第1120回 諸行無常 ~常に変化し続けている~

 平成26年 7月10日~

仏教とは どういう教えなのか 他の教えとは どこが違うのか。

仏教の特色といえば 諸行無常 諸法無我 涅槃寂静 の三つで表されます。
これを三法印といい、これに「一切皆苦」を柱建てして加えたものを
四法印といい、これが、仏教の根幹であると言われます。

最初の 諸行無常の「諸行」とは「すべてのもの」ということで、
目で見、耳で聞き、手で触ることの出来るすべてのもの、現象のことを
表しています。

「無常」とは、停止しているものや常住のものはないということ、
常に変化してとどまることがないということです。

自然界も人間界も、自分の肉体も精神もすべて刻々と移り変わっている
これが事実であると説き明かしていただいているのです。

諸法無我とは、すべてのものは永遠不変の実体(我)ではない、
すべてものに永遠不変の実体は存在しない、という意味だと言われます。

諸行無常の無常は、無情 情け無いではなく 常では無いであって 
古い経典には 非常と訳されているところも多いといいます。
日本人は 無情と無常を発音が同じために 同じような意味と

理解している人が多いようですが、仏教でいう無常は 常でないという意味です。


無常とは また因縁という言葉 あるいは縁起という言葉

そして非常と同じ意味であると言われます。
非常の非が 常で非ずとの意味ですが 無常の 無も否定の言葉です。

私たちは いつもと同じ一日、昨日と同じ一日を今日も送っていると感じています。

ところが 毎日毎日が違うもの、変化して同じ状態であり得ないものなのに
変化しないことを望み その変化に気づこうとしていないのが現実です。

子どもも やがて大人になるように、種をまけば芽をだし育っていくように
常に変るものであることは 日常生活で知っているものの、
その変化を見過ごしています。
無常と非常が同じ意味であると言うことは、今がまさに非常事態で
あるということです。

蓮如上人は 御文章に 「無常の風きたりぬれば、すな はち
  ふたつのまなこたちまちに閉ぢ、ひとつの息ながくたえぬれば、
  ・・・・」と、無常の風と 何度もお書きいただいています。

突然 変化が起こり、歳を取るのではなく、突然に命終わるのでもなく
私たちが 刻々の変化に気づいていないだけなのです。
無常の風とは 風を感じることで はじめて、ここにずっと空気が
あったことに気付き、刻々と変化していることにも 気づかされるのです。

決して例外はなく、何であっても 常なるものは 存在しないのに、
無常でないことを望んで、日暮らしをしていたのです。

しかし毎日は 無常である、非常事態である。 二四時間三六五日 
変化しているのである。
因縁によって生じたものは すべて無常である。
同じ状態であり続けることはない。

無常を無常と受け止めることが出来ないために 何事も当たり前になって、
喜べることも喜べない人生を送っているのです。

無常なるものしかこの世には存在しない 
常なるものは何もない、常に変化していると、仏さまが

教えていただいた、これがお釈迦さまの教えの特徴なのです。


         


           私も一言(伝言板)