第1267回 二種の回向

 
平成29年 5月11日~

親鸞聖人のご和讚の中に

 無始流転の苦をすてて  無上涅槃を期すること

 如来二種の回向の 恩徳まことに謝しがたし

    (正像末和讃

 という 往相還相回向を読まれた和讃があります。

 親鸞聖人は、阿弥陀さまは私たちに二種のめぐみを与えてくださると味わわれました。
その一つは「往相(おうそう)」を回向(えこう)し、ふたつは「還相(げんそう)」を
回向してくださるということです。「回向」とはめぐみを与えるということです。


「往相」とは、私が浄土に往生して、仏に成るということです。
それはマコトの人生の目的、”いのち“の方向性をあらわした言葉です。
私たちは自らの人生の目的と方向を定めて生きているでしょうか。
そして、その実現を目指して、真剣に努力しているでしょうか。

人生が終われば”いのち“もなくなり、すべてが消滅すると考えています。
そして、現実生活では目の前のことに追われて”いのち“の行方など、
まじめに考えたことはないのではありませんか。
そんな私に、仏さまは「あなたの”いのち“は浄土をめざし、
仏をめざして生きるべきである」と教えられました。

 では、なぜ浄土をめざさなければならないのでしょうか。
仏さまはその理由を「還相」を実現するためであると教えられます。


「還相」とは、浄土に生まれて仏に成って、ふたたび迷いの世界に
還り来たりて、迷いの人びとを導き”いのち“の本来の目的、
正しい生き方を教え、自分自身が仏さまに導かれたように、

わけへだてなく人びとを導いてゆくことです。
それが仏に成る真の目的であるといわれるのです。
ですから浄土に往生する目的は、単に自分の安らぎ、楽しみを
実現するためではなく、万人の幸福、安楽を実現するためだったのです。

このように、人びとに人生のめぐみを与えることを、如来の
「往相」「還相」、二種の回向といわれたのです。
また、「回向」というと、何かものをいただくように考えがちですが
”いのち“の目的と、それを実現できる生き方とを、私自身の現実の上に
めぐむことです。それは教えを聞くところから開かれます。

人を救うなんて…正しい生き方なんて…考えられない。
そう言う前に今までそんなことを考えたこともなかった自分を
思い浮かべてください。
そして、自分自身”いのち“をめぐまれたものとして、今日まで
生かされてきたにも関わらず、本当に正しい生き方など考えたことも
なかったことを深く顧みるべきでしょう。
そして何も考えなかった自分に恥ずかしさを感ずべきです。
それを感ぜしめるところから、仏さまはすでにはたらきかけて
くださっているのです。

恥ずかしさを知らされたら、恥ずかしくない生き方、そして目標が
自覚させられます。

              天岸淨圓師 本願寺出版社(本願寺派)発行
                『心に響くことば』より転載



          


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