第1251回 おそだて

 平成29年 1月19日~

 甲斐和里子さんは、「私は歳をとって外面はいよいよ不細工に
なってゆくけれども、内面の心根の方は老いるに従って少しずつマシに
なってゆくように思われます。
そういうと人は苦笑されるかもしれませんが、何といわれても私は若い時より
歳をとった今が少しマシになったように感じられるのです。

人間が少しずつでもマシになるということはただごとではありませんが、
これもひとえにお念仏のおはたらきです」とのべられていました。

 皆さんは如何でしょうか、歳をとって外面は悪くなるのは当然ですが、
内面の心根の方は少しマシになったでしょうか。
私も以前家内に恐る恐る聞いたことがあります。「結婚して15年以上たったが、
結婚した時と今と、少しは人間がマシになったか」と。
「ちっとも変わってない」と言うかと思っていたら、「少しはマシになった。
ちょっとは人の気持ちがわかるようになった」と言ってくれました。


 お念仏に生きる人生、お浄土への道を歩む人生とは、日々の歩みの中で
阿弥陀さまに育てられ、少しずつ見えなかったことが見え、気づかなかったことに
気づかされて成長してゆくことだと思います。

そしてその歩みは、いくら歳をとっても80歳になっても90歳になっても、
いのちある限りいよいよ深められて、いのちを輝かして生きていくことができるのです。
人生に余生ということはありません。
80なら80の人生、90なら90の人生があると思います。

 ある90歳のお婆ちゃんが「み仏のこよなき愛に恋をして抱かれて生きるいのち尊し」と
歌われていました。
また榎本栄一さんに、「としをとることも喜びだ、今までわからなかったことが
少しずつわかってくるから」という詩がありますように、与えられたいのち、
いのちある限りお念仏を申しながら、輝かして歩みたいものです。

         北御堂『聞法』より 不死川 浄師著



          


           私も一言(伝言板)