第三十九 近似の趨勢 國民の覺悟
第百二十四代今上天皇は、大正天皇の第一の皇子にましまし、明治三十四年四月二十九日御降誕、大正五年御年十六歳の時立太子の禮を擧げさせられ、ついで攝政に御就任、内外多事の間にその御重任を果させたまへり。
大正天皇崩御せらるゝや、天皇直ちに踐祚したまひ、その日年號を昭和と改めらる。昭和元年十二月二十八日、文武百官を正殿に召して朝見の儀を行はせられ、辱き勅語を賜ひ、すべて浮華を斥けて質實を旨とし、模擬を戒めて創造に努め、日々人文を新にして、國民一體となりてますます國家の基礎を固むると共に、また廣く一視同仁の化を施し、永く四海同胞の交を厚くせよと仰せたまへり。
昭和二年一月先帝に大正天皇の御追號を奉り、翌月御大葬の儀を行はせられ、多摩陵に斂めたてまつりたまふ。これ實に關東に御陵地の定められし始なり。
諒闇終りて昭和三年十一月、天皇即位の大禮を京都に於て擧げさせらる。十日皇宮に於て、まづ賢所大前の儀あり、天皇親しく即位の由を皇祖天照大神に告げさせたまふ。ついで紫宸殿の儀を行ひ、天皇高御座に登りたまひ、皇后は御帳臺に出御、皇族御参列の上、廣く内外の百官・使臣を召して、極めて荘厳のうちに、天皇優渥なる勅語を賜へり。すなはち、皇祖皇宗夙に萬民を愛撫し、國民心を合はせて忠誠を致し、君民一體となりて以て國體の精華を發揮せり。朕内に教化を厚くし、民心を親和して、ますます國運の隆昌を進め、外に國交を親善して世界の平和を保ち、あまねく人類の幸福を益さんことを望む。臣民皆協力同心以て朕の志を助成せよと仰せたまへり。内閣總理大臣田中義一臣民を代表して謹みて壽詞を奏し、参列の諸員と共に萬歳を三唱して慶賀したてまつる。ついで十四日の大嘗祭には、天皇御みづから夜を徹して、悠紀・主基の両殿に天照大神をはじめ天神地紙を祭りたまひ、また大饗の儀に、宴を内外の百官・使臣に賜ふ。まことに古今無比の盛儀にして、萬民いよいよ皇位の尊厳を仰ぎ、罔極の天恩に感激して報國の誠を竭さんことを期せり。なほ天皇は皇后と共に、伊勢神宮・神武天皇山陵及び前帝御四代の山陵に御親謁あり、ここに大典は、瑞氣天地にみなぎれる間に、全く終了しぬ。
かくて、皇威隆々として内外に揚りしが、昭和五年英國の主唱により再び海軍會議をロンドンに開くこととなれり。我が全權委員若槻禮次郎らこれに参加し、英・米・佛・伊諸國の委員と協議を重ね、さきにワシントン會議に於て決定せざりし海軍軍備を制限縮少することを約し、殊に我が國及び英・米の三國は、昭和十一年末に於て、各國の保有すべき補助艦の噸數をも協定せり。
翻りて東洋の形勢を観るに、隣邦支那は、さきに明治四十五年清朝亡びて共和國となり、國號を中華民國と稱し、袁世凱一旦大総統に選ばれたりしも、その後とかく國内の統一を缺き、所在勢力を競ふものあらはれて紛亂相つげり。また露國は、多年官民反日の末、大正六年歐洲の大戦中、俄に革命勃發して、ロマノフ(Romanov)家の帝業は覆り、社會主義者遂に一國の政權を握れり。こゝに於て單獨にドイツと和し、ドイツの勢力シベリヤに及びたれば、我が國はその地方にも出兵するに至りぬ。
その後露國は、ソビエト(Soviet)聯邦となり、社會主義によりてやうやく秩序を整ふるに至るや、我はしだいにシべリヤ地方より撤兵し、遂に大正十四年一月條約を結び、彼はその領土内の鑛産・森林など天然の富源を開發すべき權利を我に與ふることなどを約し、両國の國交ここに回復せられぬ。また支那には、蒋介石最も勢力を占めて、國内の統一に努めつつあり。我は隣邦の好を重んじて、さきに膠州灣地方を返還し、爾来互に手を携へて、極東平和の確立、東洋文化の開發に努めんことを期せり。
されど、支那は内争相つぎ情勢混沌として容易に蹴らず、常に在留邦人の安全を脅かししのみならず、事毎に排日を企て、殊に満洲に於ける我が權益をさへ侵害してやまざりき。かくて、昭和六年その兵わが南満洲鐵道の線路を爆破するに及びて、久しく隠忍し為りし我が國も自衞上やむなく起ちて、こゝに満洲事變の勃發を見、やがて上海事變も惹起されぬ。然るに、この際満洲の住民は、王道立國を理想として、七年薄儀を執政に擁立し、新に國を建てて満洲國と稱し、都を長春に奠めて新京といふ。我が國はその建國の由来を考へ、満洲國の獨立を尊重して、これが健全なる發達を促進するを以て、我が使命たる東洋平和の確保を全うする道なりと信じ、九月率先してその獨立を承認し、議定書を交換して、共同防衞を約せり。これより満洲國と共に、その秩序を保ち産業を興し文化を進むるなど、専ら建國完成の業を助け、更に進みて支那と和協して、東洋永遠の平和を確保せんとす。
然るに、國際聯盟國の多數は、満洲國承認に對する我が公明なる精神を顧みず、我が正常なる自衞行為を否認せしかば、從来聯盟の目的達成に鋭意協力し来りし我が國は、八年三月やむなくこれを離脱して、斷然我が所信に邁進することとせり。天皇すなはち詔書を下したまひて、帝國の嚮ふべきところを示させられ、非常の時に處すべき國民の心得を諭させたまひ、たとひ聯盟を離脱するも、世界の平和に盡すは、依然渝るところなしと仰せたまへり。されば極東の平和は素より、世界人類の平和に盡すの我が大方針は毫もかはるべくもあらず、今や條約を結びて、大使または公使を交換せる國々は、廣く三十餘國に及び、これらの諸國と相共に親善に努めつつあり。
殊に我と緊密なる満洲國は、建國以来未だ年所を經ざるにもかかはらず、國内の秩序やうやく整ひ、九年三月執政溥儀國民に推戴されて帝位に即かせられ、翌年皇帝申は親しく我が國を訪ひたまひ、いやが上にも親善を重ねらる。こゝに於て、東洋の盟主として、我が帝國の使命いよいよ重きを加ふるに當り、さきに八年十二月二十三日皇太子繼宮明仁親王御降誕ましまし、萬民歓喜措くところを知らず、瑞祥山野に充ち満ちて、奉祝の聲天地を震撼しぬ。
かゝる隆運に際し、悠々數千年、國史の成跡を顧みんか、由来わが國には國民の間に一貫せる大精神あり。わが大日本帝國は、萬世一系の天皇、神勅を奉じてこれを統治したまふところにして、列聖絶えず萬民を愛撫したまひ、國民また常に天皇に忠誠を致し、君臣の情誼はなほ父子の如く、以て國體の精華を發揮せること、未だかつて世界にその此を見ざるところなり。かくて、國體は萬古不易にして、太古より微動だにせざるも、時勢の變は社會の思想を動かして、ために政治に弛張を来し、時に天皇親政の本體を忘れんとするものあるや、必ず天皇中心の精神喚起せられてその政弊を打開するを常とせり。古来の氏族制度は、もと簡素なる社會には適應せしも、その官職世襲の弊は遂に豪族の跋扈となり、みだりに私民・私土を有して、まゝ國體を辨へざるの事あり。ここに於て、天皇中心の大精神は、まづ聖徳太子の十七條憲法によりて顯彰せられ、中大兄皇子これを體して、中臣鎌足らと共に大化の改新を遂げたまひたれば、私民・私土は悉く公民・公土となりて、直ちに親政の正しきに復せり。然るに、また時勢の推移は漸く自家擁護の思想を醸成して、卿相の攝關政治より、果ては武家の幕府政治となり、朝廷の實權を失ひたまふこと久しきに及べり。されば御英明なる後醍醐天皇は、後鳥羽上皇の御遺圖をつぎて、廷喜・天暦の王朝に復せんとしたまひ、幾多の忠誠なる臣民これを翼賛したてまつりて、一旦建武中興の王政は成りぬ。されど、大業未だ完からざるうちに、はやくも再度武家の政治に返りしが、その後國史の研究が國體観念を明徴にするに及びて、尊王の大義を悟るもの漸く多く、孝明・明治両帝の聖旨を奉體して、神武天皇の御創業に基づける王政復古の大業を扶翼したてまつり、遂に將軍の政權奉還、諸侯の版籍奉還となりて、明治維新の實擧りぬ。かくて、明治の維新は大化の改新と全くその軌を一にし、しかも明治の大御代には、立憲政體の確立を見るに至れり。實に建國以来天皇統治の國體は、炳として日星の如く、天皇中心の思想はまた恒久の國民精神たり。
明治維新より、大正時代を經て昭和の現時に至るまで、僅かに七十年の問に、内治・外交共に驚くべき進歩を遂げ、殊に歐洲大戦以来、我が國はいよいよ世界の舞臺に進出して一段の進展をあらはせり。わが國現時の情勢を明治初年のそれに比較せんか、領土は殆ど二倍し、人口はまさに三倍を越え、財政の如きは膨大して數十倍となり、文化また全く面目を改めて、國運の隆昌なること、建國以降未だかつて見ざるところたり。
まづ内政に於ては、憲政ますます進歩して普通選擧行はれ、陪審制度も設けられて、國民の政治に参與する範圍おひおひに擴まり、國防また整備する中にも、特に歐洲大戦後は、武器・戦術など著しく科學的となり、陸海両軍の航空機をはじめ、すべての方面に發達を見たり。通信・交通の機關には、無線電信・無線電話など俄に長足の進歩をなして、日用に供せられ、ラヂオの放送は全國に行渡り、テレビジョンもまさに實用の緒に就かんとして、文化の發達を助くるところ少からず、また陸には、鐵道線路いよいよ延長して、今や國有と私設を合はせて三萬粁を越え、海には、内外の航路に使用せらるゝ汽船すべて四千隻・四百萬噸に達せんとし、英・米二國に次ぎ世界の海運界に第三位を占むるの盛況を呈し、なほ空には、定期航空機往来して、一般の通信・交通に供せられて、社會に多大の便益をもたらせり。こゝに於て、産業貿易も從ひて振興し、これが管理に當れる從来の農商務省も、別れて農林・商工の二省となり、内には學術を應用して米穀・蠶種改良せられ、林業・水産業も竝び興り、諸種の新しき工業會社は續々民間に起れり。また外には貿易も年を逐うて振ひ、綿織物・生絲をはじめ、その他の海外輸出額もますます増加しぬ。よりて諸種の大資本會社の設立せらるゝもの少からざりしが、なほ小資本の農商工業者をして、協同互助の目的を以て、信用・販賣・購買・利用などの産業組合をも設けしめて、これが保庇をはかれり。一面また文化の發達も目ざましく、宗教・教育・學問などいづれも普及の實を擧ぐると共に、横山大観・竹内栖鳳の畫家をはじめ、各種の文藝に新進の大家輩出してそれぞれ新味を出し、風俗も和洋竝び行われて、百般の事物に社會の一大進展を示しぬ。
かくて、社會は各方面に整備を見たりしも、歐洲大戦以来、新奇なる思想の頻りに西洋より浸入し来るにつれて、我が國民の思想はとかく動揺し、まま我が光輝ある國史の迹を顧みずして、徒に外来の思潮に溺れて國體観念の明徴を缺くものあり。かゝる折しも、たまたま關東地方に大震火災突發し、一朝にして多數の人命と巨億の財物とを喪失して、國家の損害はかり知るべからざるものあるや、辱くも大正天皇は、特に國民精神作興に關する詔書を下して、國民を戒めたまへり。吾等謹みてその聖旨を奉體して、常に詭激の説を斥けで穏健中正の思想を抱き、浮華の俗を矯めて質實剛健の風を養ひ、以て國力の振興をはからざるべからず。素より今時の國際情勢は、軍備・勞働の諸問題より教育に學術に、はた赤十字事業に通信・交通事務に、いづれも萬國協議を遂げて、相互の利益をはかり、以て人類の幸福を進むべく、吾等また鋭意これに協力しつつあり。
 かくて、我は國際平和につきて、終始萬全をはかるといへども、これが成果を擧ぐるには、まづ自國の健全なる發達を期せざるべからず。さればざきにワシントン會議に於て締結せる海軍軍備制限の條約は、その後世界の大勢の推移につれて全く不適當なるを認めしより、我は昭和九年十二月その廢棄をアメカ合衆國に通告し、翌十年十二月關係各國の代表ロンドンに集りて、會議を開けり。我が全權委員永野修身らこれに参列して、國防の安全と軍備制限の公正を力説せしに、各國の同意を得るに至らずして、我は遂に會議を脱退しぬ。
また我は常に支那と提携して、東洋平和の確立と東洋文化の開發に努めんとするにも拘はらず、彼の政府は、我が誠意を無視し、排日の政策を國民教育にまで悪用し、みだりに事を構へて遂に支那事變の勃發を見るに至れり。今や、我が忠勇なる将士は、堂々正義の陣を全支に進めて、皇軍の威力を發揚し、國民の後援また熱烈にして、よく和協一心の實をあらはせり。殊に、第七十二回臨時帝國議會開院式の貴族院に於て奉行せらるゝや、天皇陛下の親臨を辱くして、特に優渥なる勅語を賜はり、彼が反省を促して東亞安定の速かならんことを望ませられ、以て國民の嚮ふところを示させたまふ。また議會に提出せられたる二十餘億圓の莫大なる軍事費は、立ちどころに協賛可決せられぬ。かくて、擧國一致、萬難を克服して、苟も終局の目的を達成せずんば已まざるべし。
こゝに於て吾等いよいよ一致して、所信の貫徹に邁進すべきの秋に當り、國民があまねく國體の尊厳を體得し、東洋の平和を双肩に擔へる帝國の重大使命を悟りて、ますます國運の發展に盡瘁せんとするの傾向は、實に喜ぶべき現象なり。されど、我が國の經濟力は近時頓に増進したりとはいへ、その國富に於て未だ歐米の文明國に此すべくもあらず。加ふるに、國内資源に乏しくして、貿易はおほむね輸入の超過を示し、日常生活に必須なる鐵・羊毛・棉花・石油の如き原料も、多くこれを外國に仰げり。しかも、最近我が國人口の増加は年々數十萬人に及び、人口問題解決の急を要するものあり。今や拓務省も新に設けられたれば、版圖内の拓殖に努むるは素より、進んで發展の地を満洲・南洋をはじめ遠く海外に求むると共に、ますます産業・貿易を振興して以て國力の充實をはからざるべからず。また最近經濟の急激なる發達は、ややもすれば、國民生活の安定を缺き、ために諸種の經濟上の紛争を生ぜんとす。されば互に法律・道徳・慣習などを遵守して融和協調以て共存共榮の實を擧ぐるに努むべきなり。殊に社會の發達につれて、貧富の懸隔甚だしくなるを常とすれば、宜しく救濟・保護・教化の諸事業を起し、世界の進運に伴なひて社會の健實なる進歩發達を遂げざるべからず。またこれを文化の方面に見んか、今や歐米の文化は滔々として社會に漲りつゝあるに當り、吾等の祖先が古来外國の文化を容れて、よく國風に同化し、儒教も佛教もはた西洋の文化も、皆その長を採り短を棄てて偉大なる成績を擧げ、こゝに燦然たる現代文化を造りし迹を顧みて、宗教・學問にあれ美術・風俗にあれ、いづれも範を祖宗の成跡に取るべきなり。吾等は、天皇陛下の踐祚後朝見の儀及び即位の禮に賜はりたる勅語の聖旨を奉體して、この卓絶せる國體を擁護して天地と共に窮りなき皇運を扶翼したてまつり、また更に東西両洋の文化を融合して、新に一大文化を創造し、以て世界の文化に貢獻せざるべからず。しかして此等のこと皆教育がその源泉たるを思へば、事に教育に從ふものの責任や重且大なりといふべし。かたじけなくも天皇陛下は、特に教育者に對してしばしば優渥なる勅語を賜へり。吾も人もいよいよ粉骨砕身、奉公の誠を竭さずして可ならんや。


(完)

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