第1185回 「おかげさまで」 のこころで生きる

 平成27年 10月15日〜

オリンピックで メダルを獲った選手の多くが、「親のおかげ」
「指導者のおかげ」など 支えてくれた周りの人たちへの感謝の言葉を
口にするのを聞いて、私はなんと美しいこころだろうと思いました。


 浄土真宗では、「おかげさま」 という言葉のこころを大切にしています。
私たちの今ある いのちは 突然生まれたものではなく はるか昔からの
連続した 長いいのちの流れのうえに恵まれたものです。

 どこか途中で一つでも途切れていたら、今のいのちは存在しないわけで、
 今あるのは まさに多くのいのちのおかげと言えるでしょう。

 縦の時間的な つながりだけではありません。現在の生活の横のつながり
においても、衣食住どれをとっても誰かのおかげであり、また、動植物の
いのちを いただいているおかげで、私たち人間のいのちを支えることが
できているのです。

   「おかげさま」という気持ちは、人間の思い上がりを戒める意味でも大事で
あると思います。ただ、自分の都合のよいときには 「おかげさまで」と
素直に言えても、自分の都合の悪いときにも、同じように「おかげさまで」

と 言える人は 少ないのではないでしょうか。

 私たち凡人はとかく、いいときには 神さま、仏さまのおかげと感謝し、
悪いときには 「神も仏もあるものか」と グチをこぽします。
神さま 仏さまは 自分の都合に合わせて取り上げたり、捨てたりする
存在ではなく、いいときも 悪いときも見守り、支えてくださっている
存在なのです。

 大病を患って つらい思いをした人が、「病気になったおかげで  生きて
いる喜びを 味わえるようになった」「病気のおかげで人生観が変わり、
新しい生き方が生まれた」 などとおっしゃったりします。


 あえて病気になる必要はありませんが、そういう望ましくない事態に
直面しても、自分が支えられ、生かされていることに気づけば、
「おかげさま」 という気持ちになれるのではないかと思います。 

     株式会社PHP研究所発行 「人生は価値ある一瞬」より
     こころ安らかに 生きるために
「おかげさまで」のこころで生きる 


         


           私も一言(伝言板)