使える口があっても
 
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冬のオリンピックが長野で行われています。
札幌に続いて、日本では二度目の冬のオリンピックです。
 
若いメダリストの笑顔もすばらしいものですが、
子供ミュージカルでよく知られている劇団四季の浅利慶太さん
演出の開会式は、子供たちの生き生きとした姿が印象的でした。
 
そして、その中には、目の不自由な養護学校の生徒さんも、
皆と一緒にのびのびと演技をしたといい、感動的でした。
 
ところで、北九州の上田希望(のぞみ)君の感動的な詩に出会いました。
上田のぞみ君の名前の 「 のぞみ 」 は、希望という字を書き、

のぞみと読みます。
小さなつわものとのタイトルですが、
小さな勇気ある者、勇者と書いて 「 つわもの 」 と、
ルビがふってあります。
 
体の不自由な子どもさんの詩です。
 
小さな勇者
  つかえる手があっても
  他人の為につかう手でなくては
  なにもならない
  ものいえる口があっても
  いらぬことを語る口では
  意味がない
  僕たちはみんなのように
  手が足が思うようにつかえない
  言葉も自由にしゃべれない
  でも 眼で心で
  真実なことをつたえられる
  そんな人間になりたいのです

北九州市の上田のぞみ君の詩です。
「 生かされ 愛され 支えられ 」 というカレンダーに収められた詩ですが、
作者の紹介には、
「 生まれつき身体が不自由で、何をするにもひとりでは出来ないが、
 とても明るく感性ゆたかな少年であるとあります。
 
 私たちは、お蔭様で手足も口も、自由に使えます。
 しかし、それは当たり前になって、何の喜びも感謝の気持ちもありません。
 折角使える口で、要らぬことを語り、感謝の言葉もお念仏も忘れています。
使える手も使える足も、使える口も、十分に生かしていない毎日であると、

反省させられます。
 
    つかえる手があっても  他人の為につかう手でなくては
  なにもならない
  ものいえる口があっても いらぬことを語る口では
  意味がない
  私たちは、手も足も お蔭様で思うようにつかえます
  言葉も自由にしゃべれます
  眼で心で口で  真実なことを(確かなことを)
  つたえられる
  そんな人間になりたいものです
 
    せめて、ウソ偽りの無い、真実の言葉、  南無阿弥陀仏を
  称えられる私でありたいものです。
 
 妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
 次回は、2月19日に新しい内容に変わります。
 
 
                           ( 平成10年  2月 12日〜 第264回 )