第1083回 お育ていただいた人は強い  ~藤沢量正師のご法話~

 平成25年 10月24日~

お念仏の人 「お育ていただいた人は強い」というお話を 聞きました。
近所のお寺の御門徒で、三十二歳の女性の子どもさんが、
18日 三学期の始業式の日の夕暮れ、吹雪の中、町に出かける父親の
車に乗り込んだのですが、途中で交通事故に遭ったと言います。

父親は胸を打って骨折したものの命に別状はなかったのですが、
その小学一年生の子どもは助手席に座っていて、全身を打撲したために、
数時間後にその命は失われたという話でした。

 深夜、救急病院から無言の帰宅をした少年のために、親類や近隣の人が
布団を敷いて待っていたと言います。

その若き母親は、少年が寝かされたあと、お仏壇の経卓に置かれている
聖典の中から少年が用いていたものを取り上げて息子の側らに座ったそうです。

しばらく涙を流しながら少年を抱えていたその母親は、呟くように、
「この聖典を坊(ぼん)に渡したときは、ここには仏さまのお心が
いっぱいつまっているんだよ。おつとめをすると、仏さまがいい子に育てて
くださるのだからお経さんの本は大事にしなさいね。これは坊の宝だよ
と言ったけれど、今となってはこの聖典は母ちゃんの宝物になりました。
こんなに手垢がつくまでお経さんの本をめくっていたんだね。・・・・
坊よ、有り難うね・・・・」と言ったというのです。

それまで少年の遺体を取り囲んで、「かわいそうに」とか、
「いい子だったのに」などと口々に喋っていた親族の人たちから、思わず
「ナマンダブ ナマンダブ」とお念仏が称えられたということです。

 翌朝、世が開けるのを待ちかねて病院へ駆けつけた妻を見るなり、
夫は身体を起こして、「すまん・・・・」と言って涙をこぼしながら、
「坊はどうした?」と尋ねたそうです。

その妻はしばらく黙って夫の手を握っていたそうですが、
一言も夫を詰ることなく、「父ちゃん、坊はお浄土へ参らせてもらったよ」
と語ったといいます。

すると夫は、「なに? 死んだのか、本当に死んだのか」と何度となく
言って号泣したそうです。
その間、妻は一言も発することなく、ただ涙を流しながら夫の手を
握っていたというのです。

今一番つらくて悲しい思いをしているのは夫であるということが、
この女性にはよく分かっていたからでありましょう。

しばらくして、「父ちゃん、明日のお葬式に立てないのはつらいと思うけれど、
ベットの中でお念仏して見送ってね。坊は仏さまになったんだから。
今度は坊が私たちを育ててくれるんだから・・・」と泣きながら話したと
いうのです。

 この話を聞いて、確かにお育ていただいた人は、強くてしかもあたたかいと
思ったことです。

老いて醜い姿をさらけ出したくないと自ら命を絶った著名な作家がいました。
不治の病と宣告されて、絶望のあまり身を海中に投げた人もあります。
愛する人に別れて、絶望の涙を流し続けている人も少なくありません。

 しかし私たちは、いかに孤独にさいなまされても、大悲の如来にいつも
喚びさまされて、あたたかな如来のふところに抱かれているということを
忘れてはならないのです。

わがいのちが安らぐときは、孤独が癒やされるときです。
孤独から救われるのは、仏のいのちが通うた わがいのちであると知らされた
ときです。私たちは、お念仏を申す中で、いつもそのことを忘れない
日暮らしを続けたいものであります。

      孤独が癒やされるとき 老病死の中で 藤澤量正師 本願寺出版社発行

 妙念寺電話サービス次回は 10月31日に新しい内容に変わります。

         


           私も一言(伝言板)