【答え】
バプテスマのヨハネのことをご存じでしょうか。
マタイの福音書11章を見ると、獄に捕われていた彼が果してイエスは救い主だろうかと疑っている記事
が出ています。このヨハネは、実は、イエスを救い主だと、力強く紹介した人でした。そんなヨハネで
さえ疑っているのですから、私達が、時として疑うことがあっても不思議ではありません。
しかし、ヨハネはその疑いを持った時、すぐにイエスのもとへ使いを送って、率直にその旨を伝えました。
その時のイエス様の答は、「自分がしているわざを見るように」と言うことでした。そのために、彼はその
疑いの中から救い出されました。
イエス様のみわざは、新約聖書の初めにある四つの福音書にはっきり示されています。また、ローマ人
への手紙1:3には、「御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ」と書かれています。
このことはイエス様は、決して半分神様でも天使でもないということです。私達の中の一人として生活
された人でありました。
しかし、ここで注意しなくてはならないことは、イエス様は私達と同じ人間でありながら、同時に、私達と
全く異なった人間性を持たれていたということです。
それは、どの点であったかと言いますと、イエス様には、罪が全く認められをかったということ、つまり、イエス
様の存在は聖そのものであられたということです。
ヨハネの福音書8:46で、イエス様は、「あなたがたのうちだれか、わたしに罪があると責める者がいますか。
わたしが真理を話しているなら、なぜわたしを信じないのですか。」と語っておられます。現実に、イエス様
に対して、罪ありと断言できる人は一人もいませんでした。キリストの敵でさえ、出来ませんでした。このようにイエス様の存在そのものが、聖なるものであったということです。
この事実とともに、神のみしか行えない奇蹟をイエス様が行ったという事を見落してはなりません。ヨハ
ネの福音書1:14のみことばに注意して下さい。「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私
たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとま
ことに満ちておられた」。「ことば」とは、キリストを示しています。
キリストが、肉のからだをとって私達の歴史の中に入って来られたというのです。これはまた、正しく神の子
が人間的な本質を受けられたことを意味しています。キリスト教信仰は、イエス様がこの世界に来られた
という事実の中に、神の子が受肉したことを信じる一点にかかっています。
従って、イエス様は人間である
と同時に、神であるということができるのです。
是非、聖書の真理に耳を傾けて下さい。必ず、信じられる時が来るでし
ょう。イエス様は、ヨハネに「わたしにつまずかない者は幸いです」と語っておられます。これは、現
在の私達のすべてにも語っておられることなのです。 |