第1246回 釈迦の本概

平成28年12月15日〜

 阿弥陀如来は、私たちを名号をもって救おうとされて、
第十七願(諸仏称讃の願)で、十方の仏がたに名号をほめ讃えて、
あらゆる世界にひろめてもらうことを誓われました。

そして、その本願をなしとげられたのであります。その結果、あらゆる
世界の仏がたは、それぞれみずからの世界で、弥陀の名号を説きのべては、
その不思議なお徳をほめ讃え、その名号によって救われることを証明されて
いるです。

 私たちの世界に出現された釈迦如来もその一仏として、浄土の三部経
を説き、その名号をほめ讃えられるのであります。

このように釈尊をはじめ、あらゆる仏がたは、深くて、はてしがない
大海のようなお徳をもっている阿弥陀仏の本願を説くことをその本懐と
されるのであります。

 このことは『大経』のはじめに説かれてあるように、釈尊みずから
阿難尊者も驚くほどの不思議なお姿を示されるとともに、
「わたしたち如来が迷えるすべてのものを哀れみ。世に出ていろいろの
教を説くわけは、すべてのものを救うためにまことの利益(弥陀の名号)を
恵みたいと思うからである」とみずから仰せられたことによってうかがう
ことができるのであります。

 ところが、釈尊が説かれた教えの道は八万四千といわれるほど
たくさんあるのに、なぜ弥陀の本願名号を説くことを。この世に出られた
本懐とされるのでありましょうか。

 それはまず弥陀の名号によって救われる道は、どのように時代が降って
仏法が全く滅んでしまうときが訪れても、変わりなくこの世に留まり、
とこしえに人々を救いつづけるからであります。
このことを『大経』の終わりに釈尊みずから説かれております。


 また弥陀の名号は、下は五逆(父を殺す・母を殺す・羅漢を殺す・僧の和合
を破る・仏身より血を出す)十悪(殺生・偸盗・邪淫・妄語・両舌・悪口・綺
語・貪欲・瞋恚・愚痴)などの罪を犯している悪人から、上は菩薩がたの
ような善人まで一切の人々を救って、最高のさとりを、きわめて速く
さとらせてくださるはたらきをする法であります。

 十方の仏がたは、あらゆるものを一人も残らず、しかもはやく仏に
しようという目的をもって、それぞれの国々で説法されているので
ありますから、いつまでも滅びることのないこの名号法を説くことが
仏がたの本懐であることは当然のことであります。

    (三木照國著・正信偈入門・本願寺出版社)

 

         


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