第1215回  祖父母が体験した価値観

 平成28年 5月12日

鏡を見て気づくことは、親から受け継いでいるものが
いかに多いかということです。
頭が白くなったり、薄くなったり、眉毛や鼻の形、唇の厚さ大きさ。

鏡に写った自分の姿に、親の記憶や写真がダブって見え、
多くのものを受け継いでいることに驚かされます。


表に現れて見えることだけではなく、すぐに怒り出したり、たいしたことも
ないことに悩んだり、落ち込んだり、きっと、親たちも祖父母たちも、
その前の世代も同じような性格で、喜んだり、苦しんだりしながら

人生を全うしたのだろうと思えます。

 そして、その人生を色鮮やかに豊かにし、喜び多いものにすることが出来た
価値観を、なんとかして私たちへ伝えようとして、お仏壇やお墓やお寺を
造り守り、残してくれたのだろうと思えてきました。

 回りの人々を見ていると、自分の人生を喜び多い、有り難いものに
している人々と、辛い苦しい後悔多い人生にしている人々があることに
気づきます。

同じような経験を積み、同じような苦難に出あい、親や子どもや兄弟や
連れ合いを亡くす辛い経験をしていても、その後の人生を見ていると
まるで違っていることに驚かされます。

 人間として生まれ、人間として人生をすごしていると、多少の違いはあっても、
みんな同じような苦難に遭遇することに間違いないと思います。
しかし、その苦難をどう受け取りどう対処し、その後の人生をどう生きていくか、
そこが違っているのではないかと感じます。

 その対処法を、親たちは自分で体験し、子や孫へ残してくれているの
でしょうが、それを受け取ることが出来る人と 受け取ることが出来ずに、
苦しみ一杯の人生で終わってしまうかの違いだろうと思います。

 南無阿弥陀仏の教えは、その人生を豊かに生きる智慧を伝えて
いただいていると思います。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と口に称えながら、南無阿弥陀仏の価値観で

人生を意義あるものに、感じられるようにしてくださっている。
それに気づき 受け取るか受け取れないか、そこが大きな違いだと思います。

新聞テレビで知っている常識だけで生きているのが現代の多くの人たちですが、
その価値観だけがすべてではなく、親や祖父母が体験してきた価値観があることを、
知ると知らないでは
人生はまるで違って見えてくるものだと思います。

 今の世間の価値観、常識では、若いことが素晴らしく歳を重ねることは
ダメなこと。歳をとって、つまらないことばかりという価値観です。
健康こそが素晴らしく、病気になってはダメ、病気になったら
おしまい、人生はつまらないものになってしまうとの価値観です。

 そして、死んだらすべてが無くなる、生きていることだけが
素晴らしいこと、死は恐怖そのものと感じています。

しかし、生まれてくれば必ず歳を取り、どんなに注意し予防しても
病気にはなるもの、そして、いのちには限りがあるものです。

 祖父母や曾祖父母たちが持っていた価値観は、現代とは違って
若いことは素晴らしいことだが、歳を取ることもまた素晴らしいこと
若い頃には気づきもしなかった親の思いや、廻りの人々の有り難さに
やっと、すこし気づくことが出来るようになって、有り難いことだし。

病気になって初めて、人々の親切さや思いやり、そして健康の有り難さに
気づくことが出来ましたし、いのちが終わることはすべてが
無くなってしまうのではなく、お浄土へ生まれてさとりを開き、
仏となって活躍出来る。

 今、先だった先輩たちは、この私にはたらきかけていただいている。
南無阿弥陀仏の仏さまになっていつも見守り導き、励ましていただいている。
こうした価値観に出会い、受け取れことが出来るようになると、
悩みであった老病死を乗り越えることが出来ることに気づきます。

 現代の進んだ科学、医学でも解決出来ない老病死の苦悩を
抜本的に根本的に解決出来る、そうした価値観。
祖父母たちが残してくれた、重要な財産だったと味わえます。
老病死をおそれ、逃げ回る恐怖の人生から、何が起ころうと
慌てることなく、堂々と歩いて行ける、喜びへの道を歩む人生を
ちゃんと受け取り、次の世代へも伝えて行きたいものです。

それが、南無阿弥陀仏のお念仏の教え、お念仏の喜び
お念仏の有り難さであると思います。

そのことを教えてくださった親鸞聖人のご誕生日、
それが5月21日、降誕会です。


         


           私も一言(伝言板)