第1077回 み仏を よぶわが声は ~み仏の み声なり~

 平成25年 9月12日 ~

   み仏を よぶわが声は み仏の われをよびます み声なりけり 

この歌は、甲斐和里子さんの 「草かご」 の詩集から引かれた言葉です。

浄土真宗の信心とは、阿弥陀仏のいわれを聞いて疑いなく信じる心を言います。
また、「信心といふはすなはち本願力回向の信心なり」とありますように、
信心は衆生が自ら起こすものではなく、仏から回向されるものです。

この信心は、名号が衆生に届いて初めて信心となります。
名号は仏の喚び声です。
この喚び声が私の心に届いて、自力のはからいの心を

砕いて「すべて阿弥陀仏におまかせします」という信心となります。

その信心が南無阿弥陀仏の称名となって、口に出てくるのです。
念仏を称えているからといって、必ずしも信心があるとは限りません。

しかし、信心をよろこぶ人には、必ず念仏を称えるはたらきが備わっていると
いうのです。

信心をよろこぶ人は、煩悩を持ったまま「正定聚」という浄土往生の仲間となり、
阿弥陀さまの大きな慈悲に抱かれながら、生き生きといのちを輝かせながら
生きていく生活が展開してくるのです。

私たちは、如来の本願力によって名号をめぐまれ、わが心に届いたところが信心です。
その名号には、私たちが成仏するための功徳が込められていますので、この功徳が

わが心に満入しますと、信心となります。

その信心には、必ず念仏(称名)がついております。
煩悩にまみれた私の口から出るはずのないこの尊い念仏が、私の口から出てくる

ということは、ひとえに阿弥陀仏の大いなる力によるもの以外にありません。

南無阿弥陀仏、おかげさまと、よろこばせていただく念仏であります。

             大乗 25年9月号 今月のことば 法語カレンダー

 妙念寺電話サービス 次回は 9月19日に新しい内容に変わります。


         


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