キャンディー・ポップ



ABBA、BONEY-Mの世界的な成功により、ヨーロッパ各国から様々なグループがそれぞれの国でDISCOを中心にヒットチャートでランクイン。

そんな状況から日本のマスコミが『CANDY POP』という言葉を勝手に作ってしまった。そんなジャンルはありません。日本国内においてだけヨーロッパを中心に活躍していたグループをCANDY POPブームという形で一大ブームにと展開した。音楽的な部分はあまり紹介せず、ルックスや衣裳などをクローズアップしてアイドル的なプロモーションを全面展開。素晴らしい作品を発表しても音楽面にあまり触れるこがなかった日本のマスコミに対して、難色を示していたグループもいくつかあったほどだ。
しかしCANDY POPのカテゴリーで日本のマスコミに取り上げられたグループの中で素晴らしい音楽性とボーカル力で本国のみならずヨーロッパ全土で活躍していたグループが多々存在していたので、DISCO MUSIC全盛の時代に日本のPINK LADYが存在していたように、海外の歌って踊るガールズグループをいくつか紹介したい。(DOOLEYSは本編で)


ARABESQUE / アラベスク(西ドイツ)

『ハロー・ミスター・モンキー』他その後日本で数々の作品を発表しHIT!、残念ながら本国西ドイツでの活動規模は日本での売上を考えると寂しい結果に留まっている。しかし作品自体は早い時期からシンセを導入し、BONEY-M的解釈をよりエレクトリックに構築、あのエニグマとの関わりも興味深いところ。メンバーの一人サンドラは、ARABESQUE解散後ヨーロッパの歌姫として大成功を収めている。西ドイツ唯一のランクイン楽曲は日本でのイメージとは対比しミディアムは曲調で成功にいたっている。
PINK LADYとは日本国内でレーベルメイト(Victor)


TRIX / トリックス(アルゼンチン)

一卵性の三つ子というだけでもビックリなのだが、バカラを成功させたプロデューサーが関わっており南米のトップスター、フリオ・イグレシアスのオープニングアクトもこなしている。楽曲はアメリカトップアーティスト達が使うスタジオで制作されており、デジタル打ち込み使用、作品のクオリティーは高い。日本にプロモーションで来日した際、わざわざ大使館からレコード会社にお達しがあったほどで南米のトップスターだった。プロモーション来日時は、テレビ出演で『I LIKE YOUR LOVE』を披露していたのだが、レコードで聴く歌声に比べてかなり厚みのあるコーラスを聴かせてくれた。


DOLLY DOTS / ドーリー・ドッツ(オランダ)

女性6人組からなるDOLLY DOTS、ABBAを意識した作品は多面的な要素を含み、オランダ国内ではかなりの人気グループ。国内の成功だけに留まらずアメリカ進出も試み、全米ビルボードのDISCOチャートにランクイン。メンバーそれぞれにボーカル力もあり、80年代後半にはあのストック・エイトキン・ウォーターマン(DEAD OR ALIVE他をPro)が手がけている作品もある。ダンサー経験を持つメンバーで構成されているので、NEW WAVE全盛時代に発売された楽曲のダンスはレベルが高く見ごたえあるステージングを展開していた。


THE NOLANS / ザ・ノーランズ
(イギリス)

CANDY POPとして紹介されたグループの中で最もボーカル力があるのが彼女たちである。フランクシナトラのツアーでオープニングアクトとして同行している経緯は無視できない事実。日本でのアイドル的なプロモーションがその音楽性を不透明な形にしてしまったが、アメリカのブラックミュージックへのイギリスからの回答というフレーズが見事にはまる作品が多いことに驚かされる。また、バラード曲で聴けるコーラスワークも!彼女達のイギリス国内での総合売上はあのTLC(アメリカ)とほぼ同じである。
またPINK LADYアメリカでの活動を管理していたポール・ドゥルー氏がTHE NOLANSのアメリカ進出のコーディネイトを担当していたという関わりがある。

※CANDY POPのロゴはイメージです。

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