第1248回 人間の知恵・仏の智慧

平成28年 12月29日〜

 人間の知恵は頭が上がり、仏の智慧は頭が下がります。

人間の知恵とは、人間の方から未知なるものを学び、覚え、
理解することであり、知識、教養、学問の世界です。

そして知恵がつけばつくほど偉くなり、賢くなり頭が上がってきます。

 しかし仏さまの智慧とは、仏さまの方から私を照らし、
めざめさせ、心の闇を破ってくださる働きですから、
仏さまの智慧に遇えば遇うほど、私の愚かさ、恥ずかしさ、
罪業の深さに気づかされ、頭が下がるばかりです。

 仏法は、知識・教養・学問の世界ではありません。
今まで見えなかったこと、気づかなかったことを仏さまの智慧に
よって、気づかされ、めざめさせてくださるのです。

 人間は知恵がつけば偉くなり、賢くなるので頭が上がり、

仏法を聞く耳がなくなってきます。
素直に仏さまの教えに耳が傾けられなくなります。

 しかし、「実るほど 頭を垂るる稲穂かな」ということわざがあるように、
どんな社会の人でも本当に学問や人格が備わってくれば、自分の愚かさ、
小っぽけさに気づきとても謙虚になってきます。

自分の知恵や力に頼り、自分一人の力で生きていると
思いあがっている間は、頭が上がるばかりです。

すぐに善人づらをして、善人づらしていることさえ気づきません。

 あるお寺の掲示板に、「賢くなることを教える世の中に、
自分の愚かさを気づかせる教えこそ人間の道である」
という言葉がありました。

現代は本当に賢くなることを教え、知恵がついてきた人が
増えてきて、かえって人間の心がますます荒廃してきたようです。
それ故、自分の愚かさを教える仏さまの教えに、素直に耳を
傾けたいものです。

             北御堂『聞法』不死川 浄師著より


         


           私も一言(伝言板)