第461回 念仏の人 川上清吉さん

 
平成13年 11月22日 〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

島根県出身で、戦前戦後、混乱の時代に佐賀の鹿島中学や
佐賀師範学校で教鞭を執られていた、念仏者の川上清吉と
言う方がおられました。


学校の中だけではなく、お寺の法座でもお話をいただき、
このご縁でお念仏に導かれた方が多かったようです。


今でも毎年、この川上清吉さんを偲んだ法要が大和町の
常立寺さんで行われています。


その講演の内容や、お書きになったものは、400ページ
以上の分厚い、三巻の全集にまとめられています。
大変有り難い内容ですよとお勧めいただき、拝見しました。


妙好人浅原佐市さんや、岩見の善太郎さんなど
お念仏の人のことや、川上先生ご自身がお念仏に出あう
ようになった経緯や、日常の生活の中での、お念仏の喜び
などが非常に感動的に綴られており有り難いご本でした。


当然、教育者として教育原理としての道と行、教授方法の
真実相などという専門の文章もあります。


その他、佐賀と関わり深い、葉隠の哲人山本常朝といった
お念仏の教えが葉隠の中にも感じられると言う内容のもの
もあります。


そのどれを取っても、人間として生きていくには宗教が必要で、
それも親鸞聖人のお念仏の教えこそ、混乱した時代には必要で
あると、強く訴えられています。


例えばこんな所があります。

『 「救い」とは「悟り」ではない。
 悟りがどうしても自分のものにならない人間だから救われ
 ねばならぬのである。
 自分の念力で主観を整え、心境を統べて、いかなる現実に
 処しても、その平静と清浄とを保てるようになることが宗教で
 あるならば、宗教は万人のものでなくして、選ばれた者のみの
 ものである。


 しかし、聖人自身は、その選ばれたる者に入る資格なき事を
 感じられた人である。


 長い修行のはて、悪戦苦闘ののち、ついに刀折れ矢盡きて
 「いかなる行も及びがたき身なれば」(歎異抄第二条)と嘆く
 ほかなき自分を見た人であった。
 「罪悪深重、煩悩熾盛の衆生」(歎異抄第一条)を自身の上に
 見られたのである。

 かかる凡夫が、何等の条件なしにその肉体の終えると共に
 「浄土」に往かせて貰える。それが聖人の確信なのである。
 それが絶対無条件な念仏の中に約束せられる。
 それが「救い」なのである。それだけなのである。


とあります。

そして、親鸞聖人の信仰は、浄土の存在ということを信じない
ものには、無関係なのである。とも書かれています。


その浄土へお念仏で往ける。
無条件でいける。川上清吉さんはそう味わい、
力強く伝えていただいたのです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、11月29日に新しい内容に変わります。


川上清吉選集 光を聞く 浄土と地獄より 7頁)

   

          

本願寺・りビング法話へ