第1178回 如来さまのプレゼント

 平成27年8月 27日〜

 こんな法話をネットで拝見しました。
本願寺津村別院の「読む法話」で。


お念仏は阿弥陀如来から、私たちに届けられたプレゼントなのです。
最高の贈り物です。

 阿弥陀さまが私たちの姿をよく見抜かれ、何を贈ればよいかと
長い間思案に思案を重ねて、これだったら私たちが本当に喜び、
生きる大きな力になると気づかれ、お念仏を届けてくださったのです。


 プレゼントというのは、相手のことをよくよく考えて贈らねばなりません。
相手の嫌いなものや、たくさん持っていそうなものや、全く必要でないものを
贈っても相手は喜びません。

それはその人にふさわしいものではないからです。
その人が何を喜ぶか、何がふさわしいかをよく考えて贈らねばなりません。


 阿弥陀さまは、私たち凡夫の正体を見抜き、本音をいいあて、
私たちがこの人生を生きていく上でもっともふさわしいものを
プレゼントしてくださっているのです。


 しかしながら私たちにとって最高のプレゼントであるにもかかわらず、
これを喜ばない人が多いことは大変残念なことです。


 それは何故かというと、私たちが自分の正体を知らないから、
自分にとってふさわしいプレゼントであることがわからないのです。

阿弥陀さまが私たちの器量を見抜き、多くの教えの中からただ一つ
お念仏を選び、私たちの器量に合わせて届けてくださっていることに
気づいてないからです。

たとえば大変よく効く、素晴らしい薬だから飲みなさいとすすめられても、
自分の病気に気づかねば薬を飲まないのと同じです。
病気でないのに薬を飲む人はいません。


 しかし私たちが仏法を聞き、自分の正体に気づかされると、
どこまでも煩悩具足の凡夫の姿が明らかになってきます。
すると私にとってお念仏が何より最高の贈り物であることに気づき、
喜ばせていただくのです。

しかもこの阿弥陀さまからのプレゼントは、無条件でいつでもどこでも
私たちに贈られるのです。
このプレゼントを素直にいただきましょう。


      本願寺津村別院 読む法話より 
       『聞法(1996(平成8)年7月20日発行)』 (著者 :不死川 浄 師)

         


           私も一言(伝言板)