖値など、
様々な体内のシステムのバランスが取れる、そして、心身の多くの
機能に好影響を与えてくれることが分かってきたと書かれています。
昔から、感謝することは大切!と言われていましたが、心身の健康に
大きな影響を及ぼすことが科学的に実証されてきているのです。
そして、お聴聞をしている人にとっては、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の
お念仏は、感謝を表すことば です。
先輩達は 感謝することで こころと体に、いい影響があることを知って、
私たちに、南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏のお念仏を残して
くださっているのでしょう。
第1636回 まずは 仏さまに
令和6年6月6日~
こんな話をききました。
子どもさんが持ち帰った算数のテスト用紙をみていると、
×が、ついたところがありました。
理解出来ていないのはどんなところかと、問題をみてみると。
りんごを4つもらいました。
お友だち三人で分けたら、一人、何個づつになるでしょうか
という問題に、答えを 1個と書き ×がついていました。
一個と3分の一、分数や小数以下のことが 理解出来ていないと
思い、子どもに聞いてみました。
子どもは こう答えました。
「お友だち三人で 一個づつ分けて、一個は仏さまにあげたので、
みんな一個づつだよ」と、いいます。
「だって、もらったリンゴだから、仏さまにあげなきゃ
いけないでしょう」との答えです。
算数の問題だから、仏さまのことは、考えなくて
いいのと言おうと思いましたが、
なんだか こころが温かくなり、そうだね、いただいたものは
まずは、仏さまにもあげなきゃねと、
そのままにしました。
理科の時間に 氷が解けると何になりますかの問いに、
「氷がとけたら 春になる」と答えた子どもがいたという
話を聞きます。
同じように、頂いたリンゴは 仏さまに、まずはあげるのだという
子どもに 嬉しく有り難く感じました。
近頃 仏壇のある家では、子供たちは育っていません。
自分たち家族だけ、生きている人間中心の生き方を
していては、気持ちのやさしさや 思いやりのある子どもは
なかなか育ってこないのではないでしょうか。
氷がとけたら 春になるとの答えと 同じように、
いただいたものは、まずは ほとけさまに上げるとの
答えも、正解にしたい、こころ暖まる、有り難い答えだと味わいました。
子どもの純粋なこころを、大人たちがだんだんと、損だ得だ、
勝った負けた、比較し競争していくことを教え込んでいます、
例え損をしても、負けても、間違いと言われても
思う存分、心豊かに生きる力を、持ち続けてほしいものだと
思っています。
それを、先輩たちは 仏さま お仏壇 お墓ご先祖さま
などを通して、伝えようとしてくださったのだろうと味わいます。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏も そうした
先輩たちの願いのこもった ことばなのでしょう。
第1635回 孫たちのために
令和6年 5月30日~
目には見えない 仏さまの はたらきについて こんな話を聞きました。
家には 大きな梅の木があり、毎年その実で、梅干しをつけています。
食卓にいつも置いてある梅干のその実は 父親がまだ小学校高学年の頃に、
おばあちゃんといっしょに植えたものだといいます。
おばあちゃんとお寺参りした帰りに、苗木屋さんの出店に立ち寄った時、
おばあちゃんが選んだものだといいます。
杖をつき背中が曲がった ばあちゃんが、梅の苗木を選んでいると
店のおじさんは 「桃栗三年柿八年、梅はすいすい十三年、・・・
梅は実が付くまで時間がかかるから、ばあちゃんが
生きているうちには
実はならんよ、こっちにしておいたら」と、桃の苗木を進めたそうです。
おばあちゃんは わしのためではなく孫たちのために植えるで
これでええよと、梅の苗木を買ってかえり 一緒に植えたのだと、
父親に何度も聞かされました。
写真でしか見たことのない ひいおばあちゃんが、
植えてくれたものが 梅干しになって、いつも食卓におかれているのです。
ずっと昔の 遠い遠い ひいおばあちゃんが 今でも 私たちのために
はたらきかけていていただいているのだなあと、食べる度に思います。
そう考えてみると、庭にある柿の木も 桃の木も 数多くの花も、
私の知らない 多くの先輩方が、孫やひ孫のために、植えて育てて
くれたものばかりなのでしょう。
そして、この建物も、掛け軸も 置物も、陶器も、敷物も
昔からあって、みんな当たり前で、有り難いなどと感じてはいませんが、
私の周りには、仏さまになった多くの先輩方の思いが、
今でも 生きて はたらきかけ続けているのです。
こうして今、お寺にお参りし、お念仏をしているのも
私自身の力だけではなく、多くの先輩のご縁によって、はたらきかけ、
その力によって、手を合わせ 南無阿弥陀仏と口にしているのです。
仏さまのはたらきかけは 目で見ることはできませんが、
私が気づかないだけで、いつでもどこでも、私のために
体の外からだけではなく、内側からも、はたらきかけ よびかけ
続けていただいているのでしょう。
ぼんやりと生きている私に、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
と呼びかけ、そのはたらきかけに気づかせて
いただいているのです。
気づかなければ 当たり前で、何の感動もない平凡な毎日ですが、
多くの方々の、大きな思いに包まれていると気づかせていただくと
本当に有り難いことばかりです。
ありがとうございます。みんなみんな御蔭さま
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏です。
第1634回 お任せします 有り難うございます
令和6年 5月23日~
朝のおつとめの後、なにげなく外を見ると、
紙袋に、ちり取り、そしてゴミはさみを手にした近所のおばあさんが
道路のゴミを 拾っておられる姿が見えました。
まだ、朝の出勤前で、人通りの少ない時間、捨てられたたばこや
紙くず、ペットボトルなどのゴミを、つまみ取り紙袋に入れながら、
歩いていかれます。
近頃、通りが綺麗になったと思っていましたが、こうして、
一人もくもくと掃除をしていただく方があったからだと、気づきました。
この方は、お念仏とご縁のある方ではないようですが、
もしお念仏の人であったのなら、自分が今やれることがあれば、
それを精一杯やらせていただこう、これもご報謝、これもご報謝と、
報恩感謝の行動を進んで取られておられる方が多いものです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 の 南無は 帰命する、帰順すると
私の方が真剣に、仏さまに帰順する、私が努力することが必要と
理解するのが普通ですが、浄土真宗の場合は、そうではなく、
仏さまの方が先に、自分に任せなさい、貴方のことを必ず救う、
心配しないでいい、任せなさいと呼びかけていただいているのだと
味わいます。
その呼びかけを聞いて、私の側は、仏さまの呼びかけに、
お任せします。有り難うございます。
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と返事をするだけでいいのです。
私が、頑張ってしっかりと、つかまる必要はなく、どうかよろしく
お願いしますと、こころからお願いする必要もなく 仏さまの方が
先に私のことを心配して、必ず救う私に任せなさいと呼びかけ
続けていただいているというのです。
私が称える南無阿弥陀仏は、ですから、お願いしますの意味ではなく
ハイお任せします、有り難うございますと、報恩のお念仏をする
だけなのです。
一般的には、私が努力して、良いことを積み重ねて、
それを、仏さまに認めていただくことが出来たなら、そのご褒美に
良い結果、素晴らしい効果が得られると思いがちですが、
そうではなく、仏さまが先に私のことを心配して
私にまかせなさい、貴方のことを救いとりたいと
呼びかけ、はたらきかけていただいているというのです。
赤ちゃんのとき、頼みもしないのに、母親がお乳をのませ
おむつを替えて、育てていただいたように、阿弥陀さまは
この私のことを、なんとか本物の人間に、そしてやがて
仏にして活躍してほしいと、はたらきかけ、呼びかけていただいて
いるというのです。
ですから、その呼びかけを聞き取り、お任せします。
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏とお念仏をして、自分が
今できることを精一杯つとめさせていただく、それが
お念仏の報恩の生活ということでしょう。
仏さまが先か 私が先か、親が先か こどもが先か
お浄土に生まれることも、仏になることも、人間の力の及ぶことのない
ことなのです。
ですから、仏さまにお任せするしか、方法はないのです。
私が出来ることを、報恩の行いを、お念仏と一緒に
つとめさせていただくだけなのです。
第1633回 よく頑張ったね
令和6年 5月16日~
2歳年上の兄が 亡くなったとの知らせを受けて、
慌てて上京して、お別れをしてきましたという方が、
お参りになりました。
学校を出てから、東京で就職し、東京の人と結婚し、子どもにも
恵まれ85歳で亡くなりましたと。
ちょうど、その日、新聞の投稿に、友人の死を悼んで綴られた
文章を見た直後のことでした。
「肩車を してもらっているだろうか 今頃は 戦死した父親に
亡くなった親友は」
と言う内容でした。
兄も5歳の時に父を亡くしています。一番遊んでもらいたいときに
父と別れ、もう肩車してもらうことの出来ない、寂しさを 悲しさを
持ち続けての80年だったのだろうと思います。
新聞の投稿を見た日に兄の死を知り、多くの方々が戦争で
肉親を亡くされたのであろうとつくづく思いました。
そして今も ウクライナやガザ地区では、
親を亡くした子ども、夫や妻、子どもをなくして悲しむ人が
沢山いらっしゃることでしょう。
その悲しみ寂しさは、一生涯深く続いていくことでしょう。
新聞の投稿では、お浄土で父親と再会して、きっと今頃は
甘えていることだろう、との文章でした。
甘えたい、肩車をしてほしいのに我慢していたことを、友人に
話していたのか、それとも友だちが日頃感じておられたのか。
大切な人が去った悲しみが投稿されていました。と
お話いただきました。
そこで、こんなお話をしました。
浄土真宗では、亡き方は、お浄土でじっと
待っていていただくのではないと説かれています。
仏と成って、この世で、はたらき続けておられるのだと。
ですから、この世の出来ごとを、いちいち説明しなくても、
仏となったお父さんは、全部知っておられて、
「大変だったね、ご苦労やったね。よくがんばったね。」と、
今頃は、きっとほめていただいておられることでしょう。
親というものは、生きて居る時は勿論、
亡くなって仏になっても、尚一層、子どものことを案じ、
いつも応援していただいてたことでしょう。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏の仏さまとなって、
お父さんと再開したお兄さんは、お父さんといっしょになって、
弟さんのことを、見守って応援しておられるのでしょうね。と
少し疲れて、淋しそうな弟さんに、お話しました。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
第1632回 母の日のプレゼント
令和6年 5月9日~
サザエさんという子どもに人気のテレビマンガがあります。
日曜日の夕方の放送ですが、ずっと以前に
「母の日の贈り物」という タイトルの回があったということです。
母親のフネさんに 母の日のプレゼント、何をしようかと
兄妹で相談して、いろいろのアイデアを出し合いますが、
なかなか良い案がありません。
それならばと、いっそのこと、受け取る本人である
お母さんに直接聞いてみて、それから決めようということになり
「ねえ、お母さん お母さんのしあわせって 何?」と聞きました。
答えは「あなた達が、元気でいることですよ」と。
これでは、プレゼントのヒントにならないので
重ねて質問してみました。
「お母さんの喜びって何?」と、期待を込めて聞いてみましたが、
返事は「あなた達が いつも笑顔を見せていることですよ」
自分のことではなく、みんな子どものことばかりであり、
どうも、お母さんの中には、自分のことよりも、子どもたちのことで
いっぱいなのだと、分かったものの、お母さんが喜んでくれる
物は、聞き出せませんでした。
ところで、一昔前までは 仏さまのことを親様・親様と
言っていたといいます。
自分のことよりも、子どもの、この私のことを第一に
考えてくださっているのと親と同じように
仏さまは 私のことを第一に、いつも考えてくださっていることを
意味した言葉なのでしょう。
子どもの方は 親の気持ちは ほとんど気づかず、なかなか
味わうことが出来ないものですが、
親は、子どもが生まれるまえから思いを寄せ、生まれて
おっぱいを飲ませ、熱を出したと心配し、幼稚園、小学校、
中学校・・・ずっとずっと、手塩にかけて育てていただいたことに
ほとんど有り難さを感じることもなく、みんな、当たり前になって、
感謝の気持ちは、少しも持ち合わせていません。
同じように、仏さまも このわたしのことを、
見守り励まし 導いてくださっているのに
私たちは、まったく気づいていません。
それが、仏さまのお話を聞かせていただくことで、
お聴聞することで、その思いや、はたらきが、少しづつ
味わえてくるものです。
それとともに、自分の親や兄弟 祖父母、周りの人々の思いを
気づかせていただくことが出来るように育てられていくのです。
そうすると、なんと有り難いことばかりなのか、勿体ないことか、
大きな喜びを感じることが出来るものです。
母の日に、贈りものを渡すだけで終わらずに、親たちが
もっとも喜んでくださるのは、子どものわたしが
活き活きとして喜び多く、笑顔で生きていることでしょう。
それが最高の親孝行、最高のプレゼントではないかと、味わえます。
そう味わうと、生きている親にだけでは無く、仏さまになって
私を応援してくださっている方々をも、今からでも喜ばせることが
出来るのです。
先だった親たちを、喜ばせるのは、お聴聞して、その思いに
気づかせていただくこと、そう考えると、親孝行は
今からでも出来るのです。
まだ、遅くはないのです。
第1631回 いつも一緒に
令和6年 5月2日~
こんな話を聞きました。
幼稚園や保育園の子供たちを見ていると、気持ちは急ぐものの
体がついていかず、足がもつれて、よく転ぶものです。
4歳ぐらいの男の子が、転んで泣き出してしまいました。
すると、同じ年頃の女の子が、男の子のすぐそばに
近づいて、一緒に寝転んで、男の子の顔をじっと見つめているのです。
泣いていた男の子は、その女の子が、自分を見つめているのに気づき、
泣き止みました。
そして、二人ともゆっくりと起き上がり、また元気に遊びはじめました。
大人は、泣いている子どもに声を掛け、手を差し伸べて、
起こそうとしますが、同じ年頃のその女の子は、地面に寝て
泣いている子どもと同じ高さで、その子を見守っていたのです。
ころんで泣いている子どもが、自分のことを心配してくれる友だちの
存在に気づいたとき、安心したのか、はずかしくなったのか
急に泣き止み自分で起き上がったのです。
誰かに助け起こされるのではなく、自分で起き上がり、何でもなかった
ように、また遊び始めたのです。
自分のことを心配していてくれる人の姿に気づいたとき、泣き止み自分で
立ち上がったのです。
大人はついつい上から見下ろして、声を掛けたり、手を差し伸べて
助け起こそうとしますが、幼い女の子は、泣いている子どもと同じ目の
高さで、じっと見守っていたのです。
南無阿弥陀仏の阿弥陀さまは、声の仏さま いつも私を心配して
見守っていただいているのです。
ところが、それに気づくことなく、泣き叫んでいるのが私たちのようです。
そこに、南無阿弥陀仏の声が聞こえてきた時、この私のために
いつでも寄りそっていただいている、仏さまがあることに気づかされると
自分自身で、立ち上がる力がわいてくるのです。
気づくか 気づかないか、南無阿弥陀仏のお念仏は、
私を見守り応援していただいている、阿弥陀さまという 仏さまが
どんなときでも、どんなところでも、私のすぐ横で、いつも一緒
であることを、教えていただいているのです。
お念仏に遇うことで、私の人生は まことに有り難く
感じられてくるのです。
阿弥陀さまが 寄りそい、はたらきかけていただいていると、
気づき、感じさせていただく人生をおくりたいものです。
第1630回 よろこぶ こころ みにうれば
令和6年 4月25日~
お料理の店を開いていた板前さんは、
自分がつくった料理を 美味しい、美味しいと
食べてもらうのが、一番うれしかったと。話してくださいました。
現役を退いた今でも、材料が手に入るとドレッシングなどを
大量につくって、近所の人に配っていますと、私も一ついただきました。
まるで、仏さまのようですね。
仏さまは、お浄土へ生まれるのだと知った人が、南無阿弥陀仏、
南無阿弥陀仏と喜んでお念仏をしている姿を見るのが、最もうれしいと、
喜んでおられるといいますからね。
私たちが子どものころから受けてきた教育は、新たな知識を得ることで
表には現れていない、いろいろの事実を発見し理解出来るようになり、
より多くの喜びを感じることが出来るようになるものです。
それに対して、宗教は ごく普通の当たり前のもの、平凡な出来事を、
ちゃんと見て、気づき、感じる力を 育てていこうとするもの
でしょう。
仏さまのお話を聞くことで、この私のためにどれだけ
多くの人々が ご苦労いただいているのかを、感じとる力が、
育てられていくと、どこにでもある平凡で、当たり前の、
普通の出来事が実は、大きな意味、 素晴らしい存在であり、
有り難いことであると気づき感じ取ることができるようになるものです。
そうした力が、身につき始めると、私の人生は 平凡で、
つまらないものではなくなり、とても有り難く意義あるものであると
感じられてくるものです。
鈍感な私に その真実を知らせ、感じ味わうことの出来る力を
育ててくださるのが、南無阿弥陀仏の教えでしょう。
南無阿弥陀仏のお念仏は、自分で経験する前に、失敗する前に
その真実を、有り難さ豊かさを気づかせるはたらきがあるものです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、お念仏の教えに遇うことで、
大きな力が、はたらきがあることを、知らせることによって、
普通で、当たり前にしか見えないものを、出来事を、本当は
とても有り難く、素晴らしいものであることに気づかせ、
それを感じ取り、感動する能力を育てていただくのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を聞き、口にする生活は、
その感受性が
身につき、育てていく、はたらきがあるのです。
お聴聞することで、親たちが最も喜んでくれる生き方が、
知らされるのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 は 仏さまの願い 親たちの願いです。
第1629回 視点が変わると 世界が変わる
令和6年 4月18日~
本願寺派の宗門学校 中央仏教学院には、通信教育があります。
そのホームページに、「通信教育で学びませんか」と、
福間学院長のこんな誘いのことばがありました。
ネットにこんな話が載っておりました。
あるサラリーマンが真夏に出張に出かけ、電車を降りてバスに乗りました。
するとバスは満員ですごい熱気でした。
「しまった、タクシーにすれば良かった。」でもバスは動き出し、
もうどうしようもありません。
すると赤ちゃんの泣き声が聞こえてきます。もう最悪の状況です。
彼は思いました、「ああ最悪のバスに乗ってしまった。」すると、
その泣き声が近づいてきました。
赤ちゃんを抱いたお母さんがバスを降りようと、入口近くにいる
彼に近づいているのです。
「良かった、煩わしいのが下りてくれる。」と思っていたら、
バスの運転手が下りようとしているお母さんに聞いたそうです。
「その赤ちゃんはどうされたのですか?」
「熱があって泣いているのです。」
「でも大学病院はバス停が3つ先ですよ。」
「この子が大泣きして迷惑をかけているので、ここから病院まで
歩いて行こうと思うのです。」
こんな会話がすぐそばの彼に聞こえてきたそうです。
するとバスの運転手は、やおらマイクで乗客に語りかけました。
「この赤ちゃんは熱があるそうです。あと3つのバス停で病院です。
それまで我慢していただけませんか?」と。
その後バス内は大拍手が起こったそうです。
お母さんは泣きながら乗客達に有難うとお礼をしたそうです。
その時サラリーマンは思ったそうです、
「自分は最高のバスに乗った。」と。
この運転手の言葉の働きが仏法です。
視点が変わると世界が変わるのです。
仏法の視点を持つ時、今までとはまったく異なる世界が広がります。
閉塞した世界が広い世界に転じられるのです。
みなさんも通信教育で仏教を学びませんか。
家事やお仕事をされながらでも学ぶことができます。
まず、いつでもどこでも短時間で仏教・真宗が学べるようにと、
スマホやタブレットで学習できる入門課程を用意しています。・・・・と
損得勝ち負けだけの価値観で生きていますが、
仏教の教え、お念仏の教えに出会うと、違った世界が見えてくるものです。
お聴聞 お聴聞といいますが、新たな価値観を知らされていくのです。
それがお念仏の教えです。
第1628回 仏さまは 忘れずに
令和6年 4月11日~
こんな話を聞きました。
浄土真宗には 有り難い学者さんが沢山いらっしゃいますが、
昭和の初期に 広島に是山恵覚 (これやま えかく) という
和上 (わじょう) さまがおられました。
たくさんの書物を残されており、また、たくさんのお弟子さんを
お育てになった有り難い方です。
しかし、晩年には残念ながら認知症になられ、毎朝お勤めして
おられた正信偈でさえも、最初の「帰命無量寿如来……」は
出てくるものの、次の二句目が、どうしても出てこないことも
ありました。
一緒にお勤めをしておられた坊守さんは、
「昔は、難しいことばでも、みんな暗記し、すらすらと書かれて
いたのに、いまでは、お正信偈も出てこなくなって……」と、
悲しそうにつぶやかれました。
それを聞いた和上さまは、
「私が忘れても、仏さまが忘れてくださらんけえ、大丈夫じゃのう」
坊守さまに向かって、「私はあんたの顔も忘れていくじゃろうし、
この口から、なまんだぶつのお念仏も、出てこなくなってしまうかもしれん。
それでも、大丈夫。大丈夫。
私は何もかも忘れても、私を忘れてくださらん仏さまが、いまここに
いらっしゃるじゃないか。なまんだぶつの仏さまが、いまここに
おられるから、何の心配もいらん、私のお浄土参りに、何の問題もない」と。
いのちの長い短い、死に方の良し悪しも一切問題ない、
あなたの生き方に、何の要求もされない。あなたの身の振る舞いに、
何の注文もつけない。今後あなたがどのような生き方になっても、
どのようないのちの終わり方になっても、決して見捨てたりはしない。
いまこの私のいのちと、ご一緒に、歩みを運んでくださるお方が
阿弥陀さまという仏さま。何があっても、お浄土に一歩一歩、
一緒に足をお運びくださる、仏さまです。
苦難の多い人生ですが、南無阿弥陀仏の仏さまとご一緒に、
生き抜いていける道が、ちゃんと整えてあると味あわさせていただきます。
第1627回 体の中では 変化が
令和6年 4月4日~
こんな話を聞きました。
「
誰かに親切にしたことを、思い出せますか
? 」と
質問すると、多くの人が なかなか思い出せないものです。
ところが、親切をしているという自覚がないまま、
人とすれ違う時に道を譲ったり、道に迷っている人を案内したり、
氣づけば普通にしているものです。
『親切は 脳に効く』(デイビット・ハミルトン著、サンマーク出版刊、
2018年5月30日初版発行)という本があり、そこには
親切な行為を、科学的に検証してみると、本人にも他人にも社会にも
プラスの副作用を もたらすと書かれています。
気遣いや親切は、日本人には当たり前の話で、先祖代々受け継がれ、
遺伝子に組み込まれたもののひとつでしょうが、親切な行いが
気持ちがいいのは 脳内ホルモンのオキシトシンが、増量され
炎症を抑える作用や、心臓を強くし、血圧を下げ、老化を遅らせ、
うつ症状を治すなど、大きなはたらきがあるからだといいます。
あの人は、とても若く見えるとか、どうも老けて見えるなど、
その人の見た目の印象も、親切や・やさしさに包まれた生活を
しているのか、そうでないかで、違ってくるのでしょう。
日頃、親切にすることが出来る人は、自分に対しての親切や、
思いやりにも、敏感に気づくことが出来、感謝の気持ちを
持てるものです。
ありがとうと思う時、脳内では、幸せホルモンのセロトニン、
集中力・意欲アップや幸福物質とも呼ばれるドーパミン、
絆ホルモンと呼ばれるオキシトシン、免疫アップなど脳内麻薬とも
言われるエンドロフィン等が分泌されると言われています 。
南無阿弥陀仏のお念仏は、私のことをいつでも、どこでも、
思っていてくださる方があることに、気づかされ、感謝することばです。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と聞えてくると、数々の思いやりや、
親切に気づかされ、いつも見守ら、励まされていることを実感し、
感謝の気持ちが起こるとき、私の体の中では、大きな変化が起こって
いるのです。
お聴聞をして、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏を口にする生活は、
ここちよく、ありがとうございますと、よろこびを感じられるのは、
こうした体の中の変化が起こっているからなのでしょう。
第1626回 これさえ残せば
令和6年 3月28日~
墓地の草を取っていると、高齢の男性がお参りになりました。
今日は 父親の命日で お参りにきましたと、50回忌もとうに終わり
80年前になくなった父親です。
その方がおっしゃるには、日にちと時間を知らせる目覚まし時計で
起こされたのですが、今日が父親の命日であり、また外孫の
一人の誕生日であることに気づきました。
ご院主さんに教えていただいて、今ユーチューブで、ご本山の
ご晨朝に、毎日あわせていただいていますが、お勤めの後、御文章を
聞きながら思いました。とお話しくださいました。
一年365日ですから、確率は365分の一でしょうが、たまたま
孫が私の父親の命日に生まれています。父から見ればひ孫にあたるのですが、
その孫が、これからの長い人生、どうか喜び多い豊かな人生を送って
くれるようにと願うものの、遠くに住む孫に対して、経済的に
援助してやれるだけの財力もなく、何かしてやりたいものの、
どうしてやることもできません。
そう思っていると、私が子どもや孫を思うように、私の父親や
祖父母も同じように私のことを思っていてくれているのだろうなあと、
思い当たりました。
ご本山の、御文章の拝読を聞きながら、これこそが、親たちが
私に当てた手紙であり、そして、私が子どもや孫に伝えたい内容であることに
気づきました。
お念仏の教えにさえ出会ってくれれば、老病死、いかなる苦しみの時も、
きっと力強く生き抜いてくれるに違いない、これさえ残しておけば
間違いないと思いあたりました。
そこで、孫や子どもが、間違いなくお念仏に出会うことができるように、
はたらきかけてほしい、ご縁をつくってほしいと、お墓参りにきたのです。と。
第1625回 みんな違ってみんないい
令和6年 3月21日~
こんな話を聞きました。
日曜学校の子どもたちに、
赤い丸いものをイメージしてくださいというと、
それぞれに違ったものを教えてくれます。
真っ赤なリンゴ、トマト、イチゴ、太陽、信号機、日の丸の旗、など
いろいろなものをイメージして発表してくれます。
同じ、ことばでもそれぞれに違って受け取るものであることを
教えてくれます。
私たちは自分と同じことをみんな思っていると、ついつい思いがちですが
そうではなく、みんなそれぞれに違った受け止めをしていることが
分かります。
いくら説明しても、あの人はどうして分かってくれないのかと、
悩みをもつものですが、それぞれに個性があり
自分とは同じではないことを、理解しておきたいものです。
そういう自分自身でも、時とところと、時代が変われば同じ言葉でも
まるで違ったものを想い浮かべています。
子どもの頃から、正しい答えは一つと、思い込んで成長してきましたが、
大人になってみると、答えは沢山あるものです。
お経には、青い花は青く輝き、黄色の花は黄色く、赤い花は赤く、
白い花は白く、それぞれに、すばらしく美しく、その香りは気高く
清らかであるとお浄土のことが説かれています。
それぞれの花がいのちをもっていて、自らの色そのままで輝いて
咲くことが尊いことであると語られています。
花の色は、人間の個性をあらわしており、この世の中に
たった一つしかないかけがえのない尊いものです。
他と比べて優劣がつけられるものではありません。
私が私に生まれたということ、そのことが尊く思え、
そして一人ひとりが今、輝いている。
みんな違ってみんないい、そう味わえる人生を
送らせていただきたいものです。
第1624回 いつも 私を
令和6年 3月14日~
知り合いのお嬢さんの結婚披露宴に出席しました。
新郎新婦の紹介が、写真を大きく映しながらありましたが、
新婦さんが、こんな風に話してくれました。
アルバムを開き、多くの写真を見ながら、
どの写真を使おうかと、選び出していたとき、気づいたことがあります。
赤ちゃんの時から、幼稚園、小学校といろいろの行事、
そして、遊園地や海水浴、旅行と家族揃って写った沢山の写真に
兄弟や母親は、写っているのに、父親の姿が、一つもないのです。
知らない人が見れば、父親の居ない家族と思われるでしょうが、
車を運転して、いつも連れていってくれたのは、お父さんでした。
そのお父さんが、どこにも写っていない。
それは、いつも父さんが写真を撮ってくれていたからです。
そう思って、写真を選んでいると、どの写真も、
ただの記念写真ではなく、お父さんのまなざしの記録であるということに
思いあたりました。
当たり前になっていましたが、
いつもあたたかいまなざしの中に、生かされていたことに
写真を選びながら、はじめて気づきましたと
父親への思いとお礼のことばがありました。。
これを聞きながら、
私の周りの多くの人々も、阿弥陀さまも、
どの写真にも写っていませんが、いつも私を見守り、励まして
くださっているのに、気づいていない私がいることに。
私が気づかなくても、いつも見守って応援し、サポートして
くださっているのに、気づかなければ、何でもないことですが、
気づくと、本当に有り難いことだと、感じさせていただきました。
当たり前で終わらずに、多くの思い、はたらきかけに、
気づくか気づかないかで、私の人生は 大きく違ってくることを。
第1623回 はたらき続ける
令和6年 3月7日~
先日 お寺の年忌法要をお勤めしました。そこで、こんな
挨拶をしました。
西蓮寺さま 光明寺さま そして、ご参列くださいました
みなさまのお陰で 前住職の25回忌 前坊守の7回忌法要を
おつとめすることができました。誠にありがとうございました。
次の 33回忌は 8年後、 13回忌までは 6年もありますので、
これは、若い方に、よろしくお願いしたいと思います。
若いといえば、今 若い人の将来の人気の仕事は、ユーチューバー
だそうですが、このひと月 私も ユーチューバーをやっておりまして、
ユーチューブに画像をアップしておりました。
内容は、電話で法話をしておりますものを、動画にしたもので、
親鸞聖人のまとめていただきました、『教行信証』によれば、
お釈迦様が説きたかった、仏さまのはたらきは
お浄土へ往生させる 往相と、 仏となったら、この私たちを導く
還相のはたらきがあるということだとあります。
どんなはたらきか、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と耳に聞こえる
仏さまとなってはたらきかけておられるとあります。
ですから、今日、ずうーうと、はたらきかけ続けていただいていた、
そうした内容を 四、五分でアップしたものを、30本ほど、
現代語訳のお聖教と合わせて 、
120本ほど、アップしております。
一日、300回ほどアクセスはありそうです。
これは、1000人の登録があれば、コマーシャル料の一部を
いただけるそうで、それを期待していますが、現在 521人の段階です。
どうぞ、ご協力くださればありたたいことです。
本日は お忙しい中、みなさま誠にありがとうございました。
孫、ひ孫、ヒイヒイ孫も、参列しておりますので、
仏さまに成られた お二方も喜んでいただいていると思います。
別室で、おときを準備いたしておりますので、そちらへどうぞ、
第1622回 諦めず呼び続ける
令和6年 2月29日~
大阪に行信教校という 浄土真宗の専門学校がありますが、
その卒業生の方が 在学中の校長先生のご法話を思い出して
こんな話をされました。
まだ携帯電話が珍しい頃のこと、新しいもの好きのこの先生は
早速購入されたそうです。しかし、携帯電話の電源はいつも
切ったままだったと言います。
それは、どこからか電話があるのが、イヤで、自分の方から電話を
するとき以外は、電源を入れることはなかったといいます。
ある日、先生が 外出中に、お寺に急ぎの電話があり、
坊守さんは住職さんに、連絡をとりたいものの、いくら電話をかけても
つながらない。
それでも、諦めないで、繰り返し繰り返し、電話をされ、いつか電源が
入るときに、気づいてもらえるように、かけ続けられたそうです。
そして、ついに、重要な急ぎの連絡がとれたことがあったといいます。
そのことを、校長先生は、ご法話で、有り難いことだと気づいたと。
阿弥陀さまも、こっちが電源を入れていなくても、気づかなくても、
絶えず、呼び続けていただいている、いつか気づいてくれるだろうと、
諦めず呼び続けていただいているということに、
携帯電話を通して、阿弥陀さまの有り難さを 改めて
味わわせていただいたとのお話だったといいます。
「心配いらない必ず救う お浄土に生まれさせ 仏にするぞ」との
はたらきかけに気づかずにいるのが 私たちなのでしょう。
それでも、あきらめることなく南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と
呼び続けていただいている。
いつかは気づいてくれることを願いながら、そして、先だった父、母、
祖父母は、阿弥陀さまと一緒になって、一日でも早く気づいてくれ、
気づいてくれと呼び続けていただいている。、
そして、南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏の呼びかけに気づくことが出来れば、
平凡なつまらない、当たり前の人生ではなくなりますよ。
仏さまになるこの身であることに気づかされ、人生の受け取り方が、
生き方が違ってくるものですよと、
はたらきかけ続けておられるのです。
私のことを、諦めず呼びつつけていただいているのです。
自分だけのいのちではなく、仏さまになる尊いいのちを今
生かされているのですと。
第1621回 ける かるのご法話
令和6年 2月22日~
こんな 話を聞きました。
「ける・かる」という お話です。
ある法座で、連続してご法話があり、最後のご講師の
時間が無くなってしまいました。
そこで、ご住職さんは、大変申し訳無さそうに、
終わりの時間も迫っていますので、ご法義を短く、一言で
お願い出来ませんでしょうか、お頼みしますと。
その先生は分かりましたと、うなずき登壇されました、そして、
ご門徒を一通りご覧になり、
「ける、かる」とおっしゃって、「肝要は ご文章で」と、
ご文章を拝読され、降壇されてしまいました。
一瞬の出来事に、ご門徒は唖然とするばかり、
驚いたご住職さんが、あわてて講師控室に伺って
誠に申し訳ありませんでした。ご無理を申して、でも
どうゆう意味なのでしょうか。「ける・かる」とは、恐縮しながら
お尋ねしました。
「一言でとのことでしたから、一言で話したまでのことですよ」と、
ご住職は、どういうことでしょうか。と
ご講師は、「ける」とは、阿弥陀様のお喚び声、はたらきです。
それは、私の行為や努力に関係無く、必ず救ってくださる。
阿弥陀様は、助けるの仏さま、つまり、【助(ける)】の、けるです。
そして、「かる」とは、私の側の話です。
その阿弥陀様のお救いに私たちの疑いや、はからいを、持つ余地もなく
南無阿弥陀仏で、私は、ただ助かるのです。
つまり、私の方は【助(かる)】、ただ助かる(救われる)だけ。
ですから、かるです。
阿弥陀様は、私を助けるのける、
私の方は、 助かる、かるです。
そこで、「ける、かる」と一言お話いたしましたと。
これ以上短い法話はないでしょう、これこそが浄土真宗の神髄です。
「ける、かる」に込められた阿弥陀様のお心、すべての人を救うという
阿弥陀さまのはたらきのお話です。
第1620回 赤ちゃんに聞く
令和6年 2月15日~
西本願寺のお晨朝のご法話で、こんな話に出会いました。
ある布教使さんが、布教のため海外に出かけられた時のこと、
ご法話の後に、質問の時間があったそうです。
そこで、ある若いご婦人が、「お任せする、阿弥陀さまに任せる」
ということは、どうゆう事ですかとの質問があったと言うことです。
外国の人に、どのように説明すれば理解していただけるか、
一瞬迷ったものの、質問した方が赤ちゃんを抱いているのに気づき、
「その答えは、抱っこしているあなたの赤ちゃんに聞いてみてください」と
答えられたということです。
赤ちゃんは、母親を信じ切って、すべてを任せて安心して抱かれています。
お腹がすいたら泣けば、間違いなくおっぱいがもらえます。
何の疑いもなく母親に任せきりで生活しています。
同じように 私たちも、阿弥陀さまにおまかせして生活するのが、
浄土真宗の教えとの味わいでしょう。
ところで、思い出すと、赤ちゃんも成長し、少し知恵がついてくると、
なかなかそうもいきません。
小さな子どもを、遊園地に連れて行ったとき、ジャングルジムにつかまり、
年上の子をまねて、どんどんと登っていき、一番高いところにまで登りきり。
振り向いて、親がいることを確認し、自慢げに一瞬笑顔をみせますが、
その高さに気づき、怖くなって、ついには泣き出してしまう子がいます。
「大丈夫、自分で登れたんだから、ゆっくり降りて来なさい」といっても、
怖がって、棒にしがみつき固まってしまいます。
親が、いくら呼んでも、泣くばかりで身動出来ずにいます。
親が上まで登っていき、体を支え、手を持って棒を持ち変えさせてあげると、
一つずつ、ゆっくりゆっくり、降りることが出来るものです。
阿弥陀さまは 南無阿弥陀仏と私を呼び続けておられます。
心配要らない大丈夫、今やれることを精一杯やればそれでいい、
南無阿弥陀仏を口にして生活をしなさい。間違いなく救うから安心しなさいと。
怖くて立ち止まり、どうすることもできない時も、大丈夫 大丈夫と
呼びかけていただいています。
高いところに登って怖がっている子どものように、立ちすくみ心配して、
動くことが出来ない時でも、その声に励まされ、次へ進むことが出来るのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の声は、大丈夫、大丈夫と
阿弥陀さまと一緒になって、父も母も、南無阿弥陀仏と
呼びかけてくれているのです。
貴方と同じように、悩み苦しみ 悲しみながら、母さん達も
生きた来たんだよ、大丈夫、南無阿弥陀仏で大丈夫だから、
心配せずに大丈夫だよと、呼び続けていただいているのです。
第1619回 遺伝に加えて
令和 6年 2月8日~
間違えて、うかつにも別のお宅にお参りする途中で気づき、
慌てて、本来のお宅に電話をして遅れて伺うことになりました。
たまたま土曜日で 80歳代のご主人と 隣の住宅に住む
50代の息子さんが一緒にお勤めをしてくださいました。
「会社の方はどうですか、若い方は なかなか大変でしょう」と
話しかけると、「今の若い人は よく分かりませんよ、
男までも 髪をそめるし、爪にまで色のついたマニキュアはしてくるし」
と、笑いながら答えられました。
「手は汚れる仕事ですか、手袋はするんでしょう。」
「油が付くので 手袋はしていますが、どうも理解出来ない」と。
でも、考えると ライオンも鳥たちも メスより 雄の方が
立派で 目立つようですね。
動物は 本来 雄の方が 目立つように 選ばれるように頑張るものかも
しれませんね。と話しながら おもいました。
動物たちは 本能 遺伝子で、生き抜く智慧を、次の世代に伝えて
いくでしょうが、人間はそれに加えて、言葉を使って 文字を使って、
より多くのことを伝達してきたのではないかと思いました。
それが、現代は 表面的で利己的な動物的な本能は伝わっているかも
しれませんが、精神的なこころの有り様の伝承は はたして出来て
いるのだろうかと思えてきました。
宗教というものは、特に 南無阿弥陀仏の教えは、人間が動物ではなく
人間として 生きがいを持ち よろこびを感じ、協調して生きていく
その力を 次の世代に伝えようとするものであり、それが、はたして
現代は うまくいっているのか。
だんだんと、動物的な本能をむき出しにした、価値観が中心になって
いっているのではないかと、思われます。
すべての人が、人間として充実して喜び多く、生きていることが、
有り難く感じられる、そうした価値観が忘れられ 消えつつあるように
思えてなりません。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は 先輩達が伝え残したかった、
人間の本当のよろこびを 感じ味わう力を受け継ぎたかったのだろうと
思います。
もっとも大事なものを 残し相続してほしいと。
第1618回 遠くて 近いのは
令和6年 2月 1日~
日頃 車でばかり移動していますが、忘年会や新年会
お酒を伴う会合では 自分の車で出かけるわけにはいきません。
研修会など、1時間以上かけて遠くから参加される方、
特にお酒の出る会合では 悩まれることだろうと思います。
先日、久しぶりに、ひとり、てくてくと歩きながら、
一休さんと 蓮如上人の逸話を思い出しました。
浄土三部経の一つ 「仏説阿弥陀経」には、
「ここから西の方へ十万億もの仏がたの国々を過ぎたところに、
極楽と名づけられる世界がある。そこには阿弥陀仏と申しあげる
仏がおられて、今現に教えを説いておいでになる。」と
説かれています。
そこで、一休さんは
極楽は十万億土と説くならば 足腰立たぬ婆は行けまじ と
読まれたと伝えられています。
お念仏の教えは、阿弥陀さまのはたらきである他力というが、
お浄土までが、十万億の仏の国々を超えた世界であるのならば、
とても、老人ではたどりつくことができないではないか、との
皮肉がこめられた歌とも取れます。
それに対して 蓮如上人は
極楽は十万億土と説くなれど 近道すれば南無のひと声
一休さんは 修行してさとろうとする 聖道門の方ではありますが、
阿弥陀さまの他力のお念仏の教えに 好意的で 理解されていたのだと
思います。
そこで、庶民の疑問をうたでよみ、蓮如上人がどのように
答えてくれるのかを 楽しみに 問われたのでしょう。
お釈迦様の教えも お弟子さんの問いに答えて説かれたものが
ほとんどと言われます。
仏教の教えは 問題意識 問いがなければ とても伝えることのできない
大きく深い教え、漠然と聞くのではなく、人生、毎日の生活の
老病死をはじめ、苦悩の中で 問いを持ってお聴聞すると
私のための教えであったと 納得いくものです。
どんなに遠くにあろうとも、南無阿弥陀仏のお念仏一つで 仏の国に
生まれ、今度は 人々を救うはたらきに従事するのだよ、待ってるよと、
私の大切な人々が 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と 見守りながら
よび続けていただいているのです。
第1617回 梅は こぼれる 菊は 舞う
令和6年 1月25日~
早いもので 境内の紅梅、白梅ともに 開きはじめました。
日本語には 豊かな表現があり、梅の花は 丸く咲き ちょうど
涙のように見えるので 花が散ることを 涙がこぼれるようだと
梅の花は こぼれると言うのだそうです。
昔から〝桜散る こぼるる梅に
椿落つ 牡丹崩れて 舞うは菊なり“と
この他 朝顔は しぼむともいいます。
「しぼむ」、「落ちる」「くずれる」等、花びらの変化を表した
味わい深い表現です。
では どうでしょうか、私たち人間の最後は……? と聞かれると
私たちはついつい「死ぬ」と答えてしまいます。
また「人間死んだら終わり」ということも耳にします。
しかし、いのちの終え方は「死」や「終わり」だけではなく、
違った言葉があるものです。それは 「往く」という表現です。
花の終わりも、言葉で雰囲気が違って聞こえるものですが、
私たちの終わりも、表現することばで、大きく違ってくるものです。
「往く」の元になっている言葉は、「往生」です。
私たちのお仏壇のご本尊、阿弥陀如来が、私たちの為に開かれた
救いの世界、お浄土に往き生まれることを「往生」と言います。
人間がいのち終えることを、「終わりだ」「死だ」と表現するのは
私たちの見方。
一方で、阿弥陀さまは「仏としてのいのちの始まりだ」
「生まれるんだ」と、私たちに呼びかけておられるのです。
阿弥陀さまは、死で終わりではないよ、自分の国、
お浄土に往生させ、仏さまのいのちへと実を結ばせたいと
願いを発して、はたらき続けてくださっています。
私たちは、美しく咲く花だけしか見ていませんが、花は 咲きほこり
やがて枯れて、散ることで、実を結ぶことが出来るのです。
その果実が、次のいのちを生かしてゆく、重要なはたらきをするのです。
仏さまへと実を結ぶと、今度は 慈しみをもって多くのいのちを包み、
育み、導いていくはたらきが出来るのです。
先立って仏さまと成られた方々の ご苦労で はたらきによって、
お念仏に 南無阿弥陀仏に 出会えたのが、この私なのです。
そう考えると、人間に生まれて、今 花をさかせていますが
南無阿弥陀仏のお念仏で、やがてお浄土に往生して、仏に成る、
そして人間の時よりも、もっと大きな 重要な はたらきができる世界に
生まれるのです。
今、まだ助走中で これからが 本番、大事なはたらきが、
本来のはたらきができる日も近いのです。
第1616回 渋柿の渋
令和6年 1月18日~
渋柿の 渋がそのまま 甘味かな
という句があります。
私どもの寺院の境内に 甘柿と渋柿の木があります。
青い間は甘柿も 渋くてとても、食べられませんが 赤く色づいてくると
渋味が取れて、食べることができるようになります。
一方、渋柿の方は 赤く色づいても渋がのこり、完全に熟してぶよぶよに
柔らかくなってしまうまで、渋みが残っています。
色づいた渋柿をもぎ取り、皮をむいて 軒先に干していると だんだんと
甘みが出てきて、甘柿以上に甘みが強い 干し柿が出来上がります。
干し柿の渋がぬけるのには、太陽の光や冷たい風、夜露などの力
自分の力ではなく 大きな自然の力、はたらきによって
変えられていくのです。
ご和讚に
罪障功徳の体となる こほりとみづのごとくにて
こほりおほきにみづおほし さはりおほきに徳おほし
(『高僧和讃』曇鸞讃 『註釈版聖典』585頁)
氷が多ければ多いほど とければ水が多いように、渋が多い渋柿の方が、
甘柿にくらべて甘みが強くなるものです。
私たちも 悩み苦しみ悲しみ、怒り腹立ち煩悩が多い人ほど よろこび多い
人生へと転じられて、味わい深い人生に変えられていくことでしょう。
仏さまのはたらきを 光であらわしますが、干し柿も 光や風のはたらきで
大きく変化させてもらうのです。
氷も 光や風 暖かさでとけてくるものです。
仏さまの大きなはたらきを 繰り返し聞かせていただき お念仏の生活を
はじめてみると、煩悩一杯の私が、渋一杯の柿が、少しづつ甘みが強くなる
ように、変化していくのが、味わえてくるものです。
渋が甘みに変えられていくように、煩悩が喜びに変えられていくこの教えを
素直に受け取って 悩み苦しみ悲しみから 転じられ、有り難い充実した
人生を 南無阿弥陀仏とともに 送らせていただきたいものです。
第1615回 ただ念仏して
令和6年 1月11日~
これまで 私どものお寺での ご正忌報恩講では
御絵伝を写真にとって プロジェクターで投影しながら
親鸞聖人のご苦労を、四幅の絵像を、二日間にわけて
解説していました。
今年は、本願寺派の総合研究所で作成された 「はじめての歎異抄講座」
を、アレンジしてのご正忌報恩講にしたいと 今 準備しています。
歎異抄の魅力についての項目や 歎異抄の概要と構成などの説明につづき
歎異抄誕生の背景 親鸞聖人のご生涯から という項目があり、その中に、
比叡山で厳しい修行をし、煩悩を無くして、さとりを開こうと
親鸞聖人は、20年間、努力されてきたものの、どうしても煩悩を
無くすことが出来ず、悩まれていました。
そして、得度した青蓮院の近く、吉水の法然聖人の元を訪ねられると、
そこでは、比叡山とはまったく違って
「阿弥陀仏の救いの前では、煩悩は邪魔にはなりません。
阿弥陀仏は どんな人もわけへだてなく、お救いくださるのです。」と
そして、命懸けの厳しい修行するのが仏教の常識であるのに、
「ただ念仏して阿弥陀仏に救われ往生させていただくのですぞ」との
ことばに 非常に驚かれたことでしょう。
そこには、比叡山とはちがって、僧侶ばかりではなく、
商売をする普通の街の人たち、女性も その話を聞いて、
よろこびお念仏をしている人たちがいたのです。
仏さまは すべての人を救おうとされる、すべての人を
救うには、誰でもできる方法、それはこれしかないと、お念仏に
生きる道を選ばれたのです。
自分の力で さとりを開くのが仏教ということを信じて、
励んでこられたのに、人間の力を頼っては、すべての人が
すくわれることはなく、
仏さまのはたらきによらねば、お念仏でなければと
確信されたのです。
阿弥陀さまは 信じさせ お念仏させて お浄土に往生させたいと
はたらき続けておられることを、親鸞聖人は、かずかずの書き物を残し、
私たちに 教えていただいているのです。
第1614回 生かされている不思議
令和6年 1月4日~
こんな話を聞きました。
築地本願寺の朝の法話で ある布教使さんが
お話しいただきました。
あるお寺にうかがった時 有り難い尊い方とお会いしました。
それは、ご年配の方ではなく、20歳の青年でした。
ご法座が始まるまでの 短い時間でしたが、
その青年は 自分が生まれたときのことを話してくださいました。
わずか八百グラムの未熟児として誕生したのだそうです。
そして、すぐに集中治療室に入れられ、無事成長出来るかどうかわからない
退院出来ても、何歳まで 生きておれるか分からないと、
両親には告げられたということです。
その私が 20歳を迎えることができたのです。
これは みなさんのご苦労、多くのご縁のお陰です。ですから、
私は、みなさんへご恩をお返していくことが、勤めだと感じています。
こう青年は 話してくれたそうです。
生きていることが当たり前で 感動もない人生をおくって
いますが、その青年の言葉に、今日まで両親をはじめ
自分の知らない多くの人々のお陰で 今 生かされているということに、
改めて気づかせていただきました。
そして、その青年は そのご恩返しをするのに
自分が出来ることは何かというと、
お聴聞することだと思っていますと言わて
また驚ろかさせられたといいます。
ご恩返しに何が出来るのか それはお聴聞することだと思と
その20歳の青年は いうのです。
仏さまのお話を聞かせていただくことが、ご恩返しであると。
言われてみると、お聴聞することで、気づかないでいる
多くのご恩に気づかせていただく、そうすることで
自分がやるべきことが見えてくるのは確かだなあと感じました。
南無阿弥陀仏のお念仏を聞く度に 私に はたらきかけていただく
数々の力に 気づかせいただくことで、この人生は もっともっと
有り難く 素晴らしいものであることに気づくことが出来、
平凡な人生ではなく、当たり前の人生ではなく なんと多くの願いに
包まれて これまで生かされてきたのかを
改めて 味わわせていたくことが出来るのです。
第1613回 卒業式 入学式
令和5年 12月28日~
こんな話をききました。
お通夜は 人生の卒業式、お葬式はお浄土の入学式。
という お話です。
年末の忘年会の帰り ある人は 今年も もう終わりかーあ
この一年早かったなーと 言う人
まもなく新年か 準備をはじめるかあという人もあり様々です。
春が来て 卒業式。
友だちと別れるのが悲しいと 感傷的になる人があります。
これから、中学校や 高校 大学 あるいは就職と
新たな世界へ旅立っていくのだと、新たな未来を思う人もあります。
これと、同じように、この世で いのちが つきてお別れするのも、
これですべてが終わってしまったのではなく、阿弥陀さまの国
お浄土への旅立ちをするのだと、思える人もあります。
お浄土へ生まれたら、自己中心の私でも、他の人のために頑張るのが
よろこびの利他的な仏さまのはたらきが出来ると喜ぶ人もあります。
死ぬんじゃないよ、生まれていくのだと。
仏さまの国(浄土)に生まれる、いのちの故郷に、
父母がまっていてくれる世界に往くのです。
往き生まれるのです。
生まれるのですから、めでたいことです。
現在でも滋賀や福井のある地域では、お通夜に赤飯を炊くところが
あるそうです。
お通夜は亡き人の死を悼み、ご苦労さまでしたと、
そのご苦労をたたえていく人生の卒業式。
そして、お葬式はお浄土の入学式だというのです。
死んで終わる人生は 寂しいものです。
人生の行き先がはっきりしなければ、いのちの行き先が
見えなければ不安でしかたがありません、真っ暗闇です。
それでは、寂しく虚しく死んでいくしかありません。
念仏者は光の国であるお浄土に生まれるのですから
安心して命終えていけるのです。
懐かしい人と再会出来る、倶会一処のお浄土に
生まれていくのですから、先に往き生まれた方々と
また会うことができるのです。
「待ってたよ」「ご苦労さん」「お帰り」と迎えてもらえる、
いのちの故郷に生まれていくのです。
そう味わうと、歳をとることも喜びとなってくるものです。
明るい未来が 開けてくる、
期待され待たれている私であることを 感じ取れるのです。
第1612回 育ち盛り ~いつも私を~
令和5年 12月21日~
2歳になる外孫が 時々訪ねてきます。
先月 妹が誕生して 誰もが 自分の方を見ていたのが
今は、赤ちゃんの方へも みんなの目が向かっていきます。
母親が赤ちゃんのお世話をするのを、横目でみながら、
ちょっと淋しそうです。
母親を独占して遊んでいるとき、赤ちゃんが泣きだすと
慌てて 赤ちゃんのお世話に向かう母親に あまえて
「抱っこ抱っこ」と だだをこねています。
自分の方を向いてほしい 赤ちゃんよりも自分を大事にしてほしいと
ぐずり出します。
夕方 父親が仕事から帰ってくると、その父親を独占して とても
嬉しそうです。自分だけを抱いて、食事の世話をして、遊んでくれる父親が
一緒なのがとても嬉しく、満足そうに見えます。
これを見ながら 大人になっても 自分のことを一番大事にし、
自分をいつも見守ってくれる人がそばにいると、とても安心なの
だろうと思います。
高齢の方で、歳をとると いろんなものを失っていきますが
歳を取ることによって、はじめて気づく、目覚めることも
あるのですね。とおっしゃる方がありました。
仏教を聞くことで、お聴聞することで、仏さまにお育ていただいて、
70歳で気づくこと、80歳でわかることもあるもので、
自分は 今、子どもの時のように、精神的には
ずうーと 育ち盛りだと感じています。
年を重ねることが、今は喜びとなってきましたと。
南無阿弥陀仏を聞くと ひとりぼっちではなく、 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏の阿弥陀さまは、 先だった親たちと一緒になって
いつも一緒だよ、ここにいるよ、
南无阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と呼びかけてくださっている。
姿は見えませんが、触ることはできませんが、ここにいるよ
かあさんはここだよと、子どものころに聞いた声を思い出しています。
運動会のときの 応援の声のように、暗闇で怖いとき
大丈夫だよと、声をかけてもらった時のように、
いつも 私を見守っていて 一緒に居てくださるように思えています。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は 私を呼び、応援してくださる
言葉です。
一人で淋しいとき 困ったことがあったとき 嬉しいことがあったとき
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏が聞こえると もう一人ではなく
いつも私を見守ってくださっている方が 一緒であるように
思っていますと。
お話下さった方がありました。
第1611回 何がしあわせ
令和 5年 12月14日~
あるお寺の掲示板に
何のために生まれて 何をして 生きるのか
答えられないなんて そんなのは 嫌だ!
と 書かれていました。
これは 仏教のことばのようにも聞こえますが
もう何十年も前から 子どもたちに 人気のマンガ
アンパンマンの挿入歌の一つ
「アンパンマンのマーチ」一節です。
その歌の出だしは
そうだ うれしいんだ 生きるよろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも とあります。
人生は それぞれの受け取り方で大きく違ってくるものです。
何が しあわせで 何が よろこびか
探し求める 一生を みんな送っているのでしょうが、
それが分からずにいる人が 現代は 多いのではないでしょうか。
先輩たちは それを 宗教で確認していたのでしょうが
本物の宗教を知らない人が多い 現代の人々は
一生わからないまま 終わっているのではないでしょうか。
「終活」という言葉が、よく聞かれます。
「子どもに迷惑を かけないように」と、自分の世代で
すべてを解決して終わらせておこうということでしょうが、
一番大事なことは 子どもたちに しあわせとは何かを
確認する方法を しっかりと残え残しておくことでは
ないでしょうか。
いろいろの宗教がありますが、自分の親たちが口にした
南無阿弥陀仏の教えを 子どもたちに、伝え残すことが
父や母、そして祖父母や 多くの先輩が最も喜んでくださる
ことではないでしょうか。
お念仏の人は 死んで終わりではなく お浄土へ生まれ
仏となって この私をずうつと導いてくださっているのです。
それに気づかずにいる私ですが、お聴聞をすると、
仏さまのお話を聞くと、そのことを
繰り返し 繰り返し 教えてくださいます。
それは 先輩たちの呼びかけ、阿弥陀さまと一緒になって
私が進むべき方向を、目標を 生きる目的を知らせていただいて
いるのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏を口にし、耳に聞くことで
何のために生まれ 何が幸せかを はっきりと確認し
生きるよろこびを ほんとうのしあわせを 知ることが出来るのです。
第1610回 自分が居なくても
令和 5年 12月7日~
60年前 希望を持って会社に入り、3ヶ月ほど新人研修を受けました。
現場から来て講義してくれる先輩、研修所の教授として、系統だって
専門教育をしてくれる先生、それぞれの経験を精一杯伝えてくれました。
そんな中で、こんな話をした方があります。
「君たちは 自分が居なくてもちゃんと動く組織を作りなさい。
何でも自分でやっていると、そこに塩づけになって
出世できないぞ」
チームにとって、無くてはならない有能な
社員になろうと思っているのに
どうゆう意味だろうかと、疑問に思ったものです。
創造的な能力を発揮するチームは
知識も技能も経験も優れた者が責任者となりますが、
やがて、その技能を超える力を持つ者が現れてきます。
その時に、自分の立場を護ろうとする責任者は
折角育ったその後輩を評価せずに、はじき出してしまうものです。
一方、自分と同じ能力を持つものが育ってきたら
自分がそのチームを譲り、次のチームを作るために
離れていけば、実行力のある素晴らしいチームが
もう一つ新たに出来てくるものです。
人間は自分の立場に固執したいものですが、
そこに安住せずに次を目指せ、それが組織全体を強くする
そう言いたかったのではないかと、今思います。
いつも自分が中心で、周りをリードするのは
心地良いものですが、そこに安住せず、次を目指して
新たな挑戦をしてほしいとの願いだったのでしょう。
お寺には、住職や女房役の坊守さんがいますが、
次の世代が育ってきたとき、どう引き継いでいくのか
前任者は完全に手を引くのではなく、今まで出来なかった
個々のご門徒との接触を密にするなど、新たな仕事を開発して
いくように努力することが大事ではないか。
考えると 阿弥陀さまは、すべての人を救うには、
自分と同じ能力を持つ仏をつぎつぎと新たに作り、
一緒になって人々を、救うはたらきを続けようとされている。
そう考えると、私の出来ることは、まだまだあるはず、
救われていない人が沢山いるのです。阿弥陀さまの仕事は
そして、それを助ける諸仏の仕事は、完結することなく
永遠に続くのです。
第1609回 里帰り 「あら お帰り」
令和 5年 11月30日~
西本願寺の朝のおつとめ、ご晨朝をユーチューブで拝見し、
こんなご法話を聞きました。
あるお寺の掲示板に こんな言葉がありました。
「里に帰れば 親がいるのではない 親が居るところが 里である。」
里とは ふるさとのことで、親というのは、両親はじめ
お世話になった なつかしい方々のことでしょう。
父親が亡くなって、実家には 母親が一人で 住んでいました。
その母が、ひと月ほど入院したことがありました。
その時、実家に帰り、ゴミ出しや掃除をしていて、母のいない実家は
いつもと違って、とても淋しく感じたものです。
コロナ感染症の流行する以前のことで 病院は自由に見舞える時でした。
病室を訪ねると
「ごめんね、忙しいのに、こめんね ごめんね」と、何度も口にしながら
迎えてくれました。
何度か病院を見舞ったある日のこと、母親は穏やかな顔をしていましたが
私の顔を見るなり「あら、お帰り」と声をかけて、笑いながら、
「ここは 病院やったね、おかしかね」と。
「こめんね」の言葉より、「お帰り」の言葉に、こころ和みました。
私は、顔を会わした時だけしか、母のことを思っていませんが、
母の方は いつも私のことを思っていてくれていて、
帰ると、「お帰り」と おやつを出してくれたことを思い出しました。
この母親とおなじように、阿弥陀さまは
私が忘れていても、いつも私のことを心配し、思って
くださっているのだといいます。
母を亡くした今、「お帰り」と迎えてくれるのは、
故郷ではなく、お浄土にいる親たちでしょう。
こちらが忘れていても、私のことを思い、そして、お帰りと
迎えてくれる 母が、父が 祖父母が 待ってくれている
お浄土があることを 有り難く感じています。
「里に帰れば親がいるのではない、親がいるところが里である」
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏とお念仏するとき、
阿弥陀さまは そして、お浄土の親たちは いっしょに
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と呼びかけ
私が元気に活き活きと生活していることを、よろこんで
お浄土で、待っていてくれることでしょう。
第1608回 プレゼンの原語は
令和5年 11月23日~
こんな話をききました。
現在は プレゼンテーション、プレゼンの時代。
相手に正確に情報を伝え、商品を買ってもらったり、
仕事の発注を受けたり、受取り手が、何らかの行動を
起こしてもらえるように、働かけすることが
重要とされています。
プレゼンテーションの語源は英語の「present(プレゼント)」で、
動詞としては、「提示する」「示す」「進呈する」という意味を持ち、
相手に渡して 喜んでもらうもの、相手が幸せになるものを
送ること、伝える言葉であるといいます。
プレゼントは 相手が 欲しかったもの、期待していたもの、
予想もしなかったもので 頂いて喜んでくれるものでないと、
意味がありません。
ですから、プレゼンは、受取り手、聞き手の立場に立って、
分かりやすく伝えることが重要となるのです。
「聞き手の要望をしっかりと認識し、伝えたい内容を
分かりやすく説明する」
「聞き手に自分が望む意思決定を行ってもらうためにも、
それに見合った明確な提案」をするなど配慮が必要です。
浄土真宗のご法話も 一つのプレゼンテーションでしょうが、
はたして聞く相手が喜ぶもの、期待しているものに
なっているでしょうか。
阿弥陀如来さまは、私たち全員に、もれなく プレゼントを
贈っていただいているのです。
それは、ものではなく、南無阿弥陀仏という言葉で、是非
聞いてほしいと、はたらき続けてくださっているのです。
私たちすべてのものを必ず救う、お念仏を口にして、
お浄土へ生まれさせ、仏にしたいと、呼びかけ、はたらきかけて
いただいているのです。
そのことを、みんなにわかるように、お取り次ぎ
しているのが、ご法話です。
お話を聞いている人が、自分の為の贈り物であり、
自分が目当てであり 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏で、
間違いなく 親も祖父母も行っている、お浄土へ生まれることが
出来ると、喜べるようにとお話しているのです。
聞いていてくださる方に、それが届くように、言葉のプレゼント
お浄土への招待状を配達し、南無阿弥陀仏のお念仏を
お渡しているのが、浄土真宗の
ご法話です。
第1607回 逃げ回る 落ち葉
令和5年 11月16日~
門前の駐車場をアスファルトで舗装し、大型の量販店のように
車と車の間に、U字の二重の白線を引いていただきました。
身近なコンビニのように、たびたび、いつでも、お寺にお参して
いただけるように、高齢者でも、駐車しやすいようにと、
車の間隔も、少し広めにとってもらいました。
これまでの砂地の駐車場ですと、松葉箒で落ち葉も簡単に
集められましたが、真っ黒のアスファルトは、落ち葉やゴミが目立ち、
追われるようにたびたびお掃除をしています。
雨の後、紅葉した葉っぱが一面に広がり、小さなホウキで
掃除をしている時、風に吹かれて逃げ回る落ち葉や、
地面に張り付いて、なかなか動こうとしない、
しぶとい濡れ落ち葉などを、掃き集めながら思いました。
わずか10数台の駐車場でもこんなに苦労しているのに、
阿弥陀さまは、ありとあらゆる人々を、一人残さず救いとると
はたらき続けておられるのに、私たちは、逃げ回り、
そっぽを向いて、従わないものばかり、とても大変だろうなあと、
味わいました。
阿弥陀さまだけではなく、私の父母、祖父母、曾祖父母、みんな
そろって南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と、呼びかけて
いただいているだろうに、忙しい忙しいと聞く耳を持たず、
素知らぬふりをして、逃げ回っていることで、大変、
ご苦労が多いことだろうとつくづく感じます。
今度は、私が仏になって、子どもや孫、多くの人々へ
はたらきかける立場になるということですが、
濡れ落ち葉のように、地面に張り付いてなかなか動かぬものや、
ひらひらと風にあおられて逃げ回る、木の葉のように、
それでも、一つ残さず、一人残さず、救わねばおかぬと
はたらきかけることを、遊ぶように、生きがいをもって
はたらきかける、そんな仏さまにしていただくと思と、
今、ご苦労をかけていることに、申し訳なく
感じています。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 風に吹かれて逃げ回る
落ち葉のように、どうしようもないこの私を、間違いなくお浄土へ
生まれさせて、仏さまにするというはたらきを味わい
有り難く喜ばせていただきたいものです。
第1606回 まだ 間に合う
令和5年 11月 9日~
こんな話を聞きました。
腰が曲がった高齢の住職が、導師を勤められた葬儀でのこと。
朗々としたお勤めの後、振り返り 持っている中啓で、
喪主のご長男さんを指して
「お前さん お前さんは 親孝行したかい」と
おっしゃったといいます。
東京に住む長男は、なかなか郷里へは帰れず、今回も
お父さんが亡くなったとの知らせを受け、慌てて
帰ってこられたのです。
突然の住職の言葉に、喪主の長男さんは、肩を震わせて、
泣きはじめられたそうです。
「お前さん、まだ間に合うぞ、親孝行はな、これからでも
間に合うぞ・・ 大丈夫じゃ。
お前さん、お念仏したことあるかい。
お浄土で 仏になられたお父さんはな、
お前さんが、南無阿弥陀仏を口にしながら、阿弥陀さんと
一緒に生きていく姿をみるのが、一番嬉しいんじゃ。
大丈夫、まだ、親孝行は出来る まにあうぞ 」という
有り難いご法話だったといいます。
親が一番喜んでくれるのは、遠く離れていても
子どもが生きがいをもって、活き活きと生活していることです。
それには、阿弥陀さまの願いを聞いて、願いにかなう
生き方をすること。
お浄土へ生まれた、両親やご先祖は
子どもや孫たちが、活き活きと、喜び多い人生を送ってほしいと
はたらきかけておられるのです。
今からでも、まだ間に合うのです。
南無阿弥陀仏を口に、阿弥陀如来の願いを聞き、
親が喜んでくれる生き方をすること
それが、私に今、出来る親孝行なのです。
第1605回 組織は 人で
令和 5年 11月2日~
2年に一度、組の総代会の会員の追悼法要の会所になりました。
今回は、4人の方々を ご縁とする法要でしたが、こんなお話をしました。
みなさまは、これまで いろいろな組織に所属してこられたことと存じます。
自営業の方もいらっしゃりましょうが、会社であったり、地域、ボランティアや
趣味のグループなど、さまざまな組織の中で活躍され、あるときは責任者だったり、
二番手であったり、実務的な立場であったり、いろいろの経験をお持ちのことと思います。
私も 僧侶 30年以上勤めておりますが、その前に 厚生年金が頂戴できるほど
サラリーマンをしておりました。
たびたび転勤をいたしましたし、さまざまな職場、多様なプロジェクトに所属しましたが、
組織は、まさに人でありまして、その所属メンバーの構成によっては、
いろいろの対応に迫られたことを思い出しております。
普通の組織ですと、管理能力が高い者を もっとも経験豊かな者を
責任者にいたしますが、
お寺の場合は そうはいかないことも多く、世間のことに、どちらかといえば、
精通していない、世間に うといご住職であったり、
あるいは若い住職だったり、こうした責任者を、なんとか支えて、財政面でも、
人を集めることでも、総代の皆さま方、並並ならぬ ご苦労をかけているであろう
と存じます。
これが、営利目的の会社などでしたら、目標の設定や、成果を測ることができますので、
みんなで同じ方向へ向かって進んでいけますので、ある面、運営がやりやすいものでしょうが、
目的が、ご門徒のみなさんをまとめ、念仏繁盛をめざすという、
宗教団体は なかなか難しく、また、昔のようにご門徒のみなさんも、純粋、純朴では
なくなってきましたので、総代のみなさま方に大変ご苦労をかけていると思います。
今回、四人の総代さんの追悼法要ですが、この後、それぞれの方の思い出も
ご披露いただくようですが、どの方も、陰になり日向になり、本当によく
ご尽力いただいた方々ばかりでありました。
ご遺族の皆さまのお宅でも、大黒柱が亡くなられて、とても大変でしょうが、
お寺でも、とても貴重な存在でありまして、おられなくなって
その後を、残された方々がカバーしていただいておりますが、
尚一層ご苦労をおかけしていることでしょう。現役の総代の皆さまも、
本当にありがとうございます。
これからも、皆さまのお力で、寺院を 護持していただけいますよう、
お願いいたします。
とともに、ご遺族の方も、ご主人さま、お父様が がんばっていただいたように、
その意志を受け継いで、お寺のお世話役、ひいては、
総代を引き受けていただければ 誠にありがたいことだと、存知ますし、
先だった方が、喜んでいただくことではないかと、味わっております。
第1604回 今 困っても
令和 5年 10月26日~
浄土真宗の特徴の一つは、全員で声を出して読経することです。
今から 500年前の蓮如上人が、日常の勤行を誰でも
お勤めしやすいようにと、親鸞聖人のまとめられた
教行信証の中の偈文 正信偈と、ご和讃の繰り読みに
定めていただきました。
それまでは、一日に六回お勤めする六時礼讃という、有り難いものの
すくし難しいお勤めでしたが、みんなが容易におつとめ出来るよう
変更されたのでした。
ご本山では 毎朝六時からご晨朝がつとまり、その様子は
ユーチューブで配信されています。
また、東京の築地本願寺では、朝7時からのお勤めも
ユーチューブで見ることができます。
ご本山では、まず阿弥陀堂、続いて御影堂での
お勤めがあり、6時45分ごろから
全国各地の布教使さんによる、短いご法話もあります。
築地本願寺の場合は、7時半ごろからご法話があります。
北海道からこられた若い布教使さんが、
こんなお話をされました。
今日は 今から50年前の、日本で4人目のノーペル賞を
江口玲於奈さんが受賞された日です。
コンピュータなどで使われる半導体、ダイオードの
研究者だそうです。
子どもの頃から大変優秀な方でしたが、なぜか中学受験に
失敗し、高等小学校へ進学、それから再度、中学校を
受験されたそうです。
その一年間に、外国から来た先生にであい、幅広いものの
見方と、英語を学ぶことが出来たことで、アメリカでの研究など、
将来大きく役だったと、後に語っておられます。
研究でも、仲間が失敗した沢山のデータを、再確認して
いる中で、たまたま大発見をし、それでノーベル賞の
受賞につながったと。
親鸞聖人の人生も、波瀾万丈でした。
伝統的な比叡山を降り、法然聖人の元で学ばれていた時、
念仏禁止令によって、遠く越後に流罪になられました。
この大きな災難も、お念仏教えが広がる尊いご縁だったと
味わっておられます。
自分の思い通りになることだけを期待して、私たちは生きていますが、
今日一日、困ったことや悔しいこと悲しいことが起こったとしても
一つも無駄なことはなく、みんな有り難い尊いご縁だったと
喜べる そんな一日でありたいものですね。と
第1603回 つれていくぞの 親の呼び声
令和 5年 10月19日~
【仏教のことば】
「生苦」は「生まれる苦」と言いましたが、
…「誕生」がどうして苦なのでしょうか。
仏典は主に二つの理由を挙げます。まず、
①
「誕生は後の苦(老・病・死など)の原因となるから」です。
もう一つは、②「誕生はそれ自体、苦痛を伴うから」です
(岡本健資『季刊せいてん』124号P58)2023年9月12日配信
【仏教のことば】
「〈わかる〉ではなく〈聞く〉である」と聞いても、
それを聞かずにわかろうとしてしまうのが「わからない!」
の理由です。
(石田智秀『季刊せいてん』126号特集「信心がわからない」P48)
9月13日
【仏教のことば】
われ称(とな)え われ聞くなれど 南無阿弥陀
つれてゆくぞの 親のよびごえ (原口針水) 9月14日
【仏教のことば】
辛いとき、悲しいとき、嫌なとき、嬉しいとき、
あらゆるときに「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と
念仏するならば、それによって私たちは真実に
呼び覚まされていく。
絶えず呼び覚ましを私たちにもたらす声が念仏である
(梯實圓『浄土教学の諸問題』上P71) 9月18日
【仏教のことば】
あらゆる悪と人々を救ふ世界を見出したのが浄土真宗である
…仏を信じたとて、病気が回復したり、貧乏が金が
儲かつたりするやうな利益はない。
されど如何なる境遇にありても「安らかさ」と
「ゆたかさ」とが恵まれてある。 (梅原真隆『人生と宗教』P18)
9月16日
【仏教のことば】
経典にも「仏心とは、大慈悲心これなり」と出ているように、
「慈悲の心」とは、一切衆生を平等無差別に救わずには
おかないという、末通った深い愛情ひとすじの「仏の心」である。
(花岡大学『親鸞へのひとすじの道』P208) 9月17日
第1602回 難しい道と 易しい道
令和5年 10月12日~
西本願寺の総合研究所からの【仏教のことば】の紹介です。
【仏教のことば】
仏教の重要な目的の一つは自己を知ることだとよく言われます。
まさにそのとおりであって、仏陀とは自己を知り尽くされた人だと
言ってもよいでしょう。
(徳永道雄(一道)『観無量寿経を読む』P42)
2023年9月1日配信
【仏教のことば】
布教使の方によく言うのですが、自分の考えを言った時に、
相手が共鳴してくれたら、それは…真実であることを証明して
くれているのです。
承認してもらえることが有り難いのですから、
「教えてやるなんて思ったら大間違いだ」と言うのです。
(梯
實圓『季刊せいてん』106号P39)9月2日配信
【仏教のことば】
「自分が信心を得てもいないのに、人に信心を得なさいと勧めるのは、
自分は何もものを持たないでいて、人にものを与えようとするような
ものである。これでは人が承知するはずがない」と、蓮如上人は
お示しになった
(『蓮如上人御一代記聞書(現代語版)』P66)9月3日
【仏教のことば】
仏法には、はかり知れないほど多くの教えがある。
たとえば、世の中に難しい道と易しい道とがあり、陸路を
歩んでいくのは苦しいが、水路を船に乗って渡るのは
楽しいようなものである。
菩薩の道も同じであり、修行に努め励む道もあれば、
仏の教えを信じるという易行(いぎょう)によって
速やかに不退転の位に至る道もある。
(『十住毘婆沙論 浄土論(現代語版)』P6)9月4日
【仏教のことば】
私たちは「南無阿弥陀仏」という名号を通して、間違いなく
お救いくださる阿弥陀さまと、いまここで出遇(あ)って
いくのです。ですからお念仏を称えながら阿弥陀さまを
探す必要はありません。
(赤井智顕『なぜ?どうして?浄土真宗の教学相談』P9)9月5日
【仏教のことば】
私が疑わないことに決め、私が信心する。
その私が残っている事が問題なのです。
…深く信ずるとは…如来回向の信心のことです。
自分が信心によって救いを掴もうとする立場から、この身
このままを如来に摂取されて行く立場に転換されることです。
(井上啓一『真宗の法話』P23)9月8日
第1601回 溺れる人がいれば
令和5年 10月5日~
今回も 本山総合研究所から届けられた言葉です。
【仏教のことば】
人びとは、ややもすると他力の救いということを、他人をあてにし、
自分は何もしないでなまけていることのように誤解するのですが、
決してそうではありません。
他力とは仏の願力をいうのであって、仏力を主体として、真実に
生きることをいうのであります。
(『山本仏骨法話集』2P30)·
2023年8月25日配信
【仏教のことば】
他力の教えは、自分で悟りを開けないもののための仏道であり、
そのための仏が阿弥陀仏なのです。
川で溺れている人と、土手にいる人とがいれば、溺れている人を
救いますよね。(釈 徹宗『歎異抄 救いのことば』P72)
8月26日配信
【仏教のことば】
懺悔は単なる道徳的反省の心ではない。
それは光によって映し出された相であることにおいて、
そこにはすでに光の中にあったという法悦(ホウエツ)と、しかも
常にその光に背きつつあるものという慚愧(ザンギ)の心とが
交錯するものである。(村上速水『親鸞読本』P182) 8月29日
【仏教のことば】
唯円房があやまっている人たちを、…打ち破ってしまえば
それでいいのだというような裁きの態度でかいたものでなく、
…そのあやまれるものを抱きしめて歎かずにおれないところに
「歎異抄」全体に流れている持ち味が知られると思うのであります。
(山本仏骨『歎異抄のこころ』P22)8月30日
【仏教のことば】
今、諸君たちは現実的に宗教を必要としないかもしれない。
しかし今、君たちは宗教に対して決して無関心であってはならない。
何が正しい宗教であるか、また何が誤った宗教であるかを
見極める目を今の時期に養っておかねばならない。
(淺田正博『私の歩んだ仏の道』P32) 8月31日
第1600回 私の生活の中に
令和 5年9月28日~
ご本山 総合研究所からの【仏教のことば】の紹介です。
【仏教のことば】
お浄土に往かれたわが父や母は、往きっぱなしではありません。
お浄土より娑婆に還り来て、私たちをみまもり、私たちが
お念仏申すところ、共にお念仏を唱和して、私たちによびかけ、
阿弥陀仏の大悲をあおがれているのであります。
(普賢晃壽『阿弥陀仏の救い―人生の帰趨―』P233)
2023年8月15日
浄土真宗の特徴は 往相廻向 還相回向の教えです。
正信偈の意訳には、
蓮華の国にうまれては 真如のさとりひらきてぞ
生死の園にかえりきて まよえる人を救うなり とあります。
どうか、お念仏の教えに出会ってくれ、この教えに遇えば、
これから迎える老病死の苦しみも、素直に受け入れることができ、
生きがいある人生を味わえますよと、はたらきかけて
くださっているのです。
【仏教のことば】
私達は平素から、見えるものだけに夢中になって、
見えないものの恐ろしさや、有難さを忘れているのでは
ありますまいか。 (井上啓一『御文章の味わい』P53)
· 8月16日
親や周りの人の思い、多くの人々のはたらき、仏さまのはたらき
見えないものを、感じられるように育てられると、この人生は
有り難く、すばらしいものへと変化するのですよと。
【仏教のことば】
如来の心に触れ、これまで如来さまを泣かせて来たことに気付いたのなら、
「もっと泣かせてやろう」と思うでしょうか。そうではなく、
「もうこれ以上、泣かせることはすまい」と思うはずです。
(「悪人正機」について)(満井秀城『季刊せいてん』110号P55)·
8月19日
··
【仏教のことば】
阿弥陀仏は私の心に信心の喜びを与えてくださるばかりでなく、
更に、私の寿命のある限りは称名念仏の声として、
私の生活の中にいつでもどこでも現われましょうという
お慈悲から「乃至十念」の称名をお誓いくださった
ものであると味わわれます
(灘本愛慈『やさしい安心論題の話』P177) 8月21日
第1599回 子どもや孫の将来を思うと
令和5年 9月21日~
ご門徒のお宅へお参りし、自動車を止めた途端
吠え出す犬がいます。そしてお勤めの間中 泣き止まず
吠え続ける犬がいます。
一方で、必ず玄関まで出迎え、歓迎の挨拶を一通りすまし
お勤めを始めると、静かになり、お勤めが終わると、
また近づいてきて、触ってほしいと催促する利口な犬もいます。
近頃、うるさい犬が増えたのは、犬の種類や性質が
変わったのかと思っていましたが、飼い主がしつけをせず、
ただ甘やかすだけなのではないかと聞かされました。
そう考えると、人間の子どもも、少し前までは、
多くの人の前では余り騒がず、おとなしくしていたように思います。
近頃は、小さな子どもが法要に参加すると、走りまわり、騒ぎ出し、
保護者が耐えかねて、外に連れ出すケースをよく見ます。
子どもや ワンちゃんが変わったのではなく、親が、飼い主が
甘やかしてばかりいることが原因ではないかと思われます。
核家族化が進み、2世代3世代で生活する家庭はごく希で、
年寄りたちが口をだすチャンスもなくなりました。
怖いおじちゃん、うるさいおばちゃんの存在もなくなり、
友だちのような優しい祖父母、両親、おじさんおばちゃん
だけになったようです。
子どもや孫の将来を考えると、心を鬼にして、言うべきことを
ちゃんと言い、嫌われても、うるさがられても、大人の役割を
果たすべきだとは思ものの、なかなかそうはいかないものです。
ご法事を勤めながら、仏事は、自分が生きている間に、子どもや
孫に言えることが出来なかったことを、自分が亡くなった後に、
仏教のお話を通して、人間として最も大切なことを、代々伝えて
きたのではないかと、思います。
子どもの将来を考えると、仏さまの事だけは、ちゃんとしてほしいと、
伝えておくことが大事だと思います。
子どもに迷惑をかけないようにと、葬儀も法事も、墓地も仏壇も
無くしてしまう人いますが、自分に変わって、人間に必要なこと、
やるべきこと、そして、老病死を恐れず、受け入れていく力を、
伝えてきた伝統が、仏事、法事だったのではないか。
それを護り、繰り返し伝えていくことが、残された
子や孫にとっては有り難く、大事なことだろうと、痛感しています。
伝承してきたことを、取りやめることで、自己本位で
わがままな生活、それは、心豊かな生き方には、決して
つながらないと感じます。
第1598回 さとりの身となって
令和5年 9月14日~
今回も 本願寺派総合研究所からの【仏教のことば】の紹介です。
【仏教のことば】
念仏の行者とは、わたしを念仏の行者たらしめている
本願力の不思議を信知し、感動しているもののことである。
(梯
實圓『教行信証の宗教構造』P72)·
2023年8月7日
【仏教のことば】
「この源空(法然聖人)の信心も、阿弥陀さまからいただいた
信心じゃ。そして、善信さん(親鸞聖人)の信心も、
阿弥陀さまからいただいた信心。だったらまったく同じ、
一つと言うべきでしょうな…」
(『いつでも歎異抄』P71「後序」意訳) 2023年8月8日
毎年のご正忌報恩講で 親鸞聖人ご伝絵をご紹介していますが、
法然聖人のところで、先輩同僚と 信心についての論争のところです。
自分の努力で起こす信心ではなく、阿弥陀さまからいただいた信心
そこで、師匠の法然聖人の信心も、お弟子の信心もみな一緒のくだりです。
【仏教のことば】
ほんとうの宗教はこの自分の中に最も危ないものを
蔵していることが知らされることであります。
浄土真宗の御念仏とは正しくこの私の中に鬼を
見出すことといえます。
危ないことを危ないと知らされると、危ないことに
気をつけることとなります。
(稲城選惠『人生の道標』P158)·
2023年8月9日
【仏教のことば】
浄土真宗の仏事は、阿弥陀仏のお徳を讃えるとともに、
亡き人を、阿弥陀仏と同じさとりを開かれた仏さまとして敬い、
そのお徳を讃えるということでもあるのです。
追善供養ではないからといって、亡き人への思いを
軽んじるということではありません。
『季刊せいてん』115号P52) ·
2023年8月11日
【仏教のことば】
仏の国に往き生まれていった懐かしい人たち。
仏のはたらきとなって、いつも私とともにあり、
私をみまもっていてくださる。このお盆を縁として、
すでに仏となられた方々のご恩をよろこび念仏申すばかりである。
(『拝読 浄土真宗のみ教え』P53) ·
2023年8月12日
【仏教のことば】
「…私が死んだらお浄土へまいらせていただきます。
…けっして遠いところへ離れていくのでもなければ、
子供と別れていくのでもありません。
ほんとうのさとりの身となって永遠に子供のうえに
生きることができるのです…」(山本和上のお母様の言葉)
(山本仏骨『親鸞人生論』P222) ·
2023年8月14日
第1597回 さるべき業縁のもよほさば
令和5年 9月7日~
今回もご本山総合研究所からの【仏教のことば】のご紹介です。
どの言葉を見ても、お念仏の教えに遇えた人の有り難い言葉です。
【仏教のことば】
人間というのは自分が思っているほど一つに決っていない。
固定的な善人、悪人というようなあり方にはなっていない。
…状況や環境次第で、この私自身がどちらにでもころぶのである。
(相馬一意『本物に出あう』P138)
2023年7月31日配信
新聞やテレビで見る容疑者を見て、悪人と批判していますが、
一歩間違えば 誰もが同じ過ちを犯すのかもしれません。
【仏教のことば】
経典を読む(読誦)ということは、本来、清らかな悟りの世界から
ひびいてくる仏陀のよび声を聞くことであり、それによって
真実の何たるかにめざめしめられることである。
(梯實圓『浄土教学の諸問題』下P278) 2023年8月1日
【仏教のことば】
よく、成仏というと死ぬことだと思われていますが、それは違います。
「仏に成る」ことを成仏と言うのです。
(松﨑智海 『鬼滅の刃』で学ぶはじめての仏教 P22)
2023年8月2日
【仏教のことば】
必ず浄土に往生する人生を生きるということは、尊い命を
生きるということです。
そこには感謝と喜びをもって生きることができる、これこそが
浄土のこの世におけるはたらきといってよい、私はそう思います。
(勧学寮編『今、浄土を考える』P70)
2023年8月3日
【仏教のことば】
諸行無常という言葉を、知らない方はいないと思います。…
しかし、それは知識として知っているだけではないでしょうか。
本当にこの世は諸行無常なのだということの納得がなかなかできないのです。
(淺田恵真『お念仏の真実に気づく』P91)
·
2023年8月4日
第1596回 疑り深い私のために
令和5年 8月31日~
私たちは 疑い深い性質を持っています。
常識の範疇だと素直に受け入れるものの、常識を超えていると
そんな馬鹿な だまされるものかと、疑い拒否します。
そんな私を 何とか信じさせようと、
お釈迦様は いろいろと苦心して 教えを説いて
いただいています。
仏説無量寿経の中には、
これまで沢山の仏さまが、この世に出て多くの人々を
救っていただいたこと、そして世自在王仏という
仏さまの時代に 一人の国王が、すべての人々を一人残らず
救いたいとの大きな願いを建て、
その理想の国をつくるために 多くの仏さまの世界を
手本にしたいと、さまざまな仏さまの世界を見せてもらったこと。
その数が 10や20ではなく、210億もの仏さまの国を
見せてもらい、その中から特に優れたものを選び取るのではなく、
疑い深い 私たちのために、五劫という長い長い宇宙的時間
考えに、考えて、48項目の設計図を建て、その完成のために
また宇宙的長い間修行して これまでにない最も優れた
お浄土が完成したと説かれています。
その設計図の17番目には すべての仏さまが、
自分(阿弥陀仏)のことを、誉め讃えるような 最もすぐれた
はたらきができる仏に成りたいというのです。
過去の仏さま 現在の仏さま すべての仏さまが
実現できなかった、努力出来る人も出来ない人も、すべての人を、
「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」の名号を口に
するものを 自分の国・お浄土へ生まれさせ 仏にしたいと。
ですから、私がご縁を頂いて 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と
お念仏するとき、もう仏さまと同じ はたらきをしている
ことになります。
阿弥陀さまの偉大さ、そのはたらきが、分かっていなくても
お念仏する私は もう仏さまと同じ阿弥陀仏を讃嘆する
はたらきをしていることになるのです。
疑り深い私がどう思と お念仏する時は、もう
仏さまと同じように 阿弥陀さまを讃嘆するはたらきを
しているのです。
ですから、今は 悩み多い人間ですが、やがて いのち終われば
お浄土に生まれ 引き続き 阿弥陀さまを讃嘆する仏さまの
はたらきをさせていただくのです。
もう 今は 仏さまの仲間なのです。
第1595回 物差しを変える
令和5年 8月24日~
今回も本願寺派の総合研究所のツイッター【仏教のことば】のご紹介です。
【仏教のことば】
信心を得る以前は いわゆる常識という物差しで社会を生きてきました。
しかし信心を得るというのは、いままでの常識の物差しを捨てて、
法という新しい物差しの世界へ生まれ変わるのであります。
(霊山勝海『聖典セミナー親鸞聖人御消息』P86)
配信 · 2023年7月26日
私たちは 学校で長年教育を受け、社会での経験を元にした常識で
今まで生きてきました。
しかし、学校教育では ○か×か、採点できることが中心であり
社会では 損得勘定を基本にして、いかに上手に生き抜くか、
老病死を嫌い否定する、価値観で生きてきました。
しかし、現代の科学ではなかなか評価、証明出来にくい、
先輩たちが受け継いできた、大人の智慧、仏法があることを
知らないままでこれまで生きて来たようです。
キリスト教を基本とした西洋的な考え方、ものの見方を
現代人は常識として生きているようです。
そうした、世間の常識を超えた価値観が日本には存在していたこと、
そうした物差しを知り、その世界を体験し、生きていくこと、
それが仏法という新しい物差しの世界に生まれ変わることなのでしょう。
すべてのものを救いたいという仏さまの願い、はたらきを
繰り返し聞き、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を口にし、耳に聞き
どこへ向かうのか、それはお浄土へ向かって力強く生きていく
世界があることを、教えていただいているのです。
【仏教のことば】
仏道を歩むとは…人間の逃れられない根源的な苦悩を乗り越えていく道を
目指すのであり、仏陀の説かれる「苦悩を除く法」とは、「生老病死」の
苦悩を除く法なのである。
親鸞聖人が目指された仏道も、生老病死の苦悩を乗り越えていく道であった。
(勧学寮篇『親鸞聖人の教え』P14)配信 · 2023年7月27日
医学や科学が進み、あたかもこれが万能であるとの誤解があります。
「生老病死」の苦悩を除くには、薬を飲む、手術を受けるなど、
外側からの何らかの治療を受けることでしか、解決法は
ないと信じこんでいます。
しかし、先輩たちは、科学だけに頼るのではなく、仏法を通して
内側からの、精神的な解決法を受け継いできたのです。
そうした世界があることを 教えていただいているのです。
【仏教のことば】
死の問題の解決こそ、同時に生の問題の解決でもあるわけで、
ほんとうの幸福とは、お念仏によって生死の問題を超えさせて
いただく以外にはないと思うのです。
(村上速水『道をたずねて』P27)
配信· 2023年7月28日
ともありました。
第1594回 受け継がれていくもの
令和5年 8月17日~
お盆の間 境内にあるお墓に 子ども連れの見知らぬ若い家族の姿を
多く見受けました。
本堂にお参りする家族、直接お墓にお参りする家族さまざまですが、
年配者が一緒ではなく、自分たちでお参りしているのを見ると、
子どものころに大人に連れられて 参拝していた世代が、
夏休みに帰省して子ども連れでお参りしているのだろうと思います。
大人と一緒に 本堂にお参りしていた家族は、本堂へ上がり
お墓だけの家族はお墓だけ帰る、こうして次の世代に受け継がれて
いくのだろうと、感じています。
さて、浄土真宗本願寺派(西本願寺)総合研究所【公式】から
送られてくる【仏教のことば】に
こんな内容がありました。
【仏教のことば】
わが身の善悪にとらわれて、これで助かるだろうとか、
こんなことでは救われまいと思いわずらうことを、
自力のはからいというのです。
そのはからいをやめて「必ず救う」のおおせ一つをあおいで、
おおせに安んずることを安心とも信心ともいうのです。
(梯實圓『妙好人のことば』P226) ·
2023年7月21日配信
【仏教のことば】
仏教というのは世界の見方を変えてくれる教え…
その教えに一度出会うと、出会う前のものの見方に戻ることはありません。
毎日、大量に消費され廃棄されていく情報とは違う、
出会うとその人の人生をも変えてしまう…それが「仏教」です
(松﨑智海 『鬼滅の刃』で学ぶはじめての仏教 P4)
·
2023年7月23日配信
【仏教のことば】
仏教は道徳ではありません。
私の窺い知る(うかがいしる)ことのできない「仏の世界」を
学ぶのです。道徳と同じレベルで学べば大きな誤りを犯します。
(淺田正博『生かされて生きる―どうして人を殺してはいけないのですか?―』P28)
2023年7月24日配信
【仏教のことば】
本堂においては、すべて本尊を中心にして語られる。
前後、左右というのも、本尊の前後、左右…であって、
私から向って左右ということではない。…あらゆることがらを
自己を中心として考え、行動している日常的な意識が
本堂の中では逆転する…。 (梯實圓『浄土教学の諸問題』下P165)
7月25日配信
第1593回 この世に無駄なし
令和5年 8月10日~
毎日送られてくる 【仏教のことば】 そこに こんなことばが
ありました。
【仏教のことば】
「摂取不捨(せっしゅふしゃ)」
この世に無駄なしということなのですね
(鈴木章子『癌告知のあとで―なんでもないことが、こんなにうれしい』P134)
2023年7月17日配信
北海道のお寺の坊守さんで 癌で亡くなられた鈴木章子さんの残されたことばです。
(※摂取不捨=摂(おさ)め取って捨てずという、阿弥陀如来の救い)のことですが、
私たちは 役にたつもの、有益なものだけが 有り難く感じていますが、
この世には 何一つ無駄なことはなく、私たちが忌み嫌っている、老病死も
みんな平等に訪れてくるもの、それをどう捉えることができるかで
人生は 大きく変わってくるものでしょう。
限られたいのち、毎日毎日をどう味わって生きるかで 私の人生は素晴らしいものに
転じられていくのです。
長い命だけが素晴らしいのではなく、健康だけが素晴らしいのではなく、
何一つ 無駄なことはない、ひとつひとつ 味わい深い毎日を
送らせていただきたいものです。
またこんなことばも 送られてきました。
【仏教のことば】
「自由」とは何でしょうか。多くの人は、「自分の思い通りになること」と
考えるでしょう。しかし、仏教では、「自分の思い通り」とは、欲望という
煩悩に支配された「不自由」に過ぎないと見ます。
(『いつでも歎異抄』P51)
2023年7月19日配信
【仏教のことば】
慈悲深い両親だからといって、その両親の前で悪事を行って、はたして喜ぶだろうか。
嘆くに違いなく、それでも見捨てないだろう。
また、大切に思ってくれても、悪行については許せない思いのはずだ。
如来の思いも、まったく同じである。(法然聖人の言葉)
(『季刊せいてん』110号P54)
2023年7月22日配信
第1592回 仏法は 聴くべきもの
令和5年 8月3日~
毎日 ご本山の総合研究所からツイッターで送られてくる
「仏教のことば」その中に こんなことばが ありました。
【仏教のことば】
世界はこんなに苦しいけれど、解決していく道はきっとある。
月並みな言葉ではありますが、仏の教えというのは、
この苦しい世界での希望なのです。
(松﨑智海
『鬼滅の刃』で学ぶはじめての仏教 P52)
仏教は 生老病死の苦しみを解決するために説かれたとも言われます。
生きるということは 苦しみの連続 その苦しみを解決するために
お釈迦さまが説かれ 多くの先輩たちが その味わいを
具体的に説き 伝えていただいたものが 仏の教えなのでしょう。
先輩が残していただいた、折角の教えに 気づかないでいることは
もったいないことです。
浄土真宗は お聴聞 その教えを 聞くことが大事だといわれます。
【仏教のことば】
「仏法は毛孔(けあな)から入るものである」ならば、
わたしの心身をあげて聴くべきものであろう。
わたしの生活行動を通して、教えのまことを確認する
という意味を含むであろう。
(村上速水『親鸞教義の誤解と理解』P112)
【仏教のことば】
「本尊」とは帰依尊重する本仏をいう。
この本尊が教法の根源であり、また礼拝の対象である。
(『浄土真宗本願寺派「宗制」解説』P43)
【仏教のことば】
「必ずあなたを救いとる」という如来の本願は、
煩悩の闇に惑う人生の大いなる灯火(ともしび)となる。
この灯火をたよりとする時、「何のために生きているのか」
「死んだらどうなるのか」、この問いに確かな答えが与えられる。
(『拝読
浄土真宗のみ教え』P3)
【仏教のことば】毎回 短いことばですが、お念仏の教えを
味わうには 誠に貴重なことばです。
第1591回 しあわせ 幸せ 仕合わせ
令和 5年 7月27日~
私たちは「しあわせ」を 追い求めて、生きています。
その「しあわせ」を「幸せ」と書くことが多いものですが、
ひと昔前までの辞典は「仕合わせ」と 表記されていました。
「幸せ」の「幸」とは「山の幸・海の幸」の 恵みを意味します。
人間は その山や 海の恵みを 有り難い 恵みと受け取ることが出来ず、
思いのままに乱獲し、乱開発してきました。
「幸 多かれと・・ 」の「幸」も「恵み」の意味でしたが、
今では、人間の「望み(欲望)」の延長線上にあるものと受けとられています。
「幸」には「恵み」以外に、「こいねがふ」という 欲望の意味や
「むさぼる」をも 意味します。
「むさぼる」とは、三毒の煩悩の一つである「貪欲(とんよく)」で、
「足ることを 知らない」ということです。
そんな私たちが「しあわせ」を 望んだとしても、むさぼり続けるだけで、
いつも満たされず、不平・不満ばかりを いいながら生きています。
自分の思い通りにならず「愚癡(ぐち)」を こぼし、
「憤り( 瞋恚・しんに)」を 感じるしかありません。
そんな私たちに、本当の「しあわせ」は あるのでしょうか。
一方、「仕え合う」と書いて「しあわせ」は、お互いが 相手や
周りのために 仕え合うことを「仕合せ」と言うのです。
欲しい 物が 手に入り、自分の思い通りになることに満足するのでなく、
信頼している人に 喜んでもらえることを「仕合せ」だというのです。
作家の司馬遼太郎氏によれば、「仕合せ」の「仕」は「ある人に
つかえること」だそうです。
自らの生命をかけて 仕えるべきものに出会うことです。
生きている中で、辛いこと・苦しいことなどが あったとしても、
自分の「めぐりあわせ」言いかえれば 不思議な「出会い」が
ぴったり合う因縁を「仕合せ」というのです。
私たちは、人間として この世に命を恵まれました。
しかし、生まれてきたことを当然のこととして、また、恵みを恵みとして
受けとめていない 私がいます。
そうして、命の営みの中で、多くの恵みや 出合いがあるのに
まったく気づかず、生かされている「しあわせ」も 生きている慶びも
味わえないままでいます。
親鸞聖人は、法然聖人と出会えたこと、そして阿弥陀如来のご本願に
出合えたことを「仕合せ」だったと慶ばれています。
親鸞聖人の生涯は、決して幸せであったとは言えないものです。
幼い頃 両親を亡くされ、念仏禁止令で遠く越後に流罪になり、
晩年は、ご長男の善鸞さまを 義絶せねばならないなど、苦難の連続でした。
しかし、親鸞聖人は その不幸を 嘆くのではなく、お念仏とともに
慶びをもって力強く生き抜かれました。
それは 法然聖人と巡り会えたこと、そして何と言って
阿弥陀仏のご本願に遇うことができ、人間として生まれてきた
不思議と、慶びを味わうことが出来て、とても仕合せだったのだと思います。
それが、教行信証の総序に「ああ、弘誓の強縁、多生にも値ひがたく、
真実の浄信、億劫にも獲がたし。たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ。」
という言葉として 表れているのだろうと味わえます。
お念仏の教えに遇うことが出来れば、当たり前なこと、平凡なものが、
不思議で有り難く、しあわせに感じられるようになることを、
教えていただいています。
第1590回 仏教のことば
令和 5年 7月20日~
コンピュータを開くと いろいろな情報が入ってきます。
浄土真宗本願寺派(西本願寺)総合研究所から
「仏教のことば」も、定期的に 送られてきています。
その中に こんな言葉がありました。
お説教というのは、私を中心にした世俗の領域から如来を中心とした
聖なる領域へと、人びとの心を転換させることでしょう。
(梯實圓『平等への視座』P132)
私たちは 人間中心の損得勘定の生活をしていますが、
そうした価値観だけではなく、仏さまの価値観があることに 気づかせ
そして、現実を正しく見る力を得らさせようという はたらきなのでしょう。
また、
こんな【仏教のことば】もありました。
仏さまの教えによって、新しい心の視野を開いていただくことを、
お救いにあずかるというのです。
(梯實圓『仏の願いに遇う』P52)
という言葉もありました。
こんな【仏教のことば】
話を聞くということは、こちらがものを考えておったら、聞えません。
こちらを空っぽにし、素直に向うのいうことを受取ることであります。
(桐溪順忍『他力ということ』P27)
また、
私の手のつけようのないような広大な世界に、私は
つつまれているのだなということが味わえてくるようになりますと、
わからないというわかり方がわかってきます。
(梯實圓『仏の願いに遇う』P37)
私たちは 目の前の現実に目を奪われ、一喜一憂しながら
生きています。
仏教の教えに出会うことで、その悩み苦しみが少しは違って見え、
感じられてくるものです。
そうした 仏教の教えがあることを 先輩たちは 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏と口にして聞く、お念仏の教えとして
私たちに残してくださっているのです。
第1589回 仕合わせな人生を
令和5年 7月 13日~
今でこそ どこの家にも空調が備わっていますが、
30年ほど前までは 扇風機と団扇の時代でした。
お盆のお参りなど、勤行する私の後ろで、ずうっと団扇で
あおいでくださっていたおばちゃんがあったものです。
それから、しばらくして 冷房だけのエアコンが
付けられるようになりました。
ある冬 寒い朝の月忌参り、玄関で声をかけると、
さっさと二階の仏間に上がってお勤めを開始
慌てて奥さんが飛んで来てエアコンを付けてくださいます。
ご自分の部屋は、冷暖房のついた空調でしょうが、
仏間は冷房だけの古いタイプ、「もうちょっと待ってくださいね。
もうすぐですから」と、言い訳しながら、リモコンを持ち、
空調の風に手をあてて ゴメンナサイねと声をかけられます。
この部屋は冷房しかないことを知っている私は、
エアコンを止めてくださいと、手で合図しながらお勤めを続けます。
冷気が真横から いきよいよく吹きつけます。
時間がたつに従って、ますます冷え込んで来ますが
お勤めを止めて、冷房を断る訳にもいかず、
冷凍室のような極寒の中でのお勤めでした。
お勤めが終わり、ありがとうございます。
ここは 冷房しかないようですからと、断ると
アーそうでしたねと、慌てて、石油ストーブを運んでくださいました。
その奥さんが、先日97歳でご往生になりました。
家業を手伝いで早朝3時からの働きづめのお母さんでした。
お姑さんが厳しい方でしたから、ご苦労も多かったでしょうが、
これが自分に与えられた仕事と、腰が曲がった姿で
にこにこしながら、はたらいておられた様子を思い出します。
都合のよいことも、不都合なことでも自分のやれることを
精一杯勤めさせていただく、それが仕合わせであると、
教えていただいたよな、有り難いお念仏の方でした。
こうした有り難い方が 一人また一人お浄土へと生まれて行かれます。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏のお念仏を聞くとき、あの方々が
阿弥陀さまと一緒に 呼びかけていただいていると、
味わい 私もこの世の勤めを、自分で出来ることを
にこにこしながら精一杯、果たしていきたいと思います。
第1588回 きく・菊・聴く・聞く
令和5年7月6日~
幾たびか お手間かかりし 菊の花
加賀の千代女の俳句とも言われています。
菊つくりというのはなかなか手間のかかる作業らしいです。
大輪の菊を一本仕立て、三本仕立て、断崖仕立てなどの鉢に
育てるまでには大変な苦労がかかるようです。
春先から、挿し芽をし、苗を育て、ある程度の大きさになったら、
鉢に植え替える。
鉢を植え替える前には、土作り。川砂、腐葉土、赤玉土などを混ぜ、
どの肥料も入れるのか・・・・
2週間ほどなじませ、その後、鉢の下に網をしき、・・・・・
水やり、施肥、わき芽摘みなど、花を咲かせるまでには、こうして
かなりの時間と手間がかかるのです。
幾たびか お手間かかりし 菊の花
の俳句の中には、菊つくりの手間ひまにかけて、私たちの今の仏縁を
いただくまでの手間ひまを込めて詠んでおられるのです。
「菊」は私たちが阿弥陀さまのご本願を「聞かせていただく」身に
お育てをいただいた、その「聞く」に通じるものです。
そして「花」はその聞かせていただくことによって阿弥陀さまの
お慈悲に気付かせていただくことができたよろこび、すなわち
「信心の花」を咲かせさせていただくことができたよろこびを
表していると味わうことができます。
「きく」という漢字もいろいろありますが、代表的なものは
3種類あります。「聞く」と「聴く」と「訊く」です。
『聞く』は、音・声を耳で感じとる。耳に感じて、知る。
という意味で、「鳥の鳴き声を聞く」「話し声を聞く」「うわさを聞く」
というように使われます。
『聴く』は、耳を傾け、注意して聞き取る。という意味で、
「ラジオ講座を聴く」「講義を聴く」「名曲を聴く」と
いうように使われます。
『訊く』は、たずねて、答えを求める。問う。相手に質問する。
という意味で、「訊問(じんもん)する」というように使われます。
親鸞聖人が「教行信証」に書かれている「きく」は「聞」です。
「聞即信」「聞というは、衆生仏願の生起本末を聞きて
疑心あることなし。これを聞と言うなり」と示されます。
私たちの五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)のうち最初に
身につく感覚は「聴覚」と言われています。
お母さんのお腹にいる時からお母さんから呼びかけられている
「声」を聴くとはなしに聞いて、生まれてからも
「あなたのお母さんよ」と呼びかけられている声を
聞いて育っていくのです。
物心ついて、こちらから真剣に物事を把握しようと
耳を傾けて一生懸命に聴いていきます。
そして、学びを深め人生の幅が広がって行きます。
しかし人生50年ないし100年の間に学び尽くすことは不可能です。
そして、いのちの最後のぎりぎりまで残る感覚も「聴覚」と
いわれています。
阿弥陀さまのお慈悲に出遇うこともよく似ています。
はるか昔から、阿弥陀さまに「南無阿弥陀仏」
(あなたの真実の慈悲の親は阿弥陀であるよ。)と、
呼び続けていただいたのであります。
有る時、仏縁をいただいて「南無阿弥陀仏」とはいったい
なんだろうと疑問に思った時に、こちらから仏法を聴く
(求めていく)ご縁をいただくのです。
その聴聞のご縁の中で、私の方が聴きに行っていたのでは
なかった。阿弥陀さまから呼びづめに呼ばれていたのだと
(聞かされていたのであったと気付かされる)お慈悲の
大きさを知らされるのです。
阿弥陀さまの「呼び声」は、耳に聞こえる聴覚だけでなく
「こころ」の底の底まで、響いて下さる救いの響きなのです。
淨教寺さま ホームページより 奈良県奈良市
第1587回 人は 誰しも いつかは
令和 5年6月29日~
コロナの前まで、月に一回「浄土真宗の常識 勉強会」を
開いていました。沢山の方にお参りいただいていましたが、
この3年間はお休みし、今では、老人施設に入られた方や、
お亡くなりになった参加者の方もあります。
坊守さんが作る 毎回違った 手作りおやつが楽しみと
言われながら続けていました。
先日、その参加者の親戚の方から電話がありました。
参加していたお母さんではなく、その息子さん71歳が お亡くなりに
なったとのこと、息子さんのお宅は知らず、慌てました。
お母さんは老人施設に入られ、お寺からの連絡の葉書や手紙は、
息子さんのところへ住所変更になっていたことを思い出し、駆けつけました。
肺癌の告知を受けてからも、8年間 仕事を続けながら
病気と闘っておられたとのこと、ご本山で おカミソリを受け
ご夫婦で 法名を受けられたことは聞いていましたが、
病気のことは内緒にされていたとのことでした。
一人息子だったご本人は、自分が癌になったことを、母親が知れば
どれだけ悩み苦しむか、絶対、親にだけは知らせたくない、
頭髪が抜ける治療は避けてほしいと、頼まれていたそうです。
通夜、お葬式、初七日が済み、二七日の席で、喪主の奥様から
こんな本を残しています、よろしければ読んでくださいと、
160頁ほどにまとめられた癌告知からの8年近くの治療の内容や
さまざまなエピソードが、克明に記録された立派な本をいただきました。
その記録を読ませていただくと、癌告知から2年ほどたって、
母に病気のことを内緒にしておくと、もしもの時、家族がきっと
責められるだろうと、母親あての手紙を書き残していたとのこと。
4年ほど経った頃、一人住まいだったお母さんが自宅で転倒、
救急車で運ばれ、今後は老人施設がいいだろうと
医者に勧められ、介護施設に入所されたものの、毎日荷物をまとめて
自宅に帰りたいと言い、面会した息子さんは声を荒げることも
あったといいます。
ついに母親に、自分が癌であることを告げたところ、
お母さんは「人は誰しもいつかは死を迎えることとなる、
最後は痛くないようにしなさいよ」との返事に
話の内容を理解出来ていないのか、はたまた90歳を過ぎた
老人の卓越した心情なのかと、困惑したと書かれています。
息子さんは、母親が認知症で正確に理解出来ていないと受け取られた
ようですが、毎月、毎月、仏さまのお話、老病死は避けられないと、
聞いて来た人の言葉だったのだろうと、有り難たく感じました。
仏教の話を聞くことがなかった息子さんには、それが理解出来なかった
ようです。
そして、息子さんが数日後、自分の病状を再び話しても、反応が乏しく、
「風邪をひかないように」と、言うだけだったと書かれています。
親としてはどうしてやることも出来ない、悩み苦しみながらも
四苦八苦を受け入れることが出来る人と、仏縁のなかった息子さんとの
違いだろうと思われます。
仏教は 死んでからの話ではなく、生きている間に聞いておくべきもの、
この息子さんに、お聴聞するご縁がなかったことが お聴聞を勧めることが
出来なかったことが、誠に残念でなりません。
ほんの数回でも良いから 仏さまのお話、お浄土のお話、聞いておられたら、
また違った味わい深い闘病生活になっただろうにと、残念に思いながら
癌告知後の揺れ動く心を、読ませていただきました。
第1586回 ちゃんと見られている
令和 5年 6月22日~
ご門徒と一緒に 記念行事などの準備をするときに思います。
歳を重ねたせいか、若い住職たちが 若者独特の派手な衣装で
参加していたり、お勤めの稽古を始めたのに、布袍を着用しなかったり、
ついつい気になるものの、口に出せずに見過ごしています。
どうして、気になるのだろうかと、考えました。
会社勤めをした経験を思い出すと、ボーナス査定や昇進、転勤などのために、
責任者は自分のチームの人たちの人事評価を書く必要があります。
また、どこに異動させるのか、その適性を見て判断し、最適な所への
配置転換の案、移動の案を出さねばなりません。
本人の希望が優先されますが、上司がそれに賛同して推薦しなければ
希望どおりの部署への移動は成立しません。
若いときには、人事部などが勝手にやっているのだろうと思っていましたが、
実は、一番近い上司が、その人の人生を、将来を左右しているものなのです。
それはちょうど、プロ野球の監督が自分のチームの選手の特性を見て、
試合に起用するか、起用しないか、自分のチームに残すのか、他のチームに
放出するのかを、毎試合 毎試合見ているようなものです。
お寺は、そうした競争がありませんから、大丈夫と気を許していますが、
ご門徒の方々は、こうした世の中で生活していた人たちです。
取引先のこの若者は信用できるか、ちゃんと上司に伝わるか、もう一度
相手会社の責任者に確認する必要があるのか、文書で確認しておくべきか、
ひとつひとつ見定めないと、大きな失敗につながるものです。
ですから、多くのご門徒は、この住職の言うことは大丈夫か、信用できるか、
理解力や行動力、包容力はあるのか、
人生の岐路にさしかかったとき、相談できるか、相談しても無駄かなどと
ついつい観察し、評価しているものなのでしょう。
そうした、ご門徒の思い、目があることを、気づき、自分を律して
いるのか、のんびりと勝手気ままに、自分のいいようにしているのかで
違いが出てくるのだろうと、思います。
若い人たちに、それをどう伝えたらいいのか、そんなの関係無い、自分は
自分で思うようにやる、自分は他人をそうゆう見方をしないので、
大丈夫だと思うのか。
こうした、世間の厳しい目が存在することを、知っている人間は
どのように伝えたらいいのか、そのチャンスをどうつくるのか、
感じたことを、だまっておかずに、
ちゃんと知らせることが、
年寄りの勤めだろうと思いながら どうしていいのか分からずに、
イライラしているのだろうと、思います。
第1585回 頼まないのに 呼びかけ
令和 5年 6月15日~
浄土真宗は ただ一つ お聴聞を勧めます。
そして、何を聞くのかというと、阿弥陀如来という仏さまは、
一人残らずすべての人を救いたいと、この私をお浄土へ
迎え取って仏にしたいと、
はたらき続けておられることを聞くのです。
阿弥陀さまの名前・南無阿弥陀仏を口にして生きているものを、
一人残らず間違いなくお浄土へ迎え取る。
心配しないでいい、悩やまなくていい、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏で
大丈夫 大丈夫と呼びかけ、はたらきかけておられることを、
聞き取っていくのです。
浄土真宗は、このこと一つを聞くことだと言われます。
私が頼む前から、私のことを心配して、四苦八苦の
人間の世界を精一杯生き抜いておいで、そして、お浄土へ
生まれてきてくれ、一緒になって、悩み苦しむ人々を救うために
はたらいてくれ、そう呼ばれ続けている、そう気づかされると、
この人生は、まるで違って見えてくるものです。
自分ひとりで頑張って、悪戦苦闘しているつもりですが、
仏さまをはじめ、親も兄弟も、周りの人々も、自然も
ありとあらゆるものが、この私を支え生かそうと はたらき
続けていることに気づいてほしいとの、はたらきかけです。
繰り返し繰り返しお聴聞すると、限られたこの世だけが人生ではなく
いのち終わった後も、まだまだ生きがいがある はたらく場所がある。
期待されて待たれている、この私のことを認め信頼し、受け入れて
くださる世界があり、私の目的地はお浄土であると。
そう聞えてくると、わずか100年のいのちではなく、永遠のいのちを
感じることができるのです。
そればかりではなく、私の生きがいは、自分の身を、欲望を満足
させることではなく、多くの人々に、仏さまのはたらきかけを知らせ、
感じさせ、よろこびを与えること、それが、喜びとなってくるのです。
永遠のいのち 無量のいのちの仏さまになることができる
もう仏さまの仲間であると、味わえてくると、毎日の生活が
まるで違ってくるものです。
自己本位で限られたいのちを、苦しみながら生きる日々から
仏さまの願いにかなった、、充実した、やりがいのある
喜び多い人生へと転じられていくのです。
それが、南無阿弥陀仏に 遇えた念仏者のよろこびであり、
これこそが、充実した人生だと味わえてくるのです。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏の呼びかけを聞き、南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏を味わい、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏、と返事をし、
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と喜びを口にすること、
それは、すべての仏さまとともに、すべての先輩たちと、
私も一緒になって、仏さまのはたらきのお手伝いを
さていただいているのです。
それが、南無阿弥陀仏のお念仏、仏さまの はたらき
そのものなのです。
第1584回 仏前結婚式での ご法話
令和 5年 6月7日~
お隣のお寺のお嬢さんが 結婚式をあげられました。
お相手は、在家の方ですが、住職坊守さんの強い希望で
本堂での仏前結婚式となりました。
ご近所のご縁で、司婚者を務めさせていただきました.
そこで、こんなご法話をさせていただきました。
ご結婚 まことにおめでとうございます。こころからお喜び申します。
こうして、ご仏前での結婚式を挙げていただいたこと、何かと大変でした
でしょうが、本当に尊い有り難いご縁でありました。
若いときは気づかなかったのですが、孫が出来、ひ孫ができると、
親というものは、自分のことよりも、子どもや孫のことが心配でならない。
どうか、生きがいある喜び多い人生を送ってほしいとの思いで
一杯でございます。
きっと、ご両家のご両親はじめ、ご親戚のみなさま、そして、こちらでは
先日お亡くなりになったおばあさま、お祖父様 そして 顔も知らない
多くのご先祖も揃って、良かった良かったと、喜んでいただいて
いることでありましょう。
ところで、坊さんですので何をしているか、
毎日毎日家庭訪問をいたしておりますが、
本当にいろいろなご家庭があるものです。それを、大胆に分類すると
大きく二つのグループに分けることができると思いますが、一つは
有り難う、良かった、御蔭さまと、明るく楽しく生き生きとしておいでのお宅と、
もう一つは、きつか 苦しか、ハガイか、私一人頑張ったですよ。
腹が立つ、くやしか、世の中間違っていますよ。
嘆かれるお宅との、大きく二つに分けることが出来るようです。
そして、きつか 苦しかの方々は、高学歴で、立派な家に住み社会的にも
うまくいった方々に多いようです。
どうして、そうなのか。少し分かってきました。・・・
私どもの宗教は、浄土真宗と申します。
難しいことは求められません。ただ一つ、それは
お話を聞いてくれ、仏さまの話を聞いてくれと、それだけでいいといいます。
ところが、簡単のようで、なかなか本堂に座れないものであります。
話を聞いてくれというのは、何の話かというと、これもただ一つであります。
仏さまは、おまえのことを、一人子のように、おまえを救う、
おまえのことが心配、我に任せよ。
仏さまは、おまえのために、おまえのことが、と 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏と 呼びかけておられる これだけであります。
私たち人間は 自分がやったことは、全部憶えています。
ああしてやった、こうしてやった、一つ残らず憶えています。
ところが、同じ事を、自分もやってもらったことは、
気づきもしない、全部忘れています。親の世話になんか、なっていない
自分ひとりがんばって 大きくなったと思っています。
おまえのために おまえのためにと繰り返し繰り返し、聞いた人は、
頑張れば頑張るほど、自分のために多くの方々が、多くの力が働きかけて
くださっていることに気づくことが出来て、ものの見方が違って見えて
くるものです。
これを、恩を感じるとか、報恩感謝とかいっていますが、
私に対する はたらきかけを気づいた人と、気づかない人とでは
大きく違ってくるものです。
特に、社会的にうまくいった人は、自分が知らないことは何もないと、
仏さまのお話など知っていると、聞く機会がなくご縁がなく、どうも、
つらい苦しい人生で 終わっておられるように見受けます。
夫婦の間でも、相手の思い、行動を気づかなければ、自分ばかり
苦労して、相手は何もしない、と腹立たしくなってくるものです。
相手の思い、はたらきかけに気づくと 有り難く尊敬出来る、連れ合いと
感じられてくるものです。
この本堂での結婚式をご縁に、仕合わせを感じ、味わう力を
感じ取る力を、受け取る力を 育てていく、そのきっかけを
持たせていただいたことを、本当に尊いご縁でした。
こうした価値観にあえれば、むなしい人生でなくなりますよ、
逆に出会わなければ、辛い人生でおわりますよと、
先輩たちは教えてくれています。
どうか、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏とともに、と言われますが、
私ども僧侶は職場でも口にできますが、みなさんは職場では、
無理でしょうから、「よかった、ありがとう、おかげさま」を口癖に
味わい深い 豊かで、喜び多い人生を受け取ってくださいとの、
先輩たちの願いを、聞き取り、素晴らしい人生
有り難い人生を、味わっていただければ有り難いことです。
本日は まことにおめでとうございました。
有り難うございました。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
第1583回 新しい領解文
令和5年 6月1日~
領解文を御存じですか、法座のあと、みんなで声を揃えて
唱和する 「もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて・・・・」です。
蓮如上人が定められたものといわれ、一人一人のご法義の受けとめを、
それぞれに表出する「領解文」として親しまれてきたものです。
そこには、「信心正因・称名報恩」など、浄土真宗の肝要が
コンパクトにまとめられています。
しかし、若い人には なかなか難しいだろうと、新しい領解文が
この度、作成されました。
ところが、その内容が浄土真宗独特の内容ではなく、誤解をまねく
ところがあると、多くの学者が、問題点を指摘して、それを学ぶ、
勉強会が各地で開かれています。
この「領解文」は、お聖教ですから、これまで、何の疑問も持たず
声に出していましたが、
いざ新しいものが出来てみると、これまでの内容が、うまく組み込まれず、
天台宗など従来の仏教と同じように誤解されてしまう部分もあります。
現代人に受け入れられるために優しく、分かりやすくと
努力したことが、逆に、問題を残したようです。
親鸞聖人は比叡山で20年もの長い間修行されました。
しかし、それまでの仏教では、選ばれた特別の能力ある人だけが
救われて、多くの人には関係無い、一般人には、ほど遠い教えでした。
法然聖人は、浄土三部経の中に、阿弥陀さまの教えが説かれており、
そこには、出家も修行もできない多くの人、すべてが救われるお念仏教えが
あることを、教えていただき、それを受け継ぎ、親鸞聖人は
私たちに間違いなく受け取れるように、克明に書き残していただいています。
そこで、今、私たちはお念仏の教えに遇うことが出来たのです。
そのことを喜び、この度、親鸞聖人生誕850年、そして浄土真宗の
立教開宗800年の法要がつとまりました。
しかし、新しい領解文には、親鸞聖人以前の古い仏教と
誤解されるような表現が入りこんでいました。
本願寺派の勧学・司教という 専門の学者さんたちは、ご門徒が
誤解し、将来、大きな間違いを犯すようなことがあってはならない、
もう一度、見直してほしいと、呼びかけておられます。
今回、新しい領解文が出来たことで、真剣に浄土真宗の特徴を
見直す機会ができました。親鸞聖人が一番大事であると、まとめて
いただいたことを、学び味わい直しています。
何事も尊いご縁、勝縁も逆縁も尊いご縁、私に南無阿弥陀仏を
勧めていただく、有り難いご縁だと 味わっています。
第1582回 忘れなければ 生きていけなかった
令和 5年5月25日~
純粋に泣けるドラマとの宣伝で 「おもかげ」というドラマを見ました。
65歳の定年を迎え、送別会の夜、贈られた花束を手に帰宅する
地下鉄の中で突然倒れ、集中治療室に運ばれた男、心配する妻や娘。
戦後の成長期に仕事一筋に生きてきたサラリーマン世代。
子どもが交通事故で入院した時も、ちょっと顔を見せるだけで、
海に行きたいという子どもの願いもそこそこに聞き、
急いで職場に戻る猛烈社員。
小さな長男は、まもなく命を終え、後悔するものの、
「ちゃんと見てないからだ」「待ってたのに、何で病院に
戻ってくれなかったの」と、妻となじりあうしか無かった
若い日の辛い悲しい過去を持つ。
今、ウクライナでも、多くの戦災孤児が生まれて
いることでしょうが、主人公の彼も 戦後の混乱期に、
孤児院で育った親を知らない子どもでした。
ところで、終戦から50年たった頃 父親の50回忌法要が続く中、
こんな話を聞きました。
「父親とは 一度もあったことないんですよ。私が生まれる前に
戦死したもんで、写真でしか知らんのです」と。
そして、御斎でお酒が入ると、
「悲しいもんで 自分が父親になって子どもと、どう向き合えばいいのか、
よくわからんで、妻にまかせて逃げてばかりいました。
自分の子どもも、父親になって、きっと、どうしていいのか分からんで、
悩むでしょうね。
戦争は酷ですね 何世代も陰を落としていくもんですよ」と。
ドラマでは、昏睡状態の中、戦争孤児で仲間たちと盗みをしながら
生き延びた老人や、謎の老女や女性に忘れようとしていた過去を
思いおこされ、生きぬいてほしいと赤ちゃんを地下鉄の車内に捨てる
若い母親と、その赤ちゃんを、みんなで拾い上げる人々などを
見せられることで、
自分は捨てられたのではなく、一人で生きてきたのではなく
多くの人々に支えられ、いままで生かされてきたのだと、
感じ取り、感謝しながら生きていかねばと、思わされる物語でした。
忘れたい、忘れなければ生きていけない、悩み苦しみを持ちながら
生きている人が、私の周りにも一杯いることでしょう。
原作者の浅田次郎さんは「同じ教室に、同じアルバイトの中に、
同じ職場に、同じ地下鉄で通勤していた人の中に、彼はいたのだと思う」と。
阿弥陀さまは 私たちのことをみんな知って、よく頑張ったね、
辛かったねと見守り、はげまし続けてておられるのです。
どうか、この世を精一杯生き抜いて、やがてお浄土へ生まれて
来てほしい、一緒に、はたらいてくださいと、
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と呼びかけておられるのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は 阿弥陀さまの呼び声、一緒に
私の親たちも、よく頑張った、辛かったね。苦しかったね。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、呼びかけて
おられるのです。
第1581回 お経を聞くと アルファー波が
令和5年5月18日~
経験豊かなベテランの僧侶が座禅を組むと、脳波に変化が出る
という研究を 聞いたことがありますが、東京の築地本願寺で、
ユニークな動画が出ているということで見てみました。
その内容は
築地本願寺の本堂では、毎日のお勤めの際に僧侶のお経をききながら、
リラックスして座っている方が大勢いらっしゃいます。
中には朝ということもあり自然とウトウトしている方も…という光景も
珍しくありません。
実際に、「お経を聴いて眠くなったことはあるか?」と
一般の人500人に調査した結果でも、60%が「眠くなったことがある」と
回答しました。
そこで築地本願寺の僧侶ではない4名の職員に、お経を聴いてもらい、
その時の脳波を測定してみたところ、α波(アルファー波=
脳がリラックスしているときに出る脳波)の振幅の増大が見られました。
この結果について予防医学を研究されている亀井勉先生に
検証してもらい、以下のコメントを頂きました。
「お経を聴いている最中は、アルファ波の振幅の増大が見られました。
α波が増強している状態では 心身ともにリラックス状態になり、
ストレスケアや免疫力の向上、良質な睡眠の促進など様々な
健康促進効果が期待されます。
このような実験結果からも、昔から伝わる日本人の叡智である、
お経を生活に取り入れることは、現代人にとっても有効な
リラクセーション手法になると言えます。」
築地本願寺では、これらの検証結果をドキュメンタリー動画にし、
さらに、「お経」×「築地本願寺の風景」をミックスさせた動画を
制作いたしました。
ぜひ築地本願寺YouTubeチャンネルからご視聴ください! ・・・・・
とありました。
ここでは、お経を聞くだけでの調査ですが、浄土真宗では
自分でお経を読むことがおおく、自分で読み、それを自分で聞くと
もっと変化が、効果が多きかもしれません。
蓮如上人いらい 真宗門徒は 朝と晩とに 正信偈とご和讚を
くり読みし、御文章を拝読するのが決まりです。
時間をつくって 挑戦してはいかがですか、健康食品を飲むより
ことによると、効果があるのではないでしょうか。
第1580回 葬儀をなぜするの?
令和 5年 5月11日~
連続研修会の講師担当で準備していましたら、
前回の巡番報恩講の時に作ったパンフレトに
浄土真宗の特徴を 項目別にまとめたものを発見しました。
その中に 葬儀はなぜするの? という項目がありました。
そこには こんな文章を 掲載していました。
葬儀は なぜするの?
葬儀は、大切な方の死を厳粛に受け止め、あらためて
命の不思識を感じ、亡き方をご縁に、阿弥陀如来の
救いの真実を学ばせていただく最も尊いお念仏の行事です。
亡くなった方のための仏教行事と思っている方も
ありましょうが、むしろ、亡くなった方に、本当の人生とは
何かということを、私たちが学ばせていただく場なのです。
生あるものは必ず死ななければならないという諸行無常こそ、
絶対の事実であることを、亡き人が、身を以て私たちに
教えてくださる一生一度の無言の説法の場です。
亡くなられた方の真の願いを受けとめて、老病死を
解決できる真実の教えに遇い、念仏を称えることの出来る身に
していただくこと、そのことこそが、葬儀の本義なのです。
迷惑を掛けるので簡単に直葬、家族葬で済まそうなどと考えずに、
たった一度の尊いご縁を大切にお勤めしたいものです。
特に、親元を離れて、都会で生活している方は、
通夜・葬儀で父母の友人や近所の人たちと言葉を交わすことで、
亡き方が心豊かな人生を送られていたそのことを確認出来る
貴重な機会です。
また、自分の性格や特徴の多くが、実は親から受け継いだ
素養であったことも、発見でき、気づいていなかった
自分の真の姿を見つけ出すチャンスでもあります。
とありました。
一生一度の 親の葬儀 そして自分の葬儀 人生最後の
大切なご縁です、意義あるものにしたいものです。
第1579回 問題は内側に
令和5年 5月 4日~
民族宗教の場合には、人間は自分の外の自然との関係において
考えられています。
たとえば雨が降らずに飢饉が起これば、神々に雨乞いの祈りをする
など、外的環境にどう対処していくかという問題が
民族宗教のすべてです。
けれどもお釈迦さまの教えはそうではありません。
人間の苦しみの出てくる元は、外界にあるのではなく
自分の内部にあるということの発見から、仏教は始まったのです。
つまり世界は自分の外にだけあるのではなくて、
自分の内面にもあります。
それまでの人類が知らなかった、このような内的宇宙と
いうものに覚醒するということをはっきり教えられたのが、
お釈迦さまです。
お釈迦さまの覚りというのは、どこまでも自分の内へ入っていく
徹底的な内省の道の果です。
そしてついに苦しみの元が、自分の存在の奥底にある衝動的な
執着心にあるということを発見された。
真っ暗な自己愛が苦悩の原因だったことの発見とともに、
苦しみの元が断たれた。
苦しみの元を発見したら、苦しみの根本が断たれたことになります。
苦の元がわからないから迷っていたのです。
それがわかったということは、苦しみからの解放、解脱であり、
大きな平安です。
これは決して神秘的なことでも、異常な神懸かりでもありません。
それまでの人類の誰も知らなかった、人間精神の一番深みに対して
初めて覚醒した現実的な経験であります。
ブッダになったということは、心の目が覚めたという意味です。
それまでいろいろなことに迷っていたけれども、迷いの元が今わかった。
今思えば、私は我執にふり回され、真実が見えなかったのだ。
目が覚めてもう迷わなくなったという大きな平和を経験されたのです。
そうして、世界中の生きとし生けるものはみな光かがやく仏性を
持っているのだといわれた。
仏教という世界宗教は、お釈迦さまのこの覚りの経験から生まれたのです。
阿弥陀の本願にまかせる生きとし生ける衆生はことごとく救われて
仏に成るという、『仏説無量寿経』の根本思想は、お釈迦さまが
覚りの心境のなかで発見された真理であります。
弥陀の本願や往生浄土はお釈迦さまの自覚の内容です。
親鸞聖人はこの真理に直行され、お釈迦さまがこの世に
お出ましになったゆえんは、ただ弥陀の本願を説くためであった
とおっしゃっています。
これは逆に言えば、お釈迦さまの説法が真理であるのは、
阿弥陀さまの本願が真理であるからだということを意味します。
だから、浄土真宗というのは特別な人びとが信奉する宗派の
名称ではないのであって、宇宙の語りを聞いたお釈迦さまの
仏教の根本精神だということをいわれているのです。
召喚する真理 正像末和讚を読み 下 大峰顕著 本願寺出版社
第1578回 親のよび声
令和5年 4月27日~
小さな女の子が山の中で迷子になる事件がありました。
家族と遊びに来て、一人で道に迷ったのです。
警察や消防、近所やボランティアの人たちで探しますが、
夕方になってもなかなか見つかりません。
そしてとうとう夜になり、「今日はもうダメだ。
これ以上は暗くてあぶない。明日また探そう」と誰かが言いました。
結局その日はあきらめて次の日の朝ふたたび集まることが決まり、
捜索隊は一時解散しました。
ところが捜索が打ち切りになった後も、探すのを
やめなかった人がいます。
「どこにいるの〜、お母さんはここですよ〜」大声でさけびながら
必死になって探し続けたのは、その子のお母さんでした。
みんなが帰ってしまった後も、決して探すのをやめません。
真っ暗な中さみしくて泣いているに違いない、
お腹を空かせてひもじい思いをしているに違いないと
子どもの身を案じ、心の底から心配をしているのです。
お母さんは子どもが見つかるまで心が休まることはありません。
その子を胸に抱きしめて安心させるまで、けんめいに探し続けます。
絶対にあきらめない、決して見捨てることができないのが
本当の親なのです。
みなさんには自分のことを本当に心配してくれる人がいますか。
つらい思いをした時、悲しい気持ちになった時、声をかけて
くれる人はいますか。
私たちの仏さまは「アミダさま」と言います。
アミダさまは「南無阿弥陀仏」という言葉になって、
今も私のところに来てくださっています。
「声に姿はなけれども 声のまんまが仏なり 仏は声のお六字と
姿をかえてわれに来る」これは高松悟峰というお坊さんの言葉です。
「南無阿弥陀仏」は、変な呪文やまじないの言葉ではありません。
アミダさまのよび声です。
「ここにいるよ、ひとりじゃないよ。
わたしはあなたを見捨てたり見放したりしないからね。」
アミダさまはこれまでもこれからも、ずっと私を
よび続けてくださいます。
「ナモアミダブツ」と大きな声で返事をしましょう。
アミダさまのまことの言葉をいただいて、疑いが晴れて
安心することを信心といいます。
道に迷った山の中で、親のよび声が聞こえたとき、
その声を疑う人はいませんね。
「南無阿弥陀仏」と声に出してとなえることは、
アミダさまのたしかさ、たのもしさをよろこんでいくことなのです。
本願寺派 少年連盟 ホームページ 松月英淳師
第1577回 法事の参拝者は 招待客ではありません
令和 5年 4月20日~
仏事のイロハという本の中に「法事の参拝者は 招待客ではありません。」
という文章がありました。【法事に参画を】と説かれた所にです。
法事は、主催者である施主とその家族が中心となって準備をし、
営まれるわけですが、同時に、案内を受けて参拝する人たちも
法事を営む一員であることを心得ていただきたいものです。
なぜこんなことを言うかといえば、「法事はもっぱら施主が勤め、
我々がそこに招待された者だ」という意識が、参拝者の中にあるように
思えるからです。
すなわち、施主が招待する側で、参拝者は招待された“
客 ”である
というふうに対照的に捉えがちなのです。
しかし、法事の趣旨からいうと、それは間違いです。
法事は 故人に縁ある人たちが参集して、僧侶を招き、ともに
仏法を聞き味わうところに意義があります。
ですから、施主も、参拝した人たちも同じ立場にあるわけで、
法事に集まったすべての人々が、法事を営む一員だということです。
もっとも、具体的に形に表れる準備や進行は、施主やその家族が
行うことになりますので、参拝者は側面から協力することになります。
たとえば、親の年忌法要であれば、子である施主の兄弟で費用を
分担してもよいでしょうし、参拝者全員に配る「お供養」の品を
負担しあったりしてもよいでしょう。 (略)
参拝者が、当日お備えするものとしては、一般的に金封の「御仏前」や、
お菓子、果物といった供物類があります。
「御仏前」が施主へのお礼でないことはいうまでもありません。
報謝の心から仏さまにお供えするものであり、供物類も同様です。
いずれにしても、参拝者も積極的に法事に参画してください。
【法事の意味】の項目では
法事は、仏事ともいいます。意味するところは、縁ある人々が集まって
ともに仏さまを敬い、その教えを聞き、僧侶を迎えて、仏道を
実践していく行事のことです。
浄土真宗でいえば、阿弥陀仏を敬い讃えて、その本願のはたらきである
お念仏のいわれを聞き、お念仏の人生を歩むことを確認し合う集い、
といえましょうか。 (略)
ところで、この法事、亡き人をご縁に務めることから、「亡き人のために」
行うものと思われがちです。
いわゆる「追善供養」です。すなわち、亡き人のために私たちが法事を行って
善を積み、その功績を亡き人に振り向けて、少しでも良い世界に生まれて
もらおうという考え方です。
しかし、浄土真宗の味わいでは、亡き人は阿弥陀仏の救いによって
すでに 浄土に生まれ、仏さまになっておられます。
ということは、こちらから善を振り向ける必要はないのです。
法事はあくまで、参拝者一人ひとりの「私のために」催される
仏教行事なのです。
仏さまとなられた亡き人を偲ぶ時、亡き人は私たちに
「いつでもどこでも、どんなことがあっても、けっして
見放されない阿弥陀さまを依りどころにして、たくましく人生を
歩んでくれ、そして、私のいる浄土に生まれて、再び会おうよ」と
願われていることでしょう。
その願いを聞くのが年忌法要の大切な点です。・・・
とあります。
第1576回 すれ違い 行き違い
令和 5年 4月13日~
門徒推進員養成の連続研修会を開いていますが、その研修の中心は
一つのテーマを元に話し合う、話し合い法座です。
ところが、受講者の発言を聞いていると、時々話がすれ違うことがあります。
どうしてだろうかと思い、考えると、浄土真宗へのご縁の違いにありそうです。
私たちは この世の中で生きています。
この世間で、この世の中で、豊かな生活を求めて悪戦苦闘しています。
そして、この世の中が全ての世界だと思って生活しています。
ところが、お釈迦様は
この世では解決できない問題がある。
老病死をはじめとして、どうしても人間の力では
解決出来ない問題がある。
それをなんとか解決したいと、世間を出て、出家して、
厳しい修行を積み、悟りを開かれました。
ですから、仏教は、この世の論理ではない、世間を超えた
世間の価値観とは まったく違う考え方の教えなのです。
その仏教も、お釈迦様のように努力することよって、煩悩をコントロールして、
人間の力で 安心を得るものだというイメージが強いものです。
ところが、今から800年程前、鎌倉時代に、法然聖人の教えを受けた親鸞聖人は、
人間の力を頼りにしていては、落ちこぼれが出る。これでは
すべての人が救われることはない。
人間の努力だけではなく、仏さまが先に、すべての人を
救おうとはたらいておられるという教えが、説かれていることに気づかれ、
他力の 仏さまのはたらきの、南無阿弥陀仏のお念仏によって
すべての人が、必ずお浄土へ往生して 仏になれる教えがあると、確信して
勧めていただきました。
ところが、これは、現代人には なかなか理解出来ない考え方です。
努力することが素晴らしく、頑張れ頑張れ、成せば成ると育ってきた
現代人には、なかなか理解出来ない教えです。
話し合い法座に参加された方が、どの位置で、発言されているのか。
世間の価値観で、この世がすべてとの考えの方、
仏教は 自分の力で努力しなければならないと、受験生のような考えの方、
そして、よくお聴聞されて、他力のお念仏、仏さまのはたらき、仏さまの
願いがあることに出会われた方、こうした三つの立場の違いがあり、
話がかみ合わないことがあるのではないかと、感じました。
仏教は 世間の論理を超えた価値観であり、その仏教にも
人間の力、努力がすべてであるという、聖道門の仏教もあり、
もう一つは、親鸞聖人が勧めていただく、我々よりも前に、私のために
仏さまが、はたらき呼びかけていただいている、南無阿弥陀仏の
お念仏の教えがあることを、もう一度 整理し見つめ直してみると、
話の行き違いが 少なくなるのではないかと、感じています。
第1575回 信心よろこぶ そのひとを
令和5年 4月6日~
本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海(ほうかい)みちみちて
煩悩の濁水(じょくすい)へだてなし(『註釈版聖典』五八〇頁)
阿弥陀如来は いつも私に呼びかけ はたらきかけておられると
気付かされた人は むなしい人生で終わることはありませんよ。
煩悩一杯のこの私に 南無阿弥陀仏の功徳が満ち満ちて
仏さまの仲間としての生きがいある
人生を送ることができるのです。
親鸞聖人が お読みいただいたご和讚ですが、
お念仏の教えに出会うことが出来ると どうして
むなしい人生ではなくなるのか、
南無阿弥陀仏の功徳は いつどのように この身に
入る込んでくるのだろうかなどと
科学的な思考をする私たちは ついつい疑問に思ってしまいます。
お釈迦さまは 「一切衆生悉有仏性」 すべての生きものには
仏になる種 仏になる性質 能力、 その種が宿っていると説かれています。
親鸞聖人も ご和讚に
信心よろこぶ そのひとを 如来とひとしと ときたまふ
大信心は 仏性なり 仏性すなはち 如来なり と
味わっておられます。
阿弥陀さまは すべてのものを もらさず救おうとの願いを樹て
自分で厳しい修行をして、今から十劫前に仏となって
はたらき続けておられる。
いつでもどこでも 絶えず はたらいておられる、それは、
私の外側からだけではなく
すべての生き物の中に、私の中でも はたらき つづけておられると
いうことなのでしょう。
それなのに 私たちは それに気づかず 自分中心で
一喜一憂しながら生きています。
赤ちゃんを見ていると 自分と他人との区別がなく、大事なものでも
素直に相手に手渡すことができています。
しかし、少し知恵がつくと、これは私のものだと、おもちゃの
奪い合いが始まります。
私たちは 学校教育を何年も受けてきて、競争心が芽生え
努力すると成果があがることを知り、損か得か 勝ちか負けか
という感情が膨らんで 損得勘定を基準に、生きています。
ところが、この私のことを 一人子のように心配し、
なんとか喜び多い 生きがいある
人生を送らせ
やがては
お浄土に生まれさせ 仏にしたいという阿弥陀さまの
願い はたらきを聞かせていただくことによって、
私の中にある仏性、
仏になる性質を持っていることに気づかされ、今までと生き方が
少しずつ変えられてくるのです。
煩悩一杯の私のままで、仏さまになれるような能力が 開発されていき
それによって、ものの見方や行動が変わり、 私の人生は、
大きく違ってくるのです。
お聴聞を勧めるのは、仏様の話を聞くことで、私のために はたらきかける
大きな力があることを、この真実を知らされ、気づかされて、
自分の進むべき方向 目標 生き方が 変えられていくのだと思います。
両親や祖父母、多くの祖先たちが、阿弥陀さまと一緒になって
このお念仏の教えに遇い、南無阿弥陀仏を口にする生活をしてほしいと
期待して はたらき続けていらっしゃるのでしょう。
やがては私も仏となって、子や孫だけでなく、多くの人々の幸せになる方法を
呼びかけ続けていくことができる。
死んだら終わりの人生ではなく、まだまだ 仏さまになって活躍できる未来がある、
明るい喜び多い人生を受け取ることになるのです。
私の中の煩悩に支配され、わがままな自己中心的に生きていくのか。
それとも
阿弥陀さまの仲間として、生きがいある喜び多い
明るい未来を味わえる人生に、気づかせていただくのか。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏を口にして 耳に聞くたびに、
有り難い人生であることを 味わい感謝の毎日を送らせていただきたいものです。
第1574回 お浄土も人手不足か
令和 5年 3月30日~
現在は
あちこちで人手不足のようで、なかなか思うように
優秀な人が集まらないということです。
この世で お聴聞の人が少なくなってきて、お浄土でも、
人手不足ではないかと思われます。
阿弥陀様は 全ての人を救いたい 仏にしたいと、
はたらき続けておられますが、なかなか気づく人が少なく
ご苦労が多いようです。
阿弥陀さまは、もとは国王で
自分の持つ政治権力で
すべての人を幸せにしたい ひとりもらさず救いたいと
努力されていましたが、思うようにはいかない。
あるとき、仏様の話を聞いて この教えであれば すべての人を
仕合わせに出来ると、王様の地位を捨て、修行者となり
法蔵と名乗ったと お釈迦様おっしゃっています。
理想の国とはどんなものか。 お師匠様に頼んで210億の
仏様の国を見せてもらいましたが、どこにも完全な国はなく、
それから五劫という長い間考えに考えて、48項目の理想の国の設計図を
樹て、その願いを完成するために、また永劫という宇宙的長い時間修行して、
今から10劫前に阿弥陀仏と成られたと、仏説無量寿経にはあります。
阿弥陀様は、苦しむ人々に実践することを求めても
何もしない怠け者の私たち。
それでも、なんとかして救わねばならないと。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と自分の名前を呼び、
そして阿弥陀さまの国、お浄土へ生まれたいと思うものを
全員生まれさせて仏にしたい。
仏になったら、自分と同じ能力を持つ仏として 一緒に活躍させたい
と、はたらき続けておられると説かれています。
私たちは、仏様のことに気づきませんが、仏様がこの私に
何とかお浄土に生まれ仏となって、自分と一緒に はたらいて欲しいと
呼び掛け続けておられるのです。
一人残らず救いたい、それには まずは貴方がぜひ必要だ。
あなたを仏にして、一緒になって、人々を救おうではないか。
一緒に はたらいてくれよと、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と
呼びかけておられます。
ですから、私が仏になるは、私が楽をして楽しむ為ではなく。
阿弥陀さまと一緒になって みんなを救う はたらきを
してほしいと、私たちの頼んでおられるのです。
仏になるのは 私のため 私の喜びのためでなく
まずは大切な子どもや孫、そして
みんなを救うためのはたらきを、
私にしてほしいと期待され、望まれているのです。
その呼び声を聞き取った人は、
阿弥陀さまと同じ力を持つ仏になることが決まっていることを
喜び 驚き 今 自分がやれることを、精一杯勤めさせて
いただきたいものです。
阿弥陀さまは 南無阿弥陀仏で 人々を救いたい、ですから、
今 この世界で出来ることは 南無阿弥陀仏のお念仏を
口にしての生活をさせていただくことです。
それが、必ず仏になるお念仏の人の 今できることです。
第1573回 合格通知が届きました
令和5年 3月23日~
3月に入ると、親子連れの方が、本堂や墓地へ参拝される姿を
よく見かけます。
ある日、きょうは特に多いなあという日がありますが、
どうも高校受験や大学受験などの受験生が、親子揃って
お参りしておいでのようです。
受験といえば、学問の神様 太宰府天満宮が有名ですが、
神様は、どの子にもみんな平等に応援してくれるのに対し
仏様となると、自分の祖父母や多くの先祖が、少しは親身になって
応援してくれるのではないかと、そういう思いもあるのか、
本堂やお墓にお参りされるのではないでしょうか。
桜の花が咲く頃に 合格が決まると、それまでの苦労がむくわれ
あとは 4月になって、学校に登校するだけ。
行先がはっきりすると もう安心です。
ある法座で、テレビの今日の運勢のことが話題に出ました。
何気なく見ていても、今日が
いい日。
私にとって良い日とわかると嬉しいもの。
逆に
悪いことが起こると聞くと、気になってしまうもの。
何の根拠もありませんが、それを聞いた瞬間 嬉しかったり、
悲しかったりするものです。
浄土真宗のお念仏の教えは、必ずお浄土へ生まれますよ。
一人残らず生まれさせる。ですから、貴方も間違いなく
お浄土へ合格していますよ。
これから、どんなに悲しいこと、苦しいこと 辛いことがあろうが、
必ず、あなたはお浄土へ生まれます、合格ですと呼びかけられているのです。
今日の運勢のように、今日だけではなくて、
一生涯大丈夫、命ある間だけではなく、いのち終わっても大丈夫。
そのように聞き取ることが出来ると 合格通知をもらった時の、
あの喜びと、安心感が得られるものです。
合格が決まったら、入学するその日まで、遊びほうけるのではなく、
入学してから みんなに遅れず、ついていけるように、
毎日、精一杯準備をしておきたいものです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏は あなたは合格しました。
必ず仏になる人ですから、その覚悟でこの人生を送ってくださいとの、
呼びかけです。
仏壇の前で お勤めをするのは、合格の後、学校や会社から届く、
入学までに、やるべきことが記された、連絡の文書を 声を出して
繰り返し読んで確認しているのに似ているのではないでしょうか。
これから、入学までどういう気持ちで生活すればよいのか。
さあこれから新しい夢と希望を膨らませて、今やれることを、
楽しみながら取り組む毎日を送りましょう。
お浄土へ生まれるまでに出来ること それは お念仏の毎日を送ることです。
これが、南無阿弥陀仏の呼び声ではなのでしょう
第1572回 お育ていただくと
令和 5年 3月16日~
毎日、毎日、月忌参りや年忌法要で 家庭訪問をしていますが、
お念仏の教えに まったくご縁のない方とお話ししていると
非常に疲れてくるものです。
お勤めの後、仏さまのお話をして、いかがですかと、世間話になると
「毎日の生活がきつい 苦しい くやしい 歯がゆい 腹が立つ
私一人苦労したのに 誰もわかってくれない。
子どもを一生懸命育てたのに 全然わかっていない。
ほんとうに 世の中間違っている。」などと ぼやかれる方が多いものです。
どうも、自分でやったことは 一つ残らず全部憶えているのに、
自分が、同じように誰かにやってもらったことは 気づいていない、
感じていない人がおられるものです。
つまらない むなしい人生を送っておいでの方々です。
これに対して、本堂の法座によくお参りで お話を聞いておられる方、
お念仏の教えにご縁のある方は、にこやかに、
「気づいたら もう親の歳を越していました。
お蔭さまで こうして、この歳まで元気で生かされています。
私は幸せ、有り難い人生だった」と。
お聴聞している人は、周りがよく見えて、
多くのはたらきに、気づき感じ 感謝することが出来る方が多いようです。
自分の方からの 一方的な見方だけではなく、仏さまの目を通して
物ごとを見ることができる、見る力が身について、ご恩を感じとり、
ささえられた素晴らしい人生であると気づいておられるようです。
そして、もっと仏さまのお話を聞いておられる方は、それに加えて、
やがて、お浄土へ生まれ 仏として活躍できる。
先だった親たちは 私のために、今もずっと はたらき続けてくれている。
死んでしまったらすべてが終わりではなく、やがてお浄土に生まれ
今度は私も仏さまとなって、はたらくことができる、
これからまだまだ活躍出来る 明るい生きがいある未来を
感じておられるようです。
元気で若い頃の 青春時代のように 夢と希望がわいてきて
明るい未来をイメージしておられる、高齢でご病気であっても
明るくにこやかに、すごされておられる方があるものです。
お聴聞してお育ていただき、多くの働きかけを味わう能力が
身についたお陰で、すばらしい人生だったと思える
有り難い人生を送っておられます。
お念仏に遇えば 平凡なつまらない人生ではなく 喜び多い
豊かな 有り難い人生であることに 気づくことができると
教えていただいているとおりです。
第1571回 願いを伝えていく
令和 5年 3月9日~
お経や七高僧の論釈が 漢文で書かれているため
一般の人には難しいので、親鸞聖人は それを七・五調の
今様形式である和讃にして 数多く読んでいただいています。
その一つ、お葬式の時に節をつけて 拝読するのが
本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海 みちみちて煩悩の濁水 へだてなし
という高僧和讃です。
その意味は、お念仏の教えに出会えれば 南無阿弥陀仏の功徳が
この身に満ち満ちて 煩悩一杯のこの私も むなしい人生では
決してない、喜び多い豊かな人生と味わえるようになるものですよ。
裏返すと お念仏に遇うことが出来なければ やがて迎える
老病死の
苦しみ一杯の、むなしい人生で 終わりますよ
是非 お念仏の価値観に出会ってほしいと 先だち仏になられた方が
残された人々に 呼びかけていただいているのでしょう。
皆さんの中には、子どもころ 日曜学校に参加された方
おばあちゃんに手を引かれ本堂に座り、お聴聞されたことのある方など、
子どものころにお念仏とのご縁をいただいた方もあるかと思います。
ほとんどの方が お仏壇のある家で 育ってこられたのではないでしょうか。
しかし今、ふと気づくと 二世帯 三世帯で生活しておいでの家は
少なくなって、現代は、お仏壇ない家で 育っている子どもの方が
多いのではないでしょうか。
また、お通夜やお葬式も 多くは自宅で行ったいたのが、
現在は 駐車場や家に広い部屋がない造りなどから、
葬祭場で行われるのがほとんどになってきました。
自宅での時には、近所の人々がみんな集まって、食事の世話をはじめ
すべて雑用は、地域のみなさんや親戚が、受け持ってくれていました。
そこで、伝統、しきたり、仏教の教えなど、地域で伝承してきたように
思います。
それに加えて、コロナ流行のために、近所や親戚も、案内しないで
家族だけで ひっそりとお葬式をするケースも出来てきています。
うるさい親戚や地域の長老たちの出番がなくなり、密かに簡単に
送ることが許されるようになって、これまでの伝わったきたことが
ほとんど消え去っているように思えます。
そのため、みんなで伝えていた仏さまの教え、親たち共通の願い、
人間として最も大事な、人と人とのつながりなども
次の世代には 伝わっていないように思います。
お葬式で 本願力にあひぬれば むなしくするつひとぞなき・・・
いろいろな価値観があるものの、お釈迦様が説かれ、多くの人が
受け継いできた お念仏の教え 南無阿弥陀仏の教えに出会ってさえいれば
これから訪れる 老病死の苦しみも 乗り越えていける。
そして、仏となった親たちは 一番大事な子どもや孫のために
引き続き見守り応援し、お念仏の教えに遇うことで、
この人生が 意味ある 豊かで 尊いものとなることを
伝えたいのだと味わいます。
どうか、親の願いを受け取り、お念仏の教えを受け取り 次へと
相続してほしいとの呼びかけを聞き取り、お育ていただき、
次へ受け伝えていただきたいものです。
第1570回 還相の菩薩さま方
令和5年3月2日~
私どもの教えは、浄土真宗の教えといいます。
自分の力ではなく 仏さまの力 はたらきでお浄土へ
生まれさせていただく教えです。
地獄や極楽に行くという言葉もありますが、
お念仏の人は 極楽ではなく
阿弥陀さまのお浄土に生まれさせていただくのです。
お釈迦さまは 数多くの教えを説いていただいていますが
もっとも説きたかった教えが、この
浄土真宗、お念仏の教えであり、
この教えを説くために この世にお生まれになったのだと、
親鸞聖人は味わっておられます。
日常お勤めしている 『正信偈』には
如来所以興出世 唯説弥陀本願海
このお念仏の教えを説くために、お釈迦さまは
この世にお生まれになったのだと。
全ての人を、一人残さず 救い取りたいという 願いがはたらいており
南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と阿弥陀さまの名前を口にし
阿弥陀さまの呼びかけを 聞くことが出来た人は、
お浄土へ生まれて行くことができる。
そして阿弥陀様と同じさとりりを開き、仏となって活躍出来るのだと。
仏説無量寿経に説かれている、お念仏の教えについて
親鸞聖人は 教行信証の教の巻きに
「如来より二種の相が回向されるのである。
一つには、 わたしたちが
浄土に往生し成仏するという往相が回向されるのであり、
二つには、 さらに迷いの世界に還って衆生を救うという
還相が回向されるのである。 ・・・・」と
親鸞聖人は お師匠様の法然聖人が、往生されたことを
本師源空は、「浄土にかへりたまひにき」、あるいは、
「浄土に還帰せしめけり」と 和讃に読まれています。
同じように お釈迦さまが 阿弥陀如来のお浄土のことを
事細かに具体的に説かれているのは、お浄土から来られた
菩薩さまだから、還相の菩薩さまだからだとの味わいです。
そして、この私が お念仏に遇うご縁をつくっていただいた祖父母、
両親、兄弟、友人などなど、お浄土へ生まれていからた多くの方々も、
同じようにお浄土から来られ、私に教えを伝え お浄土へ帰られた、
還相回向の菩薩さまであったかもしれません。
その証拠には、この私がお念仏に遇わせていただいたのは、
あのお方のお陰だからです。
そして今度は この私がお浄土へ生まれ、一番大切な子どもや孫のために
還相の菩薩として はたらかせていただく番です。
ですから、お浄土から帰って来た人がいないのではなく、
沢山にいらっしゃるのに 気づいていないだけなのでしょう。
私の周りは みんなお浄土から来られた菩薩さまだと
味わっておられる方もあるのです。
第1569回 等しく ~すべてのものを~
令和5年 2月23日~
お経には「一切衆生 悉有仏性」というお示しがあります。
これはすべてのいのちあるものは、みな仏になる可能性を
持って、生まれてきているという教えであります。
また、阿弥陀如来様は、「十方衆生」を必ずすくうと誓い、
はたらいて下さっております。
十方というのは、東・西・南・北・北東・北西・南東・南西の
八つに、上下を加えたすべての世界です。
この十方のいのちあるものを、必ず仏にすることができなかったならば、
阿弥陀如来とは名告らないと、誓い、はたらいて下さっているのです。
ですから、私たちは気付いていなくとも、どんな生き方をしていても、
すべて仏となるべき“いのち”を生きているのであり、願われて
生きているのです。
換言するなら、私たちは、阿弥陀如来様にすくわれるべき“いのち”を、
生きているということができるのです。
人間に生まれさせていただいた尊さに目覚めるというのは、
このように仏となるべきいのちを生きているということへの、
目ざめ、気付きなのであります。
大切なことは、この私の“いのち”が願われているだけではなく、
すべての“いのち”が、阿弥陀如来様にすくわれるべく、
今生きているのです。
ややもすれば、日常の生活の中で、ともすれば“いのち”の尊さ、
如来様のはたらいて下さってある“いのち”であったということを
忘れてしまい、どんなにか“いのち”を粗末に扱っていないでしょうか。
私が尊い“いのち”、如来様のはたらいて下さってある“いのち”を
生かされていることに気付く時、初めて、すべての“いのち”が等しく、
尊いと気付かされるのであります。
同じ阿弥陀如来様が、はたらいて下さってある尊い“いのち”でありました。
同じ阿弥陀如来様のお浄土で遇わさせていただく“いのち”でありました
と目覚める、すべての“いのち”への共感もめばえ、
「たがいに敬い、たすけ合う」という人間関係が成立し、
南無阿弥陀仏にいかされる私の人生が展開していきます。
南無阿弥陀仏のみ光りは、ときもところもこえ、人種や、
肌の色の違いや、家柄・・・・・・、そんなもの、何の関係もなく、
等しく“いのち”を育てて下さってあるのです。
『聞法(1996(平成8)年 者 :小林 顯英師)より
第1568回 お浄土への道
令和 5年 2月16日~
迷いとは、進むべき道を見失っているということです。
よく電話で、「お寺へ行きたいのですが、どの道を行けば
いいのですか、迷っています」と話されています。
進むべき道がはっきりすれば、生きる方向が定まります。
私たちの人生、どの道を歩むことが、悔いなく
力強く歩める道でしょうか。
仏教は、生死(迷い)をこえていく道を教えていますが、
仏教の中でもさまざまな道があります。
どの道が私にふさわしい道かを知るには、
私の現在地を知ることが必要です。
「進むべき道がわかりません。迷っています」という方に、
私は「現在地はどこですか」を聞き返します。
現在地がわかれば進むべき道を指示することができるからです。
仏法を聞くとは、阿弥陀さまの光に照らされ私自身の姿、
即ち現在地が明らかになると同時に、阿弥陀さまが、
私たちの進むべき道を指示してくださっていることが
明らかになるのです。
私は安心して迷える道、安心して
間違えてもいい人生の道を進みたいです。
迷ったらいけない、間違ったらいけないと
力んで生きる道はとてもしんどいし、疲れて長つづきしません。
また自分の思い通りにならなくても悔いなく生き、
私がこの人生に生まれて良かったと心から思える
人生の道を歩みたいです。
二河白道の譬に、限りなき煩悩によって
苦しんでいる旅人が、前にも進むことができず、
後ろにも下がることができず、またとどまることも
できない状態の中で、お釈迦さまが
「汝ただ決定してこの道を尋ねて行け」と示され、
阿弥陀さまが「汝一心正念にして直ちに来たれ」と
私たちにお浄土への道を歩みなさいとよびかけられています。
このお浄土への道を歩む人は、霊やタタリの迷信に
振り回されることもありませんし、いくら私が間違っても、
間違うことのない阿弥陀さまが私の生きる依りどころと
なってくださっているから安心です。
「この道より我を生かす道なし」です。
どうか皆さまと共にこのお浄土への道を歩みたいものです。
『聞法(1993(平成5)年7月15日発行)』
(著者 : 不死川 浄師)より
第1567回 はたらき続ける仏さま
令和 5年 2月9日~
車でお参りしている途中、 サイレンを鳴らした 救急車、消防車
パトカー。 血液センターや 電気やガス会社の車と よく出会うことがあります。
生命に関わる 緊急時。 サイレンを鳴らし救助に 向かっている
緊急車両です。
ところで 浄土真宗の教えは、 すべての人を必ず救う。
一人残らず救うという。 阿弥陀如来の願い はたらきが 説かれた宗教です。
救急車両の場合は 誰かが電話をして、はじめて、救いに来てくれるものですが、
阿弥陀さまは 電話しなくても 頼まなくても いつでもどこでも誰にでも
平等に 救わずにはおかぬと はたらき続けておられるというのです。
北原白秋の郷里 柳川地方では 年に一度 子どもたちに地獄絵を見せる
行事があると、昔テレビで見たことがありますが、死んだら終わりと
理解している人が多い現代では、地獄へ行くことや、地獄の苦しみから
救われるというイメージは なかなか持てないものです。
ことによると、地獄のような苦しみは 将来ではなく死んだあとの話ではなく
今 ここに存在しているのに、医学や経済的な解決だけに頼って、
もうどうしようもないと 諦め落胆してしまっているのが、
現在の多くの人々であるようです。
仏教は、お念仏の教えは、日常の生活に疲れ、 悩み苦しむ
人々を
頼まなくても呼ばなくても 必ず救おうと、はたらきかけがあるのに
それに気付くこともなく、溺れ苦しんでいる人に
その苦しみの原因が何によるのか、また、その
痛み苦しみ悩みを 和らげ解決する方法を
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と
呼びかけ 教えておられるのです。
救われるのは、この自分であると気づいたとき、
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の呼びかけは、自分を救いに
救急サイレンの音が 近づいてきた時のように、
ほっとし 安心感が得られるのです。
仏さまの教えに出会い、南無阿弥陀仏の呼びかけの意味を
仏さまの願いを聞き 味わうことが出来れば
生きがいや 喜びが与えられ私のこころと体に
大きな変化が起こってくるのです。
第1566回 最も度し難いのものは この私
令和5年 2月2日~
お姉さんの結婚式の朝 お内仏の前で撮った笑顔いっぱいの
家族写真を見せてもらいました。
その大切な写真が、お内仏の前で撮られているということに驚きました。
日頃から仏前に座り手を合わせてきた家族だったから、その場所を
選んだのでしょう。
七宝講堂道場樹 方便化身の浄土なり
十方来生きはもなし 講堂道場礼すべし (『註釈版』562頁)
これは親鸞聖人が作られた「浄土和讃」の一首です。
「講堂」とは 聞法の道場であり、お寺の本堂や家庭の
お内仏を意味します。
親鸞聖人はこの「講堂」の字の横に、小さく「ナラウイエ」と
書かれています。
いったい何を習うのでしょうか。それは自分自身を習うのでしょう。
喜び、悲しみ、腹を立てる自分自身の姿です。
その姿は時に目を覆いたくなるような愚かしいものかもしれません。
しかし、その見たくないものをしっかりと見て、習う。
それが本堂やお内仏という場なのです。
詩人の相田みつを氏は、「じぶん/この/やっかいなもの」
(『いのちいっぱい』ダイヤモンド社)と、他者ではなく、
自分こそが一番煩わしい者であると教えてくださいます。
私の目はありのままの世界を見ているにもかかわらず、
「自分」は勝手な解釈でもって、ものごとを常に選り好んで
生きています。
周囲の人を、親を、連れ合いを、子を、そして自分自身さえ
ありのままにいただくことなく、事実をねじ曲げ、
そのうえ不平不満を言って生きているのです。
そのような私が、本当の私自身を見ることができる場として
聞法の道場があるのでしょう。
その確かな依り処を大切にして欲しいという仏さまの願いを、
お内仏の前に座る家族の姿をとおして、あらためて
教えていただいたことでした。
稲城先生の法語「世の中に最も度し難いものは他人ではない この私」
この法語は、不確かな目で見たものを絶対化するどうしようもない私を
言い当てられた言葉です。
いかに我が身中心の思いで生活しているのか。
それさえも厳しく教えられないとわからない。
そういう我が身の愚かさを教えていただくのが道場です。
その自分が最も救われなければならないものであると目覚めたとき、
頭は自然と下がるのです。
松江 長親師を参照
第1565回 親は 子どものために
令和5年 1月26日~
テレビ放送開始70周年記念ドラマ として
「大河ドラマが生まれた日」を 2月上旬に放送するという
PR番組をみました。
昭和39年の東京オリンピックの直前、テレビの躍進を脅威と感じた
映画会社は 所属の俳優をテレビには出演させない協定を結び、
テレビと対抗していた時代のことです。
映画に負けない新しい連続大型時代劇を自分自身で制作できないかと
奮闘する中、映画俳優の 佐田啓二が出演することを了解してくれて、
第一回大河ドラマ「花の生涯」が、スタートしたという物語のようです。
この記念ドラマには、佐田啓二の息子 中井貴一が、大河ドラマを発案した
芸能局長の役で出演しているということです。
ところが、中井貴一のスケジュールがなかなか取れず、
たまたま空けてあった一日、父の祥月命日に、収録をしたとい
うコメントもありました。
もう40年も前を思い出しています。
夜の8時台の総合テレビ 報道や教養番組がほとんどとなった中、
やはり娯楽時代劇が必要と急遽制作することになりました。
作品は 藤沢周平さんの原作と決まっていましたが、あとは白紙
毎週一回の放送ですから、週5日間のスケジュールが必要ですが、
主役級の俳優は 2年3年先まで、予定が入っており、なかなか
いい人が見つかりません。
そんな中、訪ねてきた中堅どころのプロダクションのマネージャに
「時代劇 主役 新鮮な若者 いませんか?」「いますよ」
「え、誰、どこに」「佐田啓二の息子さん」「今何をしている人」
「大学3年か4年生ですよ」「経験はあるの」「映画連合艦隊に出てましたよ」
「会えるかなー」「段取り取ってみます」
放送センターの西口前の喫茶店で会うことになりました。
約束の時間に行くと、恰幅がいい母親がひとり現れて、本人はクラブ活動で
少し遅れますとのこと。
内容を説明すると、主人の佐田啓二さんが夜の8時台のドラマ収録のために
蓼科高原(たてしなこうげん)から帰る途中、自動車事故で亡くなった。
その同じ8時台に息子に主役の話があり、あとは本人次第との感じでした。
真っ黒に日焼けして、ラケットを持ち、練習着のまま現れた青年は
自分は父親と別の道を行きます。大学のテニス部のキャプテン、先輩の
紹介で、就職は大丈夫。ゴメンナサイとの強い決意でした。
「そういわず、卒業前の思い出づくりに 一本だけやってみない」
「とても無理です、大きな大会もひかえていますから」
「今結論を出さず、後で返事を・・」で別れました。
ちょっと無理かなあーが印象でした。
しかし、数日後 出演したいとの返事が届き思いました。
親は子どもや孫の幸せのために 心配りをします。
亡くなっても親は子どものことを一番に考えてはたらきかけて
くれているのだろうと
しかし、なかなかそれに気づかずにいるだけ、
この父と、子どもの映像をテレビで見ながら、この場合は
それを感じ取ることが出来、受け入れただけだと、つくづく感じています。
親はいつも 子どものことを応援しているのです。
阿弥陀さまは すべての人を我が子のように、いつもいつも
私に任せなさいと、見守っておられるのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と 呼びかけ見守って
おられるのです。
第1564回 酔っぱらって
令和 5年 1月19日~
朝から 赤い顔をし 酒臭く 二日酔いで苦しんでいる人がいます。
たばこを切れ間なく吸い、指先は黄色く 近づくと匂う人もいます。
酒やたばこや賭け事に酔いしれている人たちに比べると
自分は真面目でまともな人間であると思っていますが、
自己中心で 行き先もわからず、 道に迷っていながら
それに気づかず、生きている人は 酔っ払っている人たちと
同じように 無意味な人生を送っていると 言われます。
何のためにこの世に生まれ どこへ向かって、生きているのか
考えもしないで、毎日をすごしていることを、
むなしい人生であると 仏教では 言うのだといいます。
蓮如上人の御文章には
八万の法蔵をしるというとも、後世をしらざる人を
愚者とす、たとい一文不知の尼入道なりというとも・
後世をしるを智者とすといえり・・・・ とあります。
希望したわけでもなく、気づいてみると、この世に生まれていました。
そして 追いかけられるように競い合って
勝ったと言って喜び、負けたと言って悲しみ
得をしたとはしゃぎ 損をしたと悔しがり、一喜一憂しながら
無我夢中に走り続けているのが私たちです。
親鸞聖人の
ご和讃には
本願力にあひぬれば むなしくすぐる人ぞなし
功徳の宝海 みちみちて 煩悩の濁水へだてなし と。
阿弥陀如来は、一人も漏らさず救い取る、人間に生まれたことを
喜び、生きがいある人生をまっとうさせたいと願いを立て
完成されました。
この本願の教えに出会えれば、この人生は 喜び多い
すばらしいものになること間違いないと、お釈迦さまは
教えていただいています。
この私は
今は 自分本位で 自分の家族や仲間のことしか
考えられない生き方をしていますが
やがて 多くの人々の幸せのために
生きることが喜びとなる 仏になって欲しいと
阿弥陀如来は呼びかけておられるのです。
どうか 仏となって みんなのためにはたらく そうした目標をもって、
この人生を
送って欲しいと呼びかけておられます。
難しいことを言っても何もしない できない私たちに 代わって
自分が 苦労して修行して、南無阿弥陀仏と自分の名前を
信じ 口にするものを、一人残らず
自分と同じ能力を持つ
仏にしようとはたらいておられるのです。
無理なことは言わない 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏のお念仏だけで良い 。
私たちの
父 祖父母 多くの先輩たちも 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
と、一緒になって はたらきかけておられます。
何のためにこの世に生まれ、何のために生きるのか、
そのことがはっきりすることで、この人生は まるで違って
見えてくるものです。
あなたも酔いしれて 虚しい人生を送るのではなく、どうか、
喜び多い 生きがいある人生があることに気づいてほしいと。
お念仏の教えに出会えれば、 生まれた目的 進んで行く方向
本当の喜びが はっきりと見えてくるのです。
第1563回 最も確実な親孝行は
令和5年 1月12日~
今年も お精進がはじまりました。
ご本山 西本願寺では、1月9日から、親鸞聖人の御命日の法要、
ご正忌報恩講が始まりました。
お寺だけではなく ご門徒のお宅でも、この期間中、お精進をして
肉や魚を食べるのを遠慮していたようです。
お正月が終わり、ご正忌報恩講が近づくと、生ものを煮炊きした鍋や釜を、
丁寧に洗い、ご正忌報恩講の準備をしていたということです。
京都では 昔、この間 魚市場もお休みだったと聞いた事があります。
親鸞聖人は お釈迦さまが説いていただいた、数多くの教えの中で
無量寿経にある阿弥陀さまのお念仏の教えこそが、真実の教えであると
味わっておられます。
全てのひとを一人も漏らさずに救うには どうすればよいのか
五劫という長い長い間 考えに考えて 48願をたて、
お念仏ひとつで お浄土へ救い取り もれなく仏にしようという
願いを完成するために 大変 大変 ご苦労いただきました。
親鸞聖人は 「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、
ひとえに親鸞一人がためなりけり。」と 味わっておられます。
教育テレビでは 子どもさん向け番組で 「えほん寄席 寿限無」
というのが 放送されているようで、字も読めない 小さな子どもさんが
寿限無 寿限無 五劫のすりきれ・・・・と 暗記しているようです。
この寿限無は 無量寿経の 無量寿でしょうし 五劫のすりきれは
法蔵菩薩の 五劫思惟のご苦労のことを 知った人が
このお話を作り、お念仏を喜ぶ人々がそれを受け入れてきたのでしょう。
親は 子どもの幸せを願い 立派な名前を考えて寿限無 寿限無という
長い長い名前を つけてやったのでしょうが、
すべての親は 子どものために 子どもの幸せのために 頑張り苦労しています。
その親がもっとも喜んでくれるのは、子どもが喜び多く 生きがいをもって
自分のためだけではなく、多くの人のために 頑張って生きてくれることでしょう。
それには、お念仏の教えに出会うことで、その方向性 進むべき道
やるべきことが見えてくるものです。
どうか、両親や祖父母を喜ばせるには お念仏の教えに出会っていただくことが
最も早く 最も確実な親孝行ができることでしょう。
ご正忌報恩講は、そのご縁を結んでいただく チャンスです。
ご本山の ご正忌報恩講は インターネットでもライブ配信されています。
どうか、一日でも早く お念仏のご縁をいただいていただきたいものです。
第1562回 深い深い思い
令和 5年 1月 5日~
『大無量寿経』には、阿弥陀仏が仏に成られる前、
法蔵菩薩であられたとき、世自在王仏のもとで教えを
受けておられましたが、教えを受けるなかで、菩薩は、
“浄土を建設して、悩み苦しむ人びとをすべて救いたい”と
願うようになられたのでした。
そのために、他の仏の浄土の成り立ちを教えていただきたいと、
世自在王仏に懇願されたのです。
世自在王仏は法蔵菩薩の願を聞き入れて、多くの仏の浄土を
お示しになりました。
菩薩は、諸仏の浄土とそれらの浄土に生きる人びとのありさまについて、
みなことごとく見究きわめられたのでした。
そしてその上で、法蔵菩薩は、他の仏の浄土とは違った浄土を
実現したいという、殊のほか勝すぐれた願いを発こされたのです。
殊のほか勝れた願いというのは、真実に無知でありながら
それに気づかず、教えに背を向けているために悩み苦しむ凡夫、
いわば、どうにもならない凡夫をこそ、迎え入れる浄土を
実現したいという願いであったのです。
法蔵菩薩は仏になろうと志しておられましたが、もし、
その願いを成就させることができないのであれば、むしろ
自分は仏には成らないとまで誓われたのです。
凡夫は、ものの道理がわかっていないのです。しかも、
ものの道理がわかっていない、そのことも、実はわかっていないのです。
それなのに、自分自身にこだわって、自分はわかっていると思い、
わかっていると思っていることだけが道理だと思い込んでいます。
このような凡夫が浄土に生まれるなどということは、通常は
あり得ないことです。
浄土というのは、自分にこだわって思い上がるなどという、
そのような汚がれがまったくない世界だからです。
法蔵菩薩は、そのように浄土に往生できるはずのない凡夫を、
どのようにすれば自分が建設しようとしている浄土に
導き入れることができるのか、それを深く深く思案されたのだと、
『大無量寿経』に説かれています。
そのことを親鸞聖人は「五劫思惟し」(五劫、これを思惟して)と
述べておられるのです。
「劫」というのは、気が遠くなるような、途方もなく永い時間
をかけて法蔵菩薩は思案されたわけです。
私たちも、時には、真剣に思案することがあります。
けれども、どんなに真剣に、誠実に思案したとしても、
必ず、自分とか、自分の都合とかいうものが絡んでしまいます。
そのような思案とはまるで違った、純粋な思案、どうにもならない
凡夫を救うための思案を深く深く重ねられたのです。
その思いの深さを「五劫」という時間の永さで言い表わしてあるのです。
つまり質の深さを量の多さによって表わしてあると考えることができるのです。
それほどの深い思い、大きな願いが、私ども凡夫に差し向けられて
いるわけです。
ここであらためて、親鸞聖人のお言葉が思い起こされます。
『歎異抄』によりますと、聖人は、「弥陀の五劫思惟の願を
よくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」と述べておられます
これほど深い願いがご自分に差し向けられていることに
感動しておられるのです。
「たすかるはずのない凡夫を何とかして たすけたいというこの願いは、
実は、自分に向けられているとしか思えない」と言っておられるのです。
ここには、ご自分を救い難い凡夫であると、真っ正直に厳しく
見据えておられる聖人の眼差しがうかがわれるのではないでしょうか。
そして、その深い自覚から法蔵菩薩の願いに触れたときの喜びを
表明しておられるのではないでしょうか。
法蔵菩薩は、深い思案のすえ、たすかるはずのない凡夫をたすける手立ては
これしかないと、思い当たられたのです。
そして、四十八項目からなる誓願を選び取られたのです。
そのことを「摂受(しょうじゅ)」(摂さめ受ける)と説かれているのです。
九州大谷短期大学長 古田和弘師
第1561回 遇い難くして 今遇う
令和4年 12月29日~
「お釈迦さまが この世にお生まれになったのは、阿弥陀如来の
本願を説くためであった」と、親鸞聖人は 正信偈に
「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」と著していただいています。
今から 800年前 鎌倉時代のことです。
八万四千の法門といわれるようにお釈迦さまは 人々の問いに答えて
数多くの教えを お説きいただいています。
しかし、その教えの多くは強靱な精神と強固な体力を持つ
優れた一部の人しか実践することが出来ない難しい教えでした。
ところが、全ての人がもれなく救われる お念仏の教えがあることを
法然聖人から聞かれた親鸞聖人は、 お釈迦さまの目的は
本当に説きたかったのは、この念仏の教えであったと これこそが
仏教であると 受け取られたのです。
そして、この教えでなければ 自分は救われないと
『教行信証』をまとめていただきました。
それから 800年 令和五年が 本願力の念仏の教えである浄土真宗の
立教開宗の年であり、親鸞聖人ご誕生850年にもあたります。
生涯をかけてまとめていただいた『教行信証』のはじめに
この教えに 「遇ひがたくして いま遇ふことを得たり」と
なかなか会うことのできないこのみ教えに 遇えた喜びを
お念仏の教えに遇えた喜びを述べておられます。
お念仏の教えに遇えたお陰で 喜び多い人生を受け取ることが出来た。
もし、遇えなければ 無意味で 虚しい人生で終わったであろうと
「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき・・・」と
ご和讚に読んでいただいています。
親は 子どもや孫の幸せを願っています。
自分のことよりも子供たちのことを心配し続けています。
生きている親だけではなく この世の命を終えお浄土に生まれた
先輩たちも 子どもや孫が 充実した生きがいある生き方をして欲しいと
願い呼びかけ続けておられることでしょう。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏に遇い、信じ 生きてほしい、どうか
お浄土へ生まれて来て欲しいと はたらきかけでおられることでしょう。
お釈迦様は 本願力のお念仏の教えを説くためにこの世にお生まれになったと
親鸞さまは 味わっておられますが、その教えがあることを
お念仏一つで 救われお浄土へ生まれ 仏になれることを私たちに
教えていただいたのは 親鸞さまであり、多くのご縁のあった方々であった。
親鸞さまのお陰、また直接のご縁を結んでいただいた方々に、
有り難うございます。お蔭さまで、南無阿弥陀仏と お礼を申したいものです。
第1560回 何事も お念仏の助縁
令和 4年 12月22日~
仏教でいう信心、親鸞聖人の信心とは、
「イワシの頭も
信心から」というような、自分勝手な
思い込みや、かたくなになって信じ込むような態度とは、
まったく違う心のありかたです。
仏教にご縁を得る、仏さまに出遇うということは、今まで
見過ごしていたもの、気づいていなかったことに
気づかされて、ああそうだったなあ、常に仏さまはいらっしゃるのに、
この私は気づいていない生き方をしていたなあ、
という実感を恵まれたところに成り立っていると言えるでしょう。
同じものが、その時その時、自分が体験することを通して、
今まで気づかなかった深い尊いものとして見えてくる、
知れてくるのならば、私にとって、仏さまに出遇うきっかけと
なったものは何でしょうか。
身近な所でいえば、仏壇、本堂、名号(南無阿弥陀仏)、
仏像、法座(お聴聞)、最近ならオンライン法話などです。
ところが、ものの見方を変えてくれるのは
そればかりではありません。
今まで、無駄で、邪魔で、無価値で、無ければよいと
思っていた出来事も、実は、私を気づかせるきっかけになっています。
多くの人にとって、家族との別れ、仕事の失敗・挫折、自分の老い・
病などなど、自分の思い通りにならない事実とのであいが、
目覚めることのきっかけになることがあります。
さらに考えると、私が念仏を生活習慣として
称える身に育てられていなかったならば、このような深い
実感は生まれてこなかったでしょう。
その時に、苦しみ悩みも 私を育てるものと気づかされます。
「この世のできごとは 何事も何事も お念仏の助縁とおもうべし」
(信楽峻麿、元龍谷大学学長)〔※助縁=助けとなってくださるご縁〕
という法語を改めて思いおこします。
この世の出来事 都合の良いことも 不都合な出来事も、
お念仏を称える尊いご縁、助縁となるのです。
お念仏を軸として、お念仏称えることにより、気づかされる
心の世界や生き方が恵まれます。
そこに先立っていった人びと、思い通りにならない出来事と
改めて出遇いなおしが生まれてくるのではないでしょうか。
参照 万行寺 本多 靜芳師
第1559回 お仏壇の前で
令和4年 12月15日~
毎月 毎月 月命日に 月忌参りをしています。
つくづくと。 時代の変化を感じるようになりました。
お仏壇に供えるお花は どの家でも自分で育てたものか、
野菜や魚など売り歩く行商のおばさんが運んできた
素朴な花が多かったものです。
住宅地では 大きな音楽をならしながら、小型トラックで商品を
売る、移動販売の花もありました。
しかし、現代は、近くの店で簡単に買えるようになったのか、素朴な花から
色鮮やかな洋花が ほとんどになってきました。
また、お勤めを始めようとして、キンのバチが
見当たらないことがよくありました。
小さな子供が お仏壇の前で遊んで、どっかへ行ってしまい みんなで
探すこともありました。
一昔前までは、子供や孫が、一緒に生活したり、よく訪ねてきて
お仏壇にお参りしていたためでしょう。
しかし今 ほとんどの家では、年寄りは年寄りだけ、若い人は若い人と分かれ
同居といっても、別棟に生活する時代になったようです。
このため、お仏壇のある家で育つ子供はだんだんと
少なくなったのではないでしょうか。
リンの棒で、リンのバチで思い出すことがあります。
リンの当たるところが、削れてささくれ立って、くびれていたお宅が
ありました。
朝晩毎日お参りして、リンを強く打ち くびれてしまった有り難い棒です。
ご主人を戦争でなくし、お子さん三人を立派にそだてあげ、
同居のお舅、お姑さんを看取られた方でした。
そっとリンを打つのではなく、感情にまかせて力一杯たたかれた
その結果だと思います。
怒り、腹立ち、苦しみを日常生活の中では素直に表すことが出来ず、
せめてお仏壇の前で 抑えきれない思いを 力一杯 強く
たたかれていたために、年がたつにつれてえぐられ、くびれていった
ものだったと思います。
そのおばあちゃんが亡くなられると、その思いのこもったリン棒も
手垢のついた膨れ上がったお経本も、消えてしまいました。
若い人から見ると、古くなって使い物にならないものだったのでしょう。
いつのまにか美しい新しいものに変わってしまいました。
ぐっとこらえ 耐えて生きる時代ではなくなってきたのではないでしょうか。
お仏壇の前だけが、感情むき出しにしても大丈夫な、安心できる、
こころやすらぐ場所だったという時代は、もう
遠くなったように思います。
第1558回 伝え 伝えて
令和4年 12月 8日~
令和5年の春から
親鸞聖人御誕生850年と、浄土真宗 立教開宗800年の
慶讃法要が、ご本山・京都 西本願寺で30日間勤まります。
それを前にして、お待ち受けの法要を、私どものお寺では 11月の上旬に。
組では 12月の上旬。
教区では11月の末に 近くの文化会館大ホールで勤まりました。
コロナの影響で、
人数制限しての開催でしたが、それでも、
たくさんの方が参集され、新しく制定された法要作法の
新しい節で、正信偈を みんなでお勤めしました。
親鸞聖人の説き示してくださった浄土真宗の教えに出遇うことがなければ、
今の私はあり得なかったという聖人への感謝と、
その教えに出遇えたことの喜びを込めて、聖人のご誕生を祝い、
『立教開宗』に感謝する」法要です。
ご法話は、熊本地震で本堂が倒壊したという、特別講師の方が
コロナには ワクチンを打ち、免疫を高めているが、
南無阿弥陀仏をちゃんといただいて、すべての人間が、受け取らねばならない
苦悩である、老病死への免疫を 高めたいとのお話がありました。
最後の アトラクションでは、近くのお寺の若院さんの
バイオリンの演奏でした。
僧侶も いろいろの特性を持つ専門家いますが
音楽大学でバイオリンを専攻 プロの演奏者の方です。
この方が、小学生の時のピアノの先生と一緒に演奏されました。
残念ながら仏教讃歌はありませんでしたが、ポピュラーな音楽とともに
最後には 演歌にも挑戦いただき感動的な演奏会でした。
よくお寺の報恩講などでも 演奏しておいでとのことですが、
多くの方から そのバイオリンの値段は、とか 古いものでしょうねと
質問されるとのこと、バイオリンの値段は、企業秘密ですが、
このバイオリンは、273年も昔に製作されたものだそうです。
これまで多くの方々が、 大切に使い
それを、受け継いで 今自分がこうして演奏させもらっている。
何代にも渡って、大切に大切に使ってくださったお陰で、
いまここに私は 使わせていただいて演奏している、大変なものです。
273年というのは 大変古いものですが、後ろにあるパネルには
立教開宗800年とある、このバイオリンよりも もっともっと前から、
800年前にから、それぞれの時代、その時代の方々が、
ちゃんと受け取り、次に伝えていただいた。
そして、今の私たちに伝わっている。
私たちも、お念仏をちゃんと受け継ぎ 次の世代に確実に
伝えていかねばならないと、感じています。
と話を結ばれました。
伝統というものは、それぞれの時代 時代の方々が
精いっぱい、それを受け取り、次の世代へ伝えていただいたもの。
バイオリンも お念仏の教えも先輩たちのお陰で、今日の私たちに
伝わってきている、私たちには 大きな責任があるのだと、
つくづくと味わわせていただきました。
お念仏を 相続するといいます。ちゃんと受け取り、確実に
次の世代に 受け継き、豊かな人生を受け取ってもらいたいものです。
第1557回 お念仏は 公の言葉
令和4年 12月 1日~
お念仏の教えは、簡単な教えですけれど、簡単であるから
誤解しやすいのです。
法然聖人の教えは、じつに簡単ですよ。これはどんな人でも
分かる、分かりやすい教えです。
法然聖人からどういう教えを聞いたかを、親鸞聖人は
ひと言で仰っておられます。(『歎異抄』)
「親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまゐらすべしと
よきひと(法然)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。」
と、仰ったのです。これだけです。
「お願いだから、どうぞお念仏を申して、お浄土に生まれてきてくれよ
というのが阿弥陀様の願いだ」。
この願いのお念仏とは仏様の願いのお念仏です。
人間の願いの念仏とは違います。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と称えて、仏様に何かを
お願いしようなんていうのは、大変愚かなことなのですよと。
「南無阿弥陀仏」とお願いするのは、私ではなく仏様なのですよ。
仏様は誰を願っているかというと、この私を願っているのです。
仏様は私を願ってくれているのに、私が仏様を願ってどうするのですか、
仏様の言葉を 私ごとに使ってはいけません。
だいたい、仏様の言葉を私ごとに使うというのはおかしいですよ。
何でもそうでしょう。公の言葉は公に使わなければいけない。
お念仏は公の言葉です。「生きとし生けるすべての人に、
どうぞこの『南無阿弥陀仏』と申して、そしてお浄土へ生まれてきてくれよ」と
お願いくださるから、「有難うございます、仰る通りお念仏を申して
お浄土へ生まれさせていただきます」と言って、「南無阿弥陀仏、
南無阿弥陀仏」と、皆さんは仰っているのではないですか。違いますか。
もし違っておられたら今日限りあらためてください。
そうでなかったら浄土真宗の門徒ではないですよ。
そういうことで、お念仏のお謂われというのは これだけのことです。
善人であろうと悪人であろうと、賢くあろうと愚かであろうと、
男だろうと女だろうと、如来様は分け隔てはなさらない。
戒律を保って清らかな生活をしていようと、ふしだらな生き方をして
それしか生きられなかった人であっても、如来さまの願いを聞き入れて
「有難うございます。それではとお願いを申して、あなたの所へ
帰らせていただきます」と言ったら、如来さまは一番喜んでくださるのです。
それだから法然聖人はお念仏申しなさいと言われるのです。
法然聖人のもとに集う在家の信者の方々は、「私みたいなものに、
そこまで言われているのですか」と、出家、在家の区別なく、
聖人の温かいお念仏のお諭しにしばしば感激されていました。
そして法然聖人は、聖人のところからお念仏して帰る人の姿を
ご覧になって「ものもおぼえぬあさましきひとびとのまゐりたるを
御覧じては、『往生必定すべし』とて、笑ませたまひしを、みまゐらせ候ひき」
(『親鸞聖人御消息』『註釈版聖典』七七一頁)と仰っておられます。
にっこりと微笑んで必ず浄土に生まれていく人だなと言われたのです。
田舎の爺さんがお念仏申しながら帰っていったら、法然聖人が喜んで
くださったということが書かれているのです。
梯實圓師 「浄土から届く 真実の教え」 自照社出版
第1556回 人間にわかる言葉で
令和4年 11月24日~
教行信証の「教」というのは 何かというと、「大無量寿経」のことです。
この経はお釈迦様の言葉ですが 阿弥陀様の言葉でもあるのです。
阿弥陀様がお釈迦様となってこの世に現れてくださり、
私たちにわかる人間のことばに直して、 阿弥陀様のこころを
私達に説いて知らせてくださったのです。
それが大無量寿経というお経なのです。
ですからこのお経はどこから出てきたかというと、お浄土から
出てきたお経なのです。 大無量寿経に このことが書かれています。
浄土の蓮華の華が、一つ一つの華が、それが一体一体の仏様となって、
そして十方の世界にかぎりなく開けていくというのです。
その仏様が、浄土の覚りの光が仏様となって、十方の世界に
あらわれてくるのがお釈迦様であり、十方の諸仏だというのです。
その仏様たちが、光の言葉を持って光の世界を人びとに説き、
人びとの暗闇のこころを明るく開いてくださる、それがお経なのです。
だからお経となって仏様は届く、仏様というのはお経となって
届いていらっしゃるのです。
私たちがお経を読誦する時は、お経本を頭の前にまず頂いて
拝読しています。
ただ本を読んでいるわけではないのです。
私の前に、私のわかる言葉で、仏様のおこころを知らせてくださっている、
仏様のお言葉であるということです。
そのお釈迦様の説かれた『大無量寿経』というお経が、
仏様の真実の言葉となって それが届けられているのです。
その『大無量寿経』の内容を言いますと、「南無阿弥陀仏」という
名号を疑いなく受け容れてくださいと説いています。
疑いなく受け容れることを信心と言っています。
名号というのは仏様の名前で、「南無阿弥陀仏」という阿弥陀様の名前です。
「南無阿弥陀仏」は姿も形もありませんが、言葉だけがあるのです。
姿も形もないということはどういうことかというと、
私たちにはそれを見る眼がないのです。
これは眼を入れ替えなければならないのです。
仏様の言葉、如来様の世界を私たちが受け容れられる言葉となって、
言葉として私に届いてくださるのです。
言葉を超えた世界が、言葉となって響いてくるということです。
その言葉をとおして、私たちは言葉を超えた世界に気づかせて
いただくということが大切なのです。
そのために仏様は、名号となってあらわれてくださるのです。
名号というのは名前です。
「南無阿弥陀仏」という名前となって現れて、私に
呼びかけてくださっています。
梯實圓師 「浄土から届く 真実の教え」 自照社出版
第1555回 言葉で 救う
令和4年 11月17日~
人間は 言葉によって 喜び 悲しみ 苦しみながら 生きています。
合格の通知 孫が誕生したという連絡や、大切な人が
事故にあった 病気になったなど、言葉で知らされ
慌てたり悲しんだり喜んだりしています。
人間は
言葉によって 絶望し、また未来に希望を持ち
言葉によって
人生は大きく 左右されています。
お釈迦様は 人々が生きがいを持ってこの世を生き、
悔いのない一生を終え やがて 今度は人々を救うはたらきが
出来る仏に成ることが出来ると、言葉で教えていただいています。
しかし、その多くは、努力できるもの、 いいことが出来る人、
選ばれた特別の人だけは救われ、
平凡で怠け者の人々には
関係無い ほど遠い仏さまでした。
ところが、一人の国王だった 法蔵菩薩は
善人も悪人も 努力できる人も 、できない人も、
全ての人を
救う方法はないかと、大きな願いをたて、すべての人に
代って 自分で永い厳しい厳しい修行をして、阿弥陀仏となり
「南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏」の
言葉で あらゆるものを
救うことができる強力な能力の仏さまになられたと。
その阿弥陀さまの国、お浄土に すべての人を生まれさせ
自分と同じ能力を持つ仏にして 一緒になって
一人残らず救い尽くそうとされているのだと。
そのお浄土の様子も言葉で表現し、教えていただいています。
苦しみ、悩みのない
理想の国 お浄土に
この私を、そして全ての人を
生まれさせ、
ともに
仏として 活躍しようと呼びかけ続けておられるのだと。
そのことを説くために お釈迦さまは この世にお生まれになり
言葉で説き また阿弥陀様の国へと帰っていかれたのだと。
先だった祖父母、親たちも 南無阿弥陀仏でお浄土に生まれ、
今 南無阿弥陀仏の仏様としてはたらき、この私を
お浄土へと
導いてくださっています。
浄土真宗は 言葉の宗教 南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏を
疑いなく信じさせ、一人残さず救い取るという阿弥陀さまが
すでに、はたらいておられると、言葉で教えていただいている
教えです。
第1554回 誓いと願い ~如来の功徳で 仏道を~
令和4年 11月10日~
如来のご本願を仏願・弘誓などと表現することがありますが、
特に「誓願」という言葉にはお念仏の教えの特色が
よく表れていると思います。
ご本願(第十八願)には、人びとが信心をいただいて
浄土に往生することを願われ、また、それができなければ
さとりに至らないと誓われています。
願われているのは衆生の往生、すなわち衆生の仏道であり、
誓われているのは如来自身の正覚、すなわち如来の仏道で
あるといえるでしょう。
そして、衆生の往生には信心をいただいて(至心信楽して
わが国に生ぜんと欲ひて)ただ念仏せよ(乃至十念せん)と
願われているだけであり、ほかに何も条件がつけられていません。
ここに示されているのが如来回向であリ、衆生から見れば
他力ということなのです。
仏の国へ往生するなどの果を得るには、功徳が必要です。
功徳とは良い方向へ進ませる力のことですが、
ご本願に功徳が往生の条件として示されていないのは、
その功徳を如来が準備して衆生に回施してくださるからです。
それが如来回向ということです。
衆生のありようのすべてを見そなわし、無条件で浄土に
往生せしめるという願を建立するには五劫の思惟が必要でした。
そして十方の衆生を無条件に救うための膨大な功徳を
獲得するには兆載永劫の行が必要だったのです。
衆生の側から見れば、仏教で救われるということは
私が間違いない仏道を歩む、ということです。
平たくいえば、間違いなくお浄土に往生し仏となる道と
してこの人生を歩むということにほかなりません。
出家者の仏道は、自ら行を修め功徳を得て仏果を目指す道です。
在家者の仏道は、自ら行を修め功徳を得ることはできませんが、
その功徳は如来が回施してくださるのです。
私が修めた功徳ではなく如来の修めた功徳をもって
仏道を歩んでいく、そのことを他力というのです。
我が名よ届け、と喚びかけてくださっている如来さま。
念仏申しつつ歩む私の人生の道は、如来さまがともに
歩んでくださる仏道なのでした。
本願寺出版社 「如来とわたし」 安藤光慈師著より
第1553回 片道か 往復か ~還相回向が特徴~
令和4年 11月3日~
コロナの流行で みんなで マスクをし、手洗い うがいに検温。
病院や 介護施設では面会禁止と、国民全体で 気をつけたせいか、
コロナ流行の初年度は、お亡くなりになる方が 非常に少なく。
平均寿命がまた延びた、感じがしていましたが、
流行して
3年目を迎えて、努力のかいもなく高齢の方が次々と
亡くなられて 例年以上の忙しい秋を迎えています。
お寺の住職や坊守さんも例外ではなく、組内のお寺で門徒葬があり
七条袈裟をつけ出勤しました。
ご親戚代表がお礼の挨拶で、
「またお浄土で 会える。今度会った時に
恥ずかしくないような生き方をしたいものです」との
お言葉がありました。
阿弥陀経には、倶会一処という言葉があります。
お浄土でまた必ず会うことを楽しみにということでしょうが。
浄土真宗の教えは、お浄土に往生するだけではなく、
仏に成っての還相回向が
はっきりと説かれています。
お浄土へ行ったきりではなく仏に成って必ず帰って、人々を救う、
片道ではなく往復の教えであると。
ですから、お念仏の人は、日付がなく、いのち終わった日に有効になる
往復切符を
既に受け取っているようなものでしょう。
お浄土で仏になったその瞬間、もう自由にこの世に還って
人々を教化するはたらきができると、説かれているのです。
2008年に。 本願寺派では「浄土真宗の教章」が 改正されました。
そして、その教義には、「阿弥陀如来の本願力によって、信心をめぐまれ
念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき、浄土に生まれて仏となり
迷いの世に還って人々を教化する」と はっきりと還相回向が明示されました。
それまでも お正信偈の中では、「蓮華の国に うまれては 真如のさとり
ひらきてぞ
生死の園にかえりきて まよえる人を 救うなり」とか、
「往くも還るも他力ぞと」などとありましたが、
信心でお浄土に生まれることが強調されて、還相回向については、
教義の上では ハッキリと書かれていませんでした。
そういう意味では、お浄土に生まれて仏となった方は
お浄土でじっと待っていてくださるのではなく、
この私の所に 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏のお念仏となって
呼びかけ お浄土への道を歩んでくださいと導き、はたらきかけておられるのです。
往生のその日から、そのときから、お浄土を出て私たちに
はたらきかけていただいているのです。
お浄土へ生まれ 今度お会いした時には、どうも有り難う
ございました。御蔭さまで、こうしてお浄土へ生まれることが出来
ご一緒に 活躍することが出来ますと、ご挨拶をするのです。
亡くなった方は、過去完了形の仏さまではなく、現在進行形の
仏さまとなって、今、ここに働いていただいているのです。
第1552回 朝のどまんなかに
令和4年10月27日~
北御堂 大阪の津村別院のホームページの 「法語を味わう」に
こんな法話がありました。 (2022年10月)
まっさらな
朝のどまんなかに
生きていた
いや
生かされていた (東井義雄師)
東井義雄師の「目がさめてみたら」という詩の最後の一節です。
皆さんは「目がさめてみたら生きていた」ことに驚きや感動を
持ったことがありますか?
生きていることが「当たり前」と思っている私たち。
そうした私たちに仏さまは「当たり前ではない、
多くのご縁によって生かされている」ことを教えてくださいます。
この詩の最後は「生きていた いや 生かされていた」と
結ばれています。
新しい朝を迎え、今日も「目を覚ますことができた」
「生かされていた」という感動が伝わってきます。
「当たり前」と思っていたことが、「当たり前ではなかった」
という気付きです。
昔、テレビで活躍をされたある司会者の方は、
「朝が来た 新しい朝が来た 自分のための新しい朝だ」
という言葉を大切にされていたそうです。
これは仕事で悩んでいた時に、お父様から送られた言葉だそうです。
「今日もまた新しい朝が来た。お前のために朝が来たんだから
粗末にするんじゃないぞ。」
朝目が覚めたら生きていたという不思議。
もしかしたら目がさめなかったかもしれない。
その「いのち」が今日もまた、生かされていたという感動。
その不思議と感動を深く味わうところに、
また今日も新しい朝が来た、力強く精一杯に
歩んで行こうという喜びが湧いてくるのではないでしょうか。
第1551回 かけがえのない君へ ~みんな違って みんな良い~
令和4年 10月20日~
子どもさん向けの法話、吉村 隆真さん著です。
クイズ番組の解答に目からウロコが落ちました。
クレヨンの「肌色(はだいろ)」は、今では「薄橙(うすだいだい)」や
「ペールオレンジ」と呼ばれているのです。
といっても、小中学生の皆さんには、すでに常識かもしれませんね。
その証拠に、わが家でも正解できたのは小学生の息子だけでした。
日本では、肌の色に近いことから、あの色には長い間「肌色」
という名前が使われてきました。
私自身も子どもの頃だけでなく、大人になってからも何の
疑問も持たずに平気で「肌色」と呼んできました。
しかし、考えてみれば、肌の色は国や地域によって違います。
「肌色」は一つではないのです。
ケンカ・いじめ・差別・戦争......これらの問題は、お互いの違いを
認め合えないことから始まります。
そのような態度が、いつも自分は「正しい」とし、
相手を「まちがい」にしてしまいます。
音楽は「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ」の7つの
音階の組み合わせですから、どれ一つ欠けても演奏できません。
言葉も同じで、英語は「A~Z」の26字、日本語は「あ~ん」の
50音で成り立っているので、一つでも欠けてしまうと
文章や会話になりません。
人間も同じです。地球上にはたくさんの人びとが生きていますが、
同じ人間などどこにも存在しません。
あなたも私もただ一人です。
それを別の言葉で「かけがえのない」といいます。
その事実に気づくことができて初めて、自分だけでなく、
相手も大切にできるのです。
お互いを認め合い、お互いが支え合い、お互いに
照らし合える世の中は、どんなに素晴らしいでしょう。
第1550回 しあわせな人生
令和4年 10月13日~
ネットのご法話で、こんな話を聞きました。
いろいろと多くの人にお会いし、いろんな方の人生をみさせてもらいますが、
なかなか この人は しあわせな人生を送っておられるなあという方は
少ないものですよ。
皆さん方は、自分が しあわせな人生を歩んでいると思えますか。
もういっぺん人生をやり直すことが出来るとしたら、何をしますか。
ちょっと違うことをしたいなあと思いますか。
それは、今の自分の人生に満足していないと言うことです。
もういっぺん 人生やり直すことが出来るとしても、今とまったく
同じ人生を送りたいなあと、こころから思える人は
しあわせな人生を歩んでいる、送っている人であるといえましょう。
そして、その しあわせの一番の根幹は 何かというと
お念仏に 出会えたかどうかということに つきる。
お念仏以外のものは みんな壊れていきます。
お念仏だけは ただいまからお浄土の世界まで
壊れることなく、このわたくしを教え導き 育てて
くださっている世界がある。
そういう世界に出会えたといえることが、私の人生が
しあわせな人生であったということができるのではないか。
恩徳讃にある 報謝ということは、如来さまが
成就してくだったお念仏を、そのままにいただいていくこと、
それ以外にないということ。
お念仏を そのままいただいていくこと、それ以外に報謝はない、
仏さまの教えを、お念仏をそのままにいただけたこと、
それこそが、私の人生は しあわせであったといえるのではないか・・
・・・と
幸せな人というのは、 どういう人なのか。
次に また人間に生まれることができるなら、もう一度
今と同じような人生を送りたいと思える人でしょう。
それは お念仏に出会えた人。
お念仏出会え、そのままいただけた人は
どれひとつ、何一つとして無駄なことはなかった。
みんな意味のある ありがたいことであったと。
この人生が最高であったと思える人に、育てられていくのです。
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏の人は 私の人生は
有り難い人生だった と思える人 ではないかと味わえます。
第1549回 お母さんの写真が
令和4年 10月6日~
日曜学校など 子ども会の全国組織 少年連盟のページにあった
子どもさん向けの ご法話です。
「
お母さんの写真が、 笑っているときも泣いているときもある 」
龍尾 一洋師
沙紀ちゃんが小学校三年生の時に、お母さんが亡くなりました。
お母さんが亡くなってからは、朝夕必ず仏さまにお参りします。
そしてお母さんの写真に話しかけるのが日課になりました。
あるときお父さんに言いました。
「今日はお母さんの写真が笑ってたよ」
「どうして」
「今日は算数のテストで百点だった。家にかえって
お母さんの写真を見たら笑ってたよ」
知らない人が聞けば、写真が笑うはずはないと言うかもしれません。
しかし沙紀ちゃんには、自分のことを心配しながら亡くなっていった
お母さんの心が見えていたのです。
お母さんの心の中には、喜んでくださっている自分の姿がありました。
またあるときは、悲しませてしまっていた自分の姿がありました。
お母さんの心は、沙紀ちゃんのことでいっぱいで、いつ思い出しても、
沙紀ちゃんのことを心配してくれて、笑ってくれたり泣いていたり
しているのです。
アミダさまは、私のことを心配してくださって、かならず
仏にしますとおっしゃいます。
いつ思い出しても、忘れているときでも、アミダさまの心は
私のことでいっぱいなのです。
いつでも私と一緒にいてくださるのです。
第1548回 驚いたこと ~意外と多い武士門徒~
令和 4年9月29日~
突然 自分の先祖のことを調べてほしいとの電話があります。
関東にお住まいで、東京のお寺に墓地があるが、自宅の過去帳に
郷里のお寺に埋葬した先祖の記録があるので、調べてほしいと。
お寺の古い過去帳を持ち出して調べましたが、日にちは二日違うものの、
確かに記載がありました。
しかし、明治20年代に作成された墓地明細記には、その記録がなく、
明治維新後 東京へ移られたご家族のようですと、返事をしました。
その墓地明細帳には、武士であったか、農業などの町人であったかが
記載されていることに気づきました。
浄土真宗はどちらかというと、庶民の宗教、武士の多くは
禅宗など聖道門が多いと思い込んでいましたが、意外や意外、
「士族」との記載が多くあり、驚きました。
お寺が、武士が住む城の近くであり、藩主が建てさせた寺院のため
なのかもしれませんが、関心を持って、その台帳を詳しく調べてみました。
290余りの墓地の記録があり、よく判明しないものを除き
275の墓地の内、武士だった方のお墓が106と、その四割近くあり、
埋葬された総数、701人中 318人が武士の家族で
四割六分 半分近くであることに驚きました。
エリザベス女王の国葬で、イギリス連邦の参加者が多いのを見て、
キリスト教を先頭に植民地化していった時代があったこと、
それなのに日本は どうして仏教国のままでいられたのか。
その一つには、鎖国制度を取ったこともあるでしょうが、
外国との入り口、長崎の出島を守る仕事を、佐賀鍋島藩と、
福岡の黒田藩が担当し一年交替で、1000人以上の武士が、
長崎を警護してきたようです。
何世代にもわたって、出島を通して、外国の情報 キリスト教と仏教の違い、