第1076回 彼の岸をめざして 
          いまを生きる  
~未来を視野に入れて~


 平成25年 9月5日~

 昼間の日差しには、未だ夏が去りやらぬような暑さが残っていますが、
朝夕の気温の変化や日ごとに短くなってゆく日足に、秋の訪れをしる
時候となりました。

しかし、「暑さ寒さも彼岸まで」と言われる経験則からすれば、

誰もが今年の秋を実感するのは、やはり彼岸を迎える頃になるのでしょう。

 ところで、その「彼岸」ですが、誰でもが日常用語として使っている言葉なのに、
多くの人々が漠然と「墓参り」というイメージを持っているだけで、その意味を
考えることも無いのは、本当に「もったいない」ことなのです。

なぜなら、「彼岸」という言葉には、まさに東洋の叡智と呼びうる深い意味があるからです。

 「彼岸」とは、文字通り「彼の岸」ですが、それは、いま私たちが生きている世界を
「此岸(こちらの岸)」としたとき、この世界の彼方、つまり「向こうの岸」と
いうことになります。

では、彼方の岸である「彼岸」は、どのような世界なのでしょう?

それを教えてくださったのが、真実真理を悟って「仏陀」と成り、自ら彼岸に到達
されたお釈迦さまなのです。

お釈迦さまは、私たちが生きているこの「此岸」は、四苦八苦とよばれる悩みや苦しみに
満ちた世界であるのに対して、「彼岸」は苦しみも悩みも無い浄らかな「悟りの世界・
仏の世界」であると明らかにされ、此岸に生きているすべての者が、
そこに到ることをめざして生きるようにと、生涯をかけて教え導いてくださったのです。


ですから、「彼岸」は、ただ彼方に在る世界というだけでなく、お釈迦さまと同じように、
私たちがそこに到達することをめざして生きるべき世界であり、私の未来、私の生命が
生きる目的地に他なりません。

 仏教は「仏さまの教え」であると同時に、「私が仏に成る教え」とされ、さらに自分で
仏道を歩めないものには「仏さまに救われる教え」まで説かれています。

しかも、そのことを聞く機会まで、「彼岸会」として用意されているのです。

 未来とか、生命の行方などというと、何か いまと離れたまだ先の事がらのように
思われがちですが、決してそうではありません。

私たちはよく 「いまを大切に」と言いますが、そのいまは刻一刻と過ぎ去って
ゆきますから、本当にいまを充実して生きようとするならば、
未だいまにならない未来を視野に入れておかねばならないのです。

 いまは一瞬一瞬に過去になってゆくので、それを追いかけてゆくことはできません。

ですから、いまを充実して生きるには、それを可能にする未来をしっかり見つめて
生きることが何より大切なこととなるのです。
その意味では「彼岸」は、そこへ私のいまの生き方を導く「こころの灯火」であり、
実際にそこへ到る私の人生の歩みそのものとして在るのです。


 このことは、お釈迦さまによって実証され、七高僧や親鸞聖人、そして、
私たちの先祖も 歩んで行かれた人生の道ですから、「墓参り」は、
その先人の導きに感謝する「ありがとう」のかたちであることを忘れてはならないのです。


      前龍谷大学教授 願通寺住職 寺川幽芳 師  ないおん 25年9月号 より


         


           私も一言(伝言板)