第1107回 近道すれば 南無のひと声 〜蓮如上人と一休さん〜

 平成26年 4月10日〜

 宗旨と年代を超えて親交の深かった蓮如上人と一休禅師には、
次のような歌をお互いに送りあったという説話があります。


 極楽は十万億土と説くならば 足腰立たぬ婆は行けまじ

一休禅師のこの歌は、阿弥陀さまの極楽浄土が十万億仏土を超えた
世界であるのならば、足腰の弱い老人ではたどりつくことができないではないか、
という皮肉がこめられています。

しかし、この歌は、一面では的を射ています。
なぜなら、阿弥陀さまのお浄土は、私たちの自力では、
行くことができない世界だからです。
これを受けた蓮如上人の返歌は浄土真宗の核心を突いています。

 極楽は十万億土と説くなれど 近道すれば南無のひと声

 凡夫の力では絶対に往くことのできない遠い世界だからこそ、
阿弥陀さまの方から「我にまかせよ」と南無阿弥陀仏のお念仏となって
私のところに至り届いてくださるのだ、というのです。

ひと声お念仏を申せば、阿弥陀さまが私と共に居てくださることを
改めて知らされます。

浄土真宗は、いまここで阿弥陀さまのお慈悲を感じつつ
歩ませていただく仏道です。
そして、浄土に往生してただちに成仏の果をいただくのです。


浄土三部経の一つ 「仏説阿弥陀経」には、
「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり、
名づけ極楽といふ、その土に仏まします、阿弥陀と号す。
いま現にましまして法を説きたまふ」と説かれます。

すなわち、西方浄土は、十万億の仏土を過ぎたところにあるが、
阿弥陀如来は、いま現にましまして、いつでも法を説いているということです。
この浄土は自力では行くことができない世界です。

しかし『仏説観無量寿経』には、「阿弥陀仏、此を去ること遠からず」
とあるように、自力ではとらえることはできませんが、
阿弥陀如来のほうから来てくださっているのです。

念仏ひとつで往生することができ、いまそれをよろこべるのです。

  本願寺出版社 拝読浄土真宗のみ教え布教読本 より


        


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