第431回 なもわあみだぶち

 平成 13年 4月 26日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

妙念寺前住職の一周忌・法供養には、多数の方にお参り
いただき、まことにありがとうございました。


久しぶりに本堂が満堂になり、何にも増して後生の一大事を
心にかけることの重要さを味あわせていただきました。

本当に有り難いご縁でありました。

ところで、この法座には、この電話サービスをお聞き頂く方も
駆けつけていただき、その上、この電話法話運営のための
ご懇志も、過分に頂戴し誠にありがとうございました。
末永く続けられるよう活用させていただきます。 

 ところで、毎朝のお勤めで、ご和讚のくり読みをして
おりますときに、気づいたことがあります。


正像末和讚の中に、

  南无阿弥陀仏の廻向の 恩徳広大不思議にて

  往相廻向の利益には 還相廻向に廻入せり

とのご和讚を読んだとき、のことです。

たまたまこの一周忌のために北海道から来た、
前住職のひ孫の一人に、広大(ひろお)という二歳の
男の子がいます。


恩徳広大の広大とかき、ひろをと読むのですが、漢字で見ると、
どうしても広大と読んでしまいます。広く大きくの広大です。


そこで、ついつい「こうちゃん」と名前を読んでしまうのですが、
ひろお君ですので「ひろちゃん」が正解です。


ご和讚には、「くわうだい」と仮名がふってあることを
確かめながら、南无阿弥陀仏には、親鸞聖人は
「なもわあみだぶち」と仮名がふってあることに気づきました。


「なもあみだぶつか」「なむあみだぶつか」「なも」か「なむ」かの
違いは、以前にもお話ししましたが、親鸞聖人は、なもあみだぶつを、
「なもわあみだぶち」と仮名をふっておられます。


ここだけではなく、ご和讚を見ていくとすべてのところに、
なもわあみだぶつと、あみだぶつよりも、わあみだぶちと
書かれています。


これは、南无阿弥陀仏を何度も何度も口にして、聞いて
いかれたためではないかと感じます。


なもの「も」は、くちびるをすぼめて、「も」と発音したその後に、
阿弥陀仏の「あ」を発音すると、唇を開きながら、あを発音すると、
わあとなるのです。


一度や二度のなもあみだぶつですと、正確になもあみだぶつと、
発音出来ますが、繰り返し、繰り返し、南无阿弥陀仏、
南无阿弥陀仏と発音すると、阿弥陀仏も「わあみだぶつ」に
近く聞こえるのだと感じました。


その発音に近い仮名、「あ」よりも「わあ」の方が耳に残るものです。

そこで、その発音に近いあみだぶつよりも、わあみだぶちと
仮名を振られたのだろうと感じました。


南无阿弥陀仏は、木造の仏様でも、漢字で書かれた仏様でもなく、
口にし耳に聞く、仏様、なもわあみだぶちなのだと、
つくづく味わいました。


目で見た南无阿弥陀仏ではなく、耳に聞いた南无阿弥陀仏、
親鸞聖人もお師匠さまの法然上人のように、寝ても覚めても口に、
南无阿弥陀仏、南无阿弥陀仏と、繰り返し耳に聞かれて
いたのだと感じました。


阿弥陀仏に帰命するは、なもわあみだぶちと味あわせて
頂きたいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、五月三日に新しい内容に変わります。

   

        

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