第1098回 千無一失 〜千に一つの例外なく〜

 平成26年 2月6日〜

佐賀鍋島藩の記録によると 江戸時代終わり およそ40万人が 人別帳に
記録されており、その半分が 浄土真宗(一向宗)で 浄土宗を入れると 
6割以上の人が、南無阿弥陀仏であったとあります。

おかげさま、もったいない、有難い、やがてお浄土へ生まれるとの価値観が
主流派だったと思われます。

現在 人口は 2倍以上になりましたが、お念仏の人は 2倍になったでしょうか。

 江戸時代末 日本の人口は 約3000万人で その内 2000万が
門徒だと言われていたようですが
人口が 4倍の1億2千万人になった今 お念仏の人は 2000万人から
増えているのでしょうか、減っているのでしょうか。

おかげさま 有難いと 自分の置かれた境遇を正しく 味わい 
人生を豊かに過ごしている人は 今や ことによると少数派になったのではないかと

感じています。

 戦争中 お国のために命を投げ出すことこそが 人間らしい
生き方と教育されたように 戦後も 資本主義社会の労働者・生産者として
競争して自分の力で 豊かさを勝ち取ることが 生きがいであるとの 価値観が
大勢を占めているのではないでしょうか。

自分の力 働き 頑張りがすべてで、人生が決まる 何事も自己責任だと
思い込んで 子供のころから育てられて来たのではないでしょうか。

その延長線上で 老も病も死も 自分の力で 人間の力で 思い通りになるものだと
勘違いしている人も 沢山いらっしゃるようです。


 親鸞聖人が 詠んでいただいたご和讃に 人間の力 自分の力で
さとりを開けると信じて 努力している人は お浄土へ生まれることは
難しい 本当の喜びは得ることができないと 教えていただいています。

例えば


末法五濁の衆生は 聖道の修行せしむとも
 ひとりも証をえじとこそ 教主世尊はときたまへ (道綽讃)

釈迦は要門ひらきつつ 定散諸機をこしらへて 
 正雑二行を方便し ひとへに専修をすすめしむ  (善導讃)


そして、

万行諸善  小さな道。  本願一実の大道  (曇鸞讃)との表現や

仏号むねと修すれど 現世をいのる行者をば
 これも雑修となづけてぞ 千中無一ときらはるる (善導讃) 

親鸞聖人が語句の左に解説していただいた 左訓 には
「千がなかに一人も生まれずとなり。 懐感禅師の釈には 万不一生と釈せられたり」 とあります。


専修のひとをほむるには 千無一失とをしへたり
 雑修のひとをきらふには  万不一生とのべたまふ  (源信讃)

千無一失 「千にひとつのとがなしとなり」 と 左訓 ひとりの例外もなく往生する。
万不一生 「万に一人も報土に生まれずとなり」 とあります。

人間の力の及ぶところは 精一杯努力させていただくとしても
力の及ばないところは お釈迦さまが説いていただき
多くの先輩がすすめていただく お念仏の教えで生活していく。

 自分の努力で 自分の幸せを願うのではなく すべての人々の幸せを
願う 阿弥陀如来の願いを頷きながら、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏の
仏さまに成らせていただく道を歩ませていただきたいものです。

妙念寺電話サービス 次回は 2月13日に新しい内容に変わります。


         


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