第1124回 「まかせなさい」の南無阿弥陀仏  ~先回りの阿弥陀さま~

 平成26年 8月7日~

浄土真宗の「教章」の「ご本尊」の項には
「阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)と示されています。
「南無阿弥陀仏」を「名号」といいます。 名号とは名前という意味です。
つまり南無阿弥陀仏は阿弥陀如来のお名前ということです。


どうして「阿弥陀仏」に「南無」を付けた「南無阿弥陀仏」が、

阿弥陀如来のお名前ということになるのでしょう。
南無が付くことに意味はあるのでしょうか。


「まかせなさい」の南無阿弥陀仏

南無は「帰依」という意味です。そこで一般に南無阿弥陀仏とは、
「私は阿弥陀仏に帰依します」という、私から阿弥陀如来に向かっての

宣言であると考えられてきました。

それに対して親鸞聖人は、南無阿弥陀仏とは
「この阿弥陀に帰依しなさい、まかせなさい」という、阿弥陀如来から
私に向かってのよびかけであると、一般の考えとは反対方向の意味が

あることをあきらかにしてくださったのです。

 

先回りの南無阿弥陀仏

阿弥陀如来は、私が「お助けください」と頼んでからようやく

すくいに来てくれるような仏さまではありません。

私が阿弥陀如来に気づきもしなかったときから、「この阿弥陀にまかせなさい、

かならずあなたをすくいとります」とよびかけ続けてくださっていた、

先回りの仏さまなのです。

 

つまり阿弥陀如来という仏さまは、南無してくださる(よびかけてくださる)

仏さまなので、南無阿弥陀仏がそのまま阿弥陀如来のお名前ということになるのです。

 

「はい、おまかせします」の南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏が阿弥陀如来からのよびかけならば、私のとなえる

南無阿弥陀仏はどういう意味になるのでしょう。

私が阿弥陀如来に向かって「阿弥陀にまかせなさい」と

いっているのでしょうか。

  

こんなたとえがあります。赤ちゃんが「ママ」という一言を発するように

なるのは、母親が自ら「ママですよ」とよびかけ続けた結果です。

 

それと同じように、いま私が南無阿弥陀仏ととなえているのは、阿弥陀如来が

さまざまなご縁を通じて南無阿弥陀仏とよびかけ続けてくださったからに

ほかなりません。つまり、私のとなえる南無阿弥陀仏は、阿弥陀如来からの

「この阿弥陀にまかせなさい」に対する「はい、阿弥陀さまにおまかせします」

なのです。        

                 浄土真宗必携「み教えと歩む」より


         


           私も一言(伝言板)