第527回 地獄は誰のため

 平成15年 2月 27日〜

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。

テレビを見ていると悲しい辛いニュースが氾濫しています。

自分が悪いことをしても、法律に触れなければ
罪ではなく、かりに法律を犯しても、バレなければ、
逃げきれば、それでいいというのが、現代人の
感覚のようです。


生きている間がすべてで、生命が終われば、
責任はまったく問われないと、安易に考えています。


 しかし、仏教では「因果の道理」が説かれています。
自分で作った原因は、その結果を自分で受け取らねば
ならない。


もし、この世で報いを受けない時は、次の世で
責任を問われる「地獄」が説かれています。 

TVを見たり、新聞を見て、あれは良くないこれは
許せないと、他人の事ばかり批判していますが、
よくよく考えてみると、地獄へ行くのは犯罪者
ばかりではないのではないかと反省させられます。



親鸞聖人は、ご自分のことを
「地獄ぞ一定すみかぞかし」と、無意識に犯す
罪の大きさを教えていただきました。   


人間として生きていくためには、他の生き物の
生命を奪いそれを食べるなど、気づかずに
数々の罪を犯しているのです。


何も悪いことをしたことはない、良いことばかりを
していると思っている、この私こそが、実は地獄に
行く原因ばかりをつくっている存在だとの指摘です。


何の罪も犯さず、善人そのものの私であると
思っていたものの、自己中心な生活をしていること、
そのことこそが地獄へ行く原因をつくっているのだ
との目覚めです。


 それに気づき慌てて努力したとしても、
自分の力で、これまで犯してきた地獄へいく
ような原因のすべてを取り除くことなど、
とてもとても出来そうにありません。


 ただ一つ救われる道がある、地獄へ
行かなくてすむ方法がある。


それは、お釈迦さまが説かれ、親鸞聖人が
勧めていただいたとおりに、阿弥陀さまに
お任せして、南無阿弥陀仏を口に、お浄土の
方向へ向かって歩んでいくことしかないのです。


南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と、お念仏を
しながらの生活にこそ、真の喜びがある。


自分の力ではとても、苦しみから逃れることが
出来ずに、長い間、迷い続けてきた世界から、
この度はじめて救われるという喜びです。

親鸞聖人がお勧めいただく通りに、
南無阿弥陀仏を口にして、希望が一杯で、
生き甲斐ある、充実した人生を歩ませて
いただきたいものです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、三月六日に新しい内容に変わります。

 

          

本願寺・りビング法話へ