第1105回 浄土とは どのような世界なのか 〜いがみあい ⇒ おがみあい〜

 平成26年 3月27日〜

 阿弥陀如来の願いによって建立された浄土とは、
一体どんなところなのでしょうか。

浄土には美しい木々があり涼風が吹いていると、お経には描かれていますが、
それはただきれいで、心地よい世界というだけではありません。


                    おんじょう
清風宝樹を ふくときは いつつの 音声いだしつつ

 きゅうしょうわ じねん
 宮商和して 自然なり 清浄薫を礼すべし  (浄土和讃)

浄土では清らかな風が美しい樹々の葉を揺らして宮・商・角・徴・羽の
五つの音を奏でている。そこではすべての音がありのままでよく調和する。
このような声が清らかににおう阿弥陀如来を礼拝しましょう。

 親鸞聖人はこの和讃で、『仏説無量寿経』 から 「宮商自然に相和す」
ということばをそのまま引いておられます。
つまり、浄土はすべてのものが調和し、争うことのない世界だと
言っておられるのです。

宮商とは、宮・商・角・徴・羽という雅楽の音階を示されているのですが
(雅楽は洋楽と違って五音階です)、宮と商の二音だけを取り出すと、
いわゆる不協和音になります。

 この和讃でいわれる「宮と商」とは、じつは私たちのことでは
ないかと思うのです。

 私たちは自分が正しいと思って生きています。
正しいと思うもの同士の世界は、争いが絶えません。
宮が悪いわけでも、商が悪いのでもない。
けれど宮と商が合わさると、相和すことができません。

そんな私たちの姿を悲しく思い、宮と商とが自然に相和す世界を
開かなければならない、と誓われた阿弥陀如来のみ心が、この和讃の
詩的表現に触れながら、感じ取れるのではないでしょうか。

 この世でぎくしゃくした関係にあっても、仏と成り浄土へ往けば、
宮と商でも相和すことができる。

いがみ合っていたもの同士が、おがみ合うもの同士になれるのです。
「い」 と 「お」 では大きな違いです。

 この一文字の違いを超えられずに苦しむ私たちに、
それを超えさせるための世界を用意してくださり、そのような世界が
あることをありかたいと、私たちがいえる身になることを、
阿弥陀如来は願つておられるのです。

 いま、日本には仏に成ることを望みもせずに、仏教徒という形だけを
取る人がほとんどです。
無自覚な仏教徒、という矛盾したことばさえまかり通っているのですが、
その矛盾に向けられる仏の眼差しに気づいたとき、今までの自分をふり返り、
変わっていくことができるのです。
    
         大谷光真ご門主 「いまを生かされて」 より

妙念寺電話サービス次回は4月3日に新しい内容に変わります。



        


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