第1218回 阿弥陀如来の本願は

 平成28年 6月2日〜

 阿弥陀如来の本願は かならず救う まかせよと
 南無阿弥陀仏の み名となり たえず私に よびかけます


 このよび声を  聞きひらき 如来の救いに まかすとき 
 永遠に消えない 灯火が 私の心に ともります


 如来の大悲に 生かされて 御恩報謝のよろこびに 
 南無阿弥陀仏を 称えつつ  真実の道を 歩みます


 この世の縁の尽きるとき  如来の浄土に 生まれては
 さとりの智慧を いただいて  あらゆる いのちを 救います


 宗祖親鸞聖人が 如来の真実を 示された 
 浄土真宗のみ教えを  共によろこび 広めます

               拝読・浄土真宗のみ教え        

いまから二千五百年ほど前、北インドで 釈尊によって 説かれた仏教
( 仏さまの教え。仏さまに 成る教え )は、その後、タイ、ミャンマー、
スリランカなどに伝わった南伝仏教と、中央アジアの シルクロードを 経由して、
中国、朝鮮半島、そして日本に伝わった 北伝仏教に 大きく分けることができます。


また 日本の仏教は 古来、十三の宗、五十六の派があると言われ、
その五十六の派の中に 親鸞聖人を 宗祖とする真宗の十派があります。 
その中の一つの派が、わたくしたちの「 浄土真宗 本願寺派 」です。

 いかに長大な時間と、膨大な仏縁が 調って、いま、阿弥陀如来に出遇うことが
できたのです。
阿弥陀如来は、わたくしが「 たすけて ください 」とお願いする前に、
わたくし一人 ではなく、あらゆる いのちを 救わずには おかないという 
大きな願い( 本願 )を 誓われた 如来さまなのです。

そのお慈悲の心が わたくしに 至り届いていることが  わかるように、
「 南無阿弥陀仏 」と、ことばの仏さま となって いま現在、ここに
活動されているのです。


この事実に 感動された親鸞聖人は「 ああ、この大いなる本願は、
いくたび 生を重ねても あえるものではなく、まことの信心は
どれだけ 時を経ても 得ることはできない。思いがけず この真実の行と
真実の信を 得たなら、遠く過去からの 因縁をよろこべ  (中略)
如来の本願の 何と まことであることか。摂め取って お捨てにならないという
真実の仰せである。世に超えて たぐいまれな 正しい法である。
この本願のいわれを聞いて、疑い ためらっては ならない 」・・・。


このお慈悲の心が いただけたなら、阿弥陀如来に対して お礼を
申さずにはおれません。
それが「 南無阿弥陀仏 」のお念仏です。
お念仏を申す人は、人との出あいを大切にし、人生に対しても 精いっぱい
取り組み、感謝と反省の充実した よろこびの生活を送る元気が出てきます。
さらにこのよろこびを 自分一人のものだけにするのではなく、家族、地域
職場、そして 縁ある人びとに 一人でも多くお伝えしていきたいものです。
                         藤井 邦麿著より

 南無阿弥陀仏を聞き、南無阿弥陀仏を口にしながら・・・・・


         


           私も一言(伝言板)