第462回 浄土の存在

平成13年 11月29日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
一年は早いもので、もう残りもわずかになりました。

年の暮れといい、太陽の落ちる夕方といい、残りが
わずかになると、どことなく淋しくなるものです。


同じように人生も残りがわずかと思うと淋しさを
感じるものです。


ところで、一年を振り返るように、過ぎ去った過去を
振り返ってみると、いろいろの出来事がありました。
その中でも特に楽しい出来事を思い出してみると、
その共通点は、私が私であることを認められた時では
なかったかと思います。


私が期待され、私の存在が重要であることを知ったとき、
喜びを感じたように思います。


子供のときも、大人になっても、自分が待たれている、
期待されている、役立っている。


この自分が必要であると、認めたれたとき喜びを
感じていたようであります。

家族の中でも、組織の中でも、頼りにされ、自分が
居なければ、皆が困ってしまうと、生き生きとした生活を
思い出します。


しかし、年を重ねると共に、新たに中心となって活躍する
若者が現れ、自分の存在は段々と小さくなって行くものです。


子供たちも巣立っていくと、もう自分を必要とする者は
居なくなり、どことなく空しく感じるのが人間です。
いつまでも自分中心に世界は動いてほしいものの、
そうは行かないのが、現実です。


この淋しさ孤独感は、誰でも味わわねばならないことであり、
繰り返し繰り返し、先輩たちも経験して来たことです。


こうした辛さを解決しれくれるのが「お浄土」の存在です。
お浄土へ生まれ、仏のさとりを得ると、自分の関係者
だけではなく、ありとあらゆる全ての人を、全てのものを
救うために活躍する場を与えられるのです。


悩み苦しむ全ての人を救う働き、この私でなければ
出来ない働き、それも、逃げ回る者も、振り向かない者も、
飽きる事なく、怒る事なく、辛抱強く、ひたすらお念仏を
勧めつづける働きです。


生きがいあるお浄土、生きがいある働き、この私こそが
期待され待たれている、そう思えることこそが、この私に
とって最も大きな喜びだと思います。


どうぞ、浄土真宗の教え、お念仏の教えに出会い、
お念仏の生活をすることで、将来だけではなく、今この時を
人間らしく喜びの多い毎日を味わっていただきたいと思います。


そして、それこそが、ご縁のあった多くの今は亡き人びとが
一番喜ばれるころだと味わいます。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、12月6日に新しい内容に変わります。

   

          

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