第1206回 報恩 忘恩

平成28年 3月10日〜

 落語のマクラで使われるのでしょうか、こんな言葉があります。


日本語は 澄むと 濁るで 大違い
  はけは けが有り。はげは けが無し

 障子や襖を貼る時に使う 刷毛には 確かに毛があります。
しかし、その刷毛に 濁点を付けると、はげ 禿げとなると
人間の頭に毛がないことの意味となります。

 はけに 毛が有り はげには 毛が無し。
該当さえる方には大変申し訳ありません。

この他には こんなものも
日本語は 澄むと 濁るで 大違い
 福(フク)は 徳(トク)なり フグは 毒(ドク)なり

日本語は 澄むと 濁るで 大違い
 ハハは 美容院(ビヨウイン)  ババは 病院(ビョウイン)

 日本語は 澄むと 濁るで 大違い
 逃げる ハンニン  追うは バンニン

 世の中は 澄むと 濁るで 大違い、
  ためになる人、だめになる人
  菓子は食いたし、餓死は食えない
  墓は死んだら、 馬鹿は 死ななきゃ治らない”

 澄むと 濁るで 大違い
  念仏は  ほうおん 世間は   ぼうおん
   報恩講の 報恩と  濁点を打つと 恩を忘れる 忘恩 となります。

 さて、一般には 報恩 恩に報いるというと、
以前良くしてもらった相手のために何かをすること

同じような意味で、 借りを返す ・ 恩義に報いる 恩を返す
情けに報いる  などと、同じようにとらえ理解しているようです。


 ところが、浄土真宗で言う報恩とは、それとは意味が違っています。

私たちがこれまで生きてこれたのは、親の恩や師の恩など、
数多くのご恩があったお陰です。
その恩を知ることは大切なことですが、浄土真宗でいう恩とは、
それだけではなく、私たちを救ってくださる仏さま、そして
私たち、一人ひとりに生きる依り処を教えていただいたご恩のことです。

 お念仏の教え、親鸞聖人の教えに遇えて、はじめて、生まれた意義と
生きる喜びを見いだすことが出来た、そのことに気づかせていただいたのが、
親鸞聖人であり、その御苦労と御恩に報いるために、700年以上にわたって、
報恩講をお勤めしてきました。

 生きることの深い感動と意欲を見出すことが出来るお念仏の教えに、
自分の子や孫、友人たちにも遇ってほしい、せっかく人間に生まれた意義と
喜びに目覚めてほしいと、口にするお念仏、南無阿弥陀仏は、
報恩のお念仏です。

「念仏申さんと思いたつ心の起こるとき、すなわち人間の生活が始まる」
 これは96年の生涯を、親鸞聖人の教えと共に生きられた
 金子大栄師の言葉だと、聞かせていただきました。

 人間として生まれ、人間として生きている私たちですが、
 人間であることに深い感動と感謝の想いを持つことが出来、
 人間らしく喜び多い人生を、お浄土の道を歩むことが
 出来るようになったのも お念仏の教えに遇えたお陰、
 親鸞聖人のご苦労があったお陰でありました。
 有り難うございました。



         


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