感恩の生活
 
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
本願寺勧学の深川和上のお話です。
 
御恩報謝の念仏とはどんなことですかとの質問に、

「感恩の生活」である、御恩を感ずる、恩を感ずる生活であると言われます。
 
御恩報謝と言えば、一般には、ありがとうございます。
御恩でございますと口に言いながら生活するように決めてかかっていますが、

そうではなくて、恩を感じて生きていくことであり、
その一番の基礎のものが、南無阿弥陀仏の、
御恩報謝のお念仏の生活であるとおっしゃいます。
 
逆に言うと念仏は報謝であるということであり、
それも口に称える念仏、私が称える称名
南無阿弥陀仏が念仏であり、報恩であります。
 
日本の景気が悪いとか、いろいろの社会問題が多発する中で、
恩を感ずる生活など出来ないと言う人がありますが、
宗教の核心は、私個人の問題であります。
 
私個人は、この体の中に閉じこもって住んでいます、
世間と係わりあって生きてはいますが、私はこの自分の体の中に

住んでいて、世間をのぞき見ながら生きています。
 
その私を、この私を救おうというのが阿弥陀様の
お慈悲であって、その阿弥陀様という仏様が、
私をお助けくださるのに、南無阿弥陀仏で救うとお決めくださった。
 
それが阿弥陀様の本願といわれる、第18願であります。
 
阿弥陀様が私に届いていただいているのではなくて、
南無阿弥陀仏が届いていてくださるのである。
浄土三部経全体は、名号でお救いとなっています。
阿弥陀様という仏様をジット思い続ける宗教では、
 
凡夫には難しすぎるので、阿弥陀様は、そのことを十分に分かった上で、
南無阿弥陀仏と称えられる仏様になってくださったのです。
 
私の側から言えば、私は南無阿弥陀仏という仏様に出会ったのである。
その南無阿弥陀仏を聞いてみると、法蔵菩薩の
ご苦労も願いも全部つづめて南無阿弥陀仏と
称えやすい名号になってくださっている。
 
南無阿弥陀仏をいただき称えると、この世に生きている間に、
10の利益があると親鸞聖人はおっしゃっています。
 
また、死んだ後に私が行く国を用意していただいて、
48願の思いが、みんな込められており、
こうゆう仏になるぞ、こうゆうお浄土をこさえるぞ、
来た人はこうするぞとの三つのことが出来上がっています。
 
南無阿弥陀仏の中には、仏の分、お浄土の分、
我々がいった先の分、全部込められて南無阿弥陀仏という功徳がある。
それを今いただいているのです。
 
称えるのは我々の仕事であるが、我々の仕事は皆目、
役に立たない。称えることに意味があるのでなく、
称えられる南無阿弥陀仏こそが生きて働くのであります。
 
称名は報恩であるというのは、称える人の心持ちをいっているのである。
称えられる南無阿弥陀仏の心を言っているのではないのです。
 
報恩を御恩返しという意味で受け取るのでなく、
報恩の恩というのは、お慈悲、仏様のお慈悲です。
広大なお慈悲に包まれながら生きている、
そのお慈悲を感じながら生きて行くのが報恩であります。   
お念仏の生活とは、恩を感じる毎日であると言われます。
妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、2月12日に新しい内容に変わります。
 
                 
                 ( 平成10年 2月 5日〜 第263回 )