第1192回 「苦」 は喜びの種

平成27年 12月3日〜

 「四苦八苦」という言葉があります。
「困難な仕事に四苦八苦する」「四苦八苦してレポートを仕上げた」などと
日常的に使いますが、これは仏教から生まれた熟語です。


 お釈迦さまは、人間が生きているかぎりついてまわる根源的な苦として、
八つを挙げられました。
まず、生・老・病・死の四苦があります。

次いで、愛する人と別れなければならない「別離苦(あいべつりく」、
怨み憎
んでいる嫌な人と会わなければならない「怨憎会苦(おんぞうえく)」
求めるものが
思うように得られない「不得苦(ぐふとくく)、
入間の精神と肉体(五褞(ごうん)が思
うままにならない
五褞(ごうんじょうく)」の四つ、あわせて八苦です。


「苦」と言えば、よく知られている格言に、「楽は苦の種、苦は楽の種」
があります。
今の楽は将来の苦労に通じ、今の苦労は将来の楽に通ずるから、
つらくても投げ出さずに頑張りなさいという教えです。

苦労はいずれ「楽」につながるかもしれませんが、仏教で言うところの
「苦」は、この格言の「苦」(苦労)とは違います。
仏教が説くのは、苦労の「苦」ではなく、自分の思いどおりにならない
人間の本質的な「苦」です。
ですから、「楽」の種になることもありません。


 こうお話しすると、何か絶望的な感じがするかもしれませんが、
しろ「苦」があるからこそ、その中に何かよいことを見つけだすことに
喜びがあるのです。

お釈迦さまは、逃れ得ない「苦」にこころを占領されてしまうのではなく、
「苦」と向き合い、「苦」からこころを解き放つことをすすめられました。

たとえば、老病死に直面し、まさに四苦八苦しているときには、親身になって
助けの手を差し延べてくれる存在のありがたさがわかります。

また、それまで気がつかなかったことに、苦しみを経たことで気づき、
そこから新しい世界が開かれることもあります。


 学校や職場で嫌な人と顔を合わせるのがつらいという苦しみは、
わば「怨憎会苦」です。
それは、人間には解決できない「苦」であると考えられれば、深刻に
思い悩んでも仕方がないと思えるでしょう。


そして、「人生についてまわる苦だ」と受け止めたうえで、相手と
うまくつきあっていく工夫をするか、その人とはつきあわなくてもよい

環境をつくっていけば、人間関係についてそう深刻に悩まなくても
よくなるのではないでしょうか。


 四苦八苦しながらでしかこの世で生活していけないのが、私たち人間です。
その「苦」を苦しむだけで終わらせず、[苦]と向き合い、「苦」を
知ったことを契機として、新しい方向への転換を模索することで、
「苦」の中にあっても、多くの縁に支えられて生きる喜びを見つけだして
いきたいものです。
その根源には、苦悩する者をこそ救わなければならないという、
仏さまの大きな慈悲のこころがあるのです。

           株式会社PHP研究所発行 「人生は価値ある一瞬」より

         


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