第430回 いろはにほへと

  平成13年 4月19日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
小学校で最初に習ったのが、「いろはにほへと」の世代と、
「あいうえお」で習った世代とがあります。


ところで、いろはにほへとは、仏教の心を表していると
言われますが、ご存じでしたか。


  色は匂えど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ

  有為の奥山今日越えて 浅き夢みじ酔いもせず 

このいろは歌は


諸行無常(私たちの世界のすべてのものは移りかわります)
諸法無我(ですから永久不変のものはひとつもありません)
涅槃寂静(ただ仏の国だけが静寂であり、安楽であって、
永久不変です)という原理にもとづてつくられました。
これは、仏教のハタジルシというべき特徴です。


諸行無常、諸法無我の道理は、
 1、あなたの命にも限界がありますよ
 2、日一日とすぎてゆく人生、今日という日は二度ときませんよ
 3、この人生には、残念ながら、「これこそは」という確実に
   たよれるものはひとつもありませんよ

ということを教えているのです。

涅槃寂静という道理は、
 1、仏の世界に生まれたら、限りない命にめぐまれます。
 2、仏の教えこそ、私たちが完全にたよりきることの
   できるものです。


ということを教えています。

仏教はむずかしいという先入感にとらわれています。
仏教は元気な人間には必要のないものと思い込んでいます。


仏教が、なにを私たちに語ろうとしているか、そのこころを
つかみとることが大切です。



 管(ふえ)を伝えて曲を習わず
 といいます。立派な先祖伝来の楽器をもっていても曲を
演奏することを習わなかったら、楽器の意味がありません。


 仏教はむつかしい、元気な人間には不要だ、という先入観念に
こり固まって、仏教のこころをつかみとることに気づかなかったら、
曲を演奏しない楽器と同じことになります。

せっかくのすばらしい仏教の教えを、あなたの手で殺して
しまうことになります。


釈尊は、人生の充実のために、自らの人生を理解し、
掘り下げてゆかれたのでした。そして自らの体験を語られた
のが仏教です。


 そのなかから、あなたがなにをつかみとって人生の糧とするか、
あなたの姿勢ひとつにかかっています。


そして、親鸞聖人はこの私には、南无阿弥陀仏のお念仏の
教えしかなかったと教え、伝えていただいたのです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
次回は、4月26日に新しい内容に変わります。



     仏教のおしえ
   浄土真宗入門法話百選 上
          仏教文化研究会編 探求社 より
   

          

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