第463回 声かけられて

 
平成13年 12月 6日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

近ごろは、大人の常識では理解出来ない若者が多いようで、
新幹線でこんな経験をしたと、聞きました。


連休だったせいか、車内は立っている人もいる状態だった
といいます。


ところが、座席シートを回転させて、4人掛けのボックス
にして若者二人が、足を投げ出して、一心に何かを
読んでいたそうです。


仕事で疲れていたので、近付いて「そこ空いていますか」と
言うと、若者は座席の荷物を動かして、座らせてくれたそうです。


でも、もうひとり座れる座席には荷物が置かれたまま、
二人の若者は夢中になって、数学の参考書を読んで
いるというのです。


網棚に荷物を上げれば、もう一人座れるものの、自分たちは
熱心に勉強している受験生なので、世間はみんな許してくれる
とでも思っているのでしょうか。


立っている人の中には、年配の人もいるのに席を譲ることを
しない若者に少々腹を立てながら、旅行をしたというのです。


近ごろの若者は、しつけが出来ていない、自分のことばかり考えて、
回りのことに気づかない、思いやりがないと、悲しい思いを
したといいます。



  ところが、後になってふと気づくと、お年寄りが立っていた
のだから、大人の自分が立って席を譲ればいいのに、自分は
仕事で疲れているのだからと、若者のことだけを批判している
醜い自分に気づいたと言われます。


一番悪いのは若者ではなく、ことによると、だまって座って、
ただ眺めていた自分なのかもしれないと、恥ずかしい思いを
したということです。


この話を聞きながら思いました。

回りの人がどう思おうと、どんな状態であろうが、その状況を
理解出来ないのが人間です。
ところが、自分が気づくと気づかない他の人のことを批判して
しまいます。


私たちは、言葉をかけて貰って、はじめて気づくことが多いものです。
「その席、空いていますか」と、言葉をかければ譲ってくれるかも
知れないのに、黙って見ているだけで、イライラしていたのです。



   南无阿弥陀仏は、言葉の仏様、南无阿弥陀仏を聞かせて
いただくことで、はっと気づかせていただく、教えです。


目で見ても、雰囲気でも感じない、気づかない私に、
南无阿弥陀仏の言葉をかけて気づかせていただくのです。


一人苦しみ一人悩む私に、言葉で呼びかけ目覚めさせて
いただくのです。


南无阿弥陀仏の言葉で、はじめて気づかせていただく教え、
それが、親鸞聖人がお勧めいただく浄土真宗なのです。


自分で口にし、自分で聞きながら、阿弥陀様の呼びかけを聞き、
目覚め豊かな喜び多い人生を味合わさせていただきたいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、12月13日に新しい内容に変わります。

   

          

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