第1234回 「ナモアミダブツ」 は

 平成28年9月22日~

西本願寺の新しいご門主の本が先月発刊されましたが、その中に
こんな内容のところがありました。



「ナモアミダブツ」は
仏さまから私に向けられた「はたらき」
お寺や仏壇にとどまってはいない


「南無阿弥陀仏」は私たちが普段よく口にする言葉ではありますが、
実は、阿弥陀さまからの「喚び声」なのです。

阿弥陀さまという仏さまが、私たちに向かってきて、じかに
はたらきかけてくださっている、そうした方向性を持った
「はたらき」なのです。

「南無」は「われにまかせよ」、「そのまま救う」という
はたらきであり、阿弥陀さまのお慈悲にこの私を「おまかせする」、
それが「南無阿弥陀仏」なのです。
「私から仏さまへ」ではなく、「仏さまのほうから私へ」向けられた
「はたらき」です。

 本願寺(京都市・西本願寺)の御影堂の内陣の余間には、
「帰命尽十方無碍光如来」という十字のお名号と
「南無不可思議光如来」という九字のお名号をお掛けしていますが、
阿弥陀さまの「はたらき」はそこにとどまっているわけではありません。
光となって私たち一人ひとりに届いているのです。

 よく、浄土真宗の阿弥陀さまは立っておられて、しかも
私たちのほうへ少し傾いておられると言われますが、
これも阿弥陀さまのはたらきを象徴的に表現したもので、
お木像というかたちでそこにとどまっていらっしゃる仏さまでは
ないのです。

 「阿弥陀さまのはたらき」という意味では、「南無阿弥陀仏」
というお名号も仏像も一緒です。
本願寺中興の祖と言われる第八代宗主蓮如上人は、「南無阿弥陀仏」の
お名号を、「木像よりは絵像、絵像よりは名号」と仏さまと同じ
ご本尊として大切にされました。

 私たちはいろいろな言葉を話します、はじめて言葉を話す
小さな子どもにしても、聞いたこともない言葉をいきなり
発するわけではありません。

お父さんやお母さん、家族やまわりの人が話している言葉を聞いて、
それを真似して言葉にするわけです。
ですから「南無阿弥陀仏」も、まずは阿弥陀さまのほうから

私に向けられた言葉、「はたらき」として考えていただければ
と思います。

       PHP研究所発行「ありのままにひたむきに」より


         


           私も一言(伝言板)