第422回 身を粉にしても

 平成13年 2月 22日〜


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先日、恩徳讃を歌いながら、思いました。

  如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし

   師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし


私たちは、日頃一番大事なものは、健康だと思っております。
病気をせず健康で長生きさえすれば人間は幸せであると
思っています。

そして、毎日の会話も健康の話、ちょっとどこか身体の調子が
おかしいとすぐに病院に出かけたり、薬を飲んだりします。


年配の方は、健康のための食事や薬、散歩や、体操と、
健康が人間にとって何よりも大事であると思っています。


しかし、親鸞聖人は、その健康の元である、身体を粉にしても、
骨を砕いても、お礼したい感謝したいものを、受け取らせて
いただきました、と味わわれているように感じました。
健康よりも、身体よりももっと大事なものそれを受け取って、
心から喜んでおられるのです。


それは、何なのでしょうか。私たちは、日頃、あまり感動
しないままに、節をつけ、当たり前になってこの恩徳讃を
口にしていますが、よくよく味わってみると、これほど
大変なことを、想像することも出来ない深い内容を
歌われた和讚であることに気づきました。


如来大悲の恩徳、そして、師主知識。
親鸞聖人は、ご自身の身を粉にし、骨を砕きて
報謝しますという、ご自分の決意の言葉を読んで
いただいているとともに、阿弥陀さまの「身を粉にし、
骨を砕きて報謝せよ」との呼びかけであるとも
味わわれたのでしょう。


 親鸞聖人のご一生は、阿弥陀さま、お釈迦さま、
七高僧、そして聖徳太子に象徴される本願他力の法を、
ただただ讃め称えるご一生でした。

お釈迦さまが、阿弥陀如来の国からおいでいただいた
方であったと、同じように親鸞聖人も還相の菩薩さまのような、
お法を伝えていただいたご一生でした。


その聖人が書き残していただいたご和讚や正信偈など、
心から味わわせていただく毎日でありたいものです。


南无阿弥陀仏を口にし耳に聞きながら、その喜びを
味わわせていただきたいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、3月1日に新しい内容に変わります。             

   

          

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