第478回 本当のことを

  平成14年 3月21日〜


妙念寺電話サービスお電話有り難うございました。
先日こんなことがありました。

五月の子供の日のために、こいのぼりを泳がせる長い
大きな柱が、準備してありました。

そのお宅の仕事は大工さんですので、その作業場に、
大事そうに横にして、2本置いてありました。


「立派な竿ですね。何メートルぐらいあるのでしょう。」
ご主人はちょっと考えて「12メートルですよ」。

六間と日頃おっしゃるところを、メートルで聞いたもので、
暗算されたようです。


「これは売り物ですか、それとも自宅のですか」と
聞きましたら、自分の家の初孫のものだとのお答えでした。


切り出したばかりの真っすぐな立派な木で、緑の葉っぱが
まだ青々として、新鮮そのものです。


「新しく立派な木ですね、緑の葉っぱもイキイキして」と
言いましたら、「この葉っぱは、木を乾燥させるために
残して置くのですよ」言われました。


空高く伸びるポールの先を飾るための緑の葉っぱと
思っていましたが、そうではなくて、切ったばかりの
若い木を乾燥させるために一番先に緑の枝を残して
置くのだそうです。


そうすると、葉っぱは水分を吸い上げていき、木が
自然に乾燥していくのだそうです。


ご主人の説明を聞かないと、残された緑の葉っぱの
意味が、本当のことが分からないものです。


その家の奥さんに聞いても、飾りのための枝だと
思っておいででした。


これと同じように、私たちは、分かったつもりになって
勝手に思い込み、納得していることが、実に多いのでは
ないでしょうか。


知ったふりをして、本当のことが分からずじまいの
ことばかりのようです。


何のためにお彼岸にはお墓に参るのか、何のために
お仏壇があり、何んで南无阿弥陀仏とお念仏をするのか、
よく知っているつもりでも、確かめてみると想像して
いたことと、大きく違うのかも知れません。


お年寄りが、大人たちが、お念仏をして慶んでおられた
のは何故なのか、どうして南无阿弥陀仏なのか確かめて
みないと分からないことばかりです。


浄土真宗は、お聴聞を大事にします。
お聴聞しないと、お話しを聞かないと、本当のことが
分かっているつもりでも、実は何も分からないということを、
教えようとされたのではないでしょうか。


いまちょうど、佐賀地方では巡番報恩講の季節です。
お聴聞して本当のことを、本当の慶びを、人生をより
豊かにする方法を、お念仏とともに確かめていただきたい
ものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、3月28日新しい内容に変わります。


   

          

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