第1084回 行き先が決まった  ~お念仏の教えで~

 平成25年 10月 31日~

就職のための活動 就活、会社訪問を繰り返しても、なかなか
結果が得られず 苦労している学生さんの姿を テレビでよく見せられます。

中には 一人でいくつもの会社から 内定通知を受けている人がある反面 
数十の会社を受験しても 一つも決まらず 焦っている人も多いようです。


内定をもらって就職先が決まった人は、入社前から その会社の社員に
なったつもりになり 「うちの会社の、この商品は良いですよ・・」などと
もう組織の一員になったつもりになっている人もいます。


入社の春までに 英語をはじめ外国語を 学んでおこう海外勤務になっても
大丈夫なように等と、 将来へ向けて前向きな行動が出来るものです。

一方 就職活動をしなくていい 創業者の一族とか、自営業の
跡取りなど、就活の苦しみを経験せずに、行き先が決まっている人もいます。

入学試験も 同じように合格するまで 本人ばかりでなく家族まで不安、
決まるとほっとするものです。

結婚も 婚約が決まれば、お料理やお茶お花の稽古事にも 
真剣みが増してくるものです。
転勤も 転勤先が分かれば もう心は 次の職場に向かうもの。

これからどうなるのか 将来が見えないと人間は 不安で落ち着かないもの
行き先がはっきりすると 落ち着いて次の行動がとれるものです。

人生は、いろいろの節目がありますが 人生の終活、命を終えるとき
どうするのかと、取り組む様子が 話題になっています。
そして、その多くは 命が終わればすべてが終わる その終わりをどう迎えるのか
決勝点までの計画を立てようというもののように聞こえてきます。


南無阿弥陀仏の教え お釈迦さまが説かれたお念仏の教えでは
人間は、この地球上で生きているわずか100年だけがすべてではなく、
私が生まれる前から そして命を終えてからも 連続して続いているもの
命が終える時が すべての終わりではないと 説かれています。

生きている間に 多くの関わりを持ち 多くのお世話になり、多くの命をいただいて
生きてきた その行為を原因として 生きている間だけではなく、命終わってからも
自分で結果を受け取らねばならないというのが仏教的な価値観です。

生きていくためには 他の命を犠牲にしてもいいのだ、
みんな そうしているのだから、問題ないと思い込んでいますが、
そうではなく、自分が傷つけ苦しめたもの 奪った命の報いは 
自分で受け取らねばならないと。

それが、あまりにもかわいそうで、阿弥陀如来は なんとか救いたいと
南無阿弥陀仏を 私たちに与えていただきました。
地獄にしか行きようがないこの私に なんとか浄土へ生まれさせ 仏と同じさとりを
開かせ 苦しむ多くの人々を救うことの出来る力を与えたいというものです。

この教えに出会い、その価値観で生きている人は 一人も残さず救い取ると
お釈迦さまは説いていただいています。

ですから、南無阿弥陀仏に出会い 南無阿弥陀仏のお話を聞かせていただき
南無阿弥陀仏の浄土へ生まれることを 信じさせていただければ、もう
その人は お浄土へ行くことが間違いない 苦しみの世界へ逆戻りすることはないと
説かれています。

南無阿弥陀仏の人は もう 行き先が決まった人、内定通知を受け取った人
婚約が成立したひと、お浄土へいくことが出来る合格通知を受け取った人なのです。
お浄土へ行くまでの残された時間、何が出来るのか 何を学び経験して
おけば良いのか。

お聴聞をすると それが はっきりと聞こえてくるものです。
将来が はっきりと見える人、行き先が決まった人 この教えに会えば、不安なく
堂々と生きていくことが出来る 選び取られているのだと 頷けるものです。
どうか、お念仏にあえて 良かったと思える毎日でありたいものです。

  妙念寺電話サービス 次回は 117日に新しい内容に変わります。


         


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