第1262回 お葬式と浄土真宗の救い

 平成29年 4月 6日~

 大切な方との別れは、悲しく辛いものです。
言葉では、とても表現し尽せない寂しさがあります。
私たちは、そうした死別の悲しみから、葬儀を執り行い、
一人ひとリの方の死を大切にしてきました。


 葬儀の場では、先立たれた方々の思い出が語られ故人のお人柄を偲びつつ、
儀礼が執り行われていきます。

その儀礼や語りを通して限りある命を生きているという事実に向かい合い、
大切な方の死の悲嘆が受容されてきました。


 葬儀に参列されたご縁の方々の「とても優しい方でした」
「困ったときに助けてくれたんですよ」「歌がとても上手でしたよね」
といった言葉は、大切なあの人が多くの人々の心に生き続けていると感じさせてくれます。

まさしく宝物のような言葉です。

しかし、そうした温かい言葉によっても、埋め尽くすことのできない
大きな悲嘆や不安が死別の中では生まれています。
釈尊は、この愛別離苦の悲しみ・諸行無常の不安を受けとめていくための
ものとして、浄土の教えを私たちに残してくださいました。

 阿弥陀如来という仏さまは、どのようにしたら、あらゆる人々が
「しあわせ」になれるだろうかと考え、願いを立てて修行され、
「お浄土」を用意してくださいました。
なぜ、お浄土が私たちにとって救いとなり、しあわせをもたらすのでしょうか。

 阿弥陀如来のお浄土は、お念仏によって、誰もが生まれていくことの
できる世界です。
お浄土へ生まれると、私たちは仏となります。
仏になるとは、慈悲の心で、あらゆるものを救おうとしつづける方に
なるということです。

 つまり、私たちは、この世でのいのちが終わると、阿弥陀如来の
はたらきによってお浄土へ生まれ、あらゆるいのちを救おうとする
仏になるのです。
ですから、お葬儀はお別れ会なのではありません。
仏教の視点からいえば、むしろ、仏さまとのあらたな「ご縁」を
結んでいくための場所なのです。


 お葬儀の場では、さまざまな「つながリ」を実感することができます。
参列された方々といっしょにお念仏を称える時、先立たれた方を思う
気持ちがお念仏の声の中でーつとなリ、仏さまを通して、互いにつながリ
合っていることを実感します。

 また、先立たれた方は、仏さまとなってわたしたちのしあわせを願って
くださっているのですから、「死」によって断ち切られることのない
「ご縁」でつながっていると感じることができます。
あらゆるものを救おうと願う慈悲のはたらきとなって、今まさに私たちを
包んでくださっているのですから。

このお念仏によるつながりは、すべて阿弥陀如来の願いにるものですから、
今ここで、私自身が阿弥陀如来とつながっているという「ご縁」にも
気付いていくことができます。

 このように、私たちが仏さまの願いの中にあることを知らされ、
そのはたらきをそのまま受けとめていくことを「信心」といいます。
信心とは、阿弥陀如来の願いの中にいる自分の存在に気付き、
阿弥陀如来の救いに身をゆだねていくことなのです。

 大切な方との死別を経験すると、私たちは悲嘆にくれます。
この苦しみを釈尊は「愛別離苦」と説かれました。
その悲嘆は、つながりが切れることに由来しています。
しかし、本当のつながり、つまり仏教でいう「ご縁」とは、
私たちが簡単に断ち切れるようなものではなく、
仏さまによって永遠のつながりとして与えられているものなのです。

 そのつながりを「ご縁」としていただいていく中に、死別の深い
悲しみが、温もりによって包まれていたのだと受けとめていく道が
開かれていくのです。

        ごえん 結ぶ絆から、広がるご縁へ いのちと死をみつめて、より


          


           私も一言(伝言板)