第423回 葉隠と念仏 @

 平成13年 3月1日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

先日、佐賀の「聞書葉隠」を研究しておいでの方がお越しいただきました。

「葉隠研究」という本に、鍋島藩二代藩主光茂候の特集号を
計画しているので、妙念寺の開基小倉の局のことを取材したい
との訪問でした。

「聞書葉隠」には、光茂候の育ての親、小倉の局のこと、そして、
妙念寺が建立されるいきさつが、何度も何度も繰り返し書かれて
います。

鍋島藩の場合、曹洞宗の高伝寺が菩提寺です。
ところが、新しい寺院を建立することが禁止されたにも
かかわらず、浄土真宗の寺院を建立させたのは、大恩ある
小倉の局が、念仏の行者であったためとしても、どこか
不思議に思えます。


取材に来られた方とお話ししながら、「葉隠」を読むと
非常に浄土真宗の教えに近い気がするがどうしてでしょうかと、
質問して見ました。
それに対して、山本常朝さんは、九歳の時から小姓として
お城に上がり、小倉の局と面識があるのではないかとのお答えでした。


お念仏をする小倉さんの近くにいれば、知らず知らずに
感化されていくのではないかと考えると、納得がいきます。

喜び勇んで、調べて見ましたが、残念ながら小倉さんが
亡くなった後に、山本常朝さんは生まれており、直接の
接触はありません。



しかし、光茂候は幼い頃から、母親変わりの小倉の局に、
育てられていることを思うと、お念仏の教えが、自然に
伝わっていたということもうなずけます。


特に、巻きの五には、光茂さんの言動が詳しく記されて
いますが、その発想は、お念仏の人の考え方、行動とも
非常に近い気がします。山本常朝さんは、自分が仕えた
主君光茂候こそ理想の主君であると、心酔し美化して
語っているようです。


こう考えると、「葉隠」の葉に隠された部分とは、ことによると、
お念仏の教え、お念仏の価値観こそ、平和な時代の
武士の生活規範であるとの主張ではないかとも思えます。


私たちはよく恩徳讃を唱和しますが、この如来の部分や、
師主知識のところを、ご主人様、お殿様と置き換えてみると、
武士道の神髄そのものに聞こえるのは、偶然なのでしょうか。

ご主人さまの恩徳は、身を粉にしても

骨をくだきても謝すべしと、読み替えると、
なんとなく、理想の武士道が理解できるような気もします。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、3月8日に新しい内容に変わります。

   

          

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