第375回 道は一つ

    平成12年 3月30日〜

妙念寺電話サービスお電話有り難うございました。
三月の末から四月にかけて、年度末そして新年度と
新しい旅立ちをされる方が多いと思います。


四月の法話カレンダーに、こんな言葉が書かれています。

「どれほど道があろうと、  自分が登るとなると 一つです」


という言葉が書かれています。

52歳の若さで、5年前に亡くなれらた石川県の
平野修さんの言葉です。


佐賀市の社会保険センターで仏教講座を10年近く担当して
おいででしたが、その後、願正寺さんで、その仏教講座の
仲間たちが特にお願いして、毎週勉強会を開いて
頂いていました。


東本願寺系の九州大谷短期大学の先生でしたが、
以前ラジオ番組を担当されていたということで、とても優しく
分かりやすいお話しで、日頃、お寺と関係ない多くの
女性の方が、唐津からも伊万里からも毎週通って
こられるような魅力的な先生でした。


しかし、残念ながら5年前に52歳の若さで、病気で
亡くなられました。



「どれほど道があろうと、自分が登るとなると 一つです」

同じような、こんな言葉を思い出します。


「たったひとりしかない自分を たった一度しかない一生を 
本当に生かさなかったら 人間に生まれてきたかいが 
ないじゃないか」

という作家・山本有三の言葉です。


山本有三の作品に「路傍の石」という名作があります。
子供のころに読まれた方も多いと思います。


その中に、子供の意地から鉄橋にぶらさがり、あわや
というところで救いあげられた吾一少年に、先生が
語りかける所があります


「世界に、なん億の人間がいるか知れないが、おまえ
というものは、いいかい、愛川、愛川吾一というものは、
世界中にたったひとりしかないんだ。・・・


自分自身を生かさなくてはいけない、たったひとりしかない
自分を、たった一度しかない一生を、ほんとうに輝かし
ださなかったら、人間、生まれてきたかいがないじゃないか」


「路傍の石」の一部分です。

 しかし、その自分自身を生かし、輝かすとしても、
煩悩にまみれての生活では、はたして私を生かすことに
なるのでしょうか。  


親鸞聖人のご和讚に、


「本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき、

功徳の宝海みちみちて
 煩悩の濁水へだてなし」

とありますように、
本当の私を輝かす生き方は、
ただ一つであることを、たった一つの道しかないことを
お釈迦様は、親鸞聖人は教えていただいています。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、4月6日に新しい内容に変わります。

  
                    

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