第442回 第一発見者

 
平成13年 7月12日〜

妙念寺電話サービスお電話いただきありがとうございます。

「お念仏の教えが嘘いつわりでないのは何故ですか」と
聞かれたら、「それは『大無量寿経』に説かれてあるからです」と、
答えるのが普通だと思います。


釈尊が説かれた弥陀の本願であり、お釈迦さまのような
偉大な方が説かれているのだから、阿弥陀さまのお助けは、
嘘であるはずがないと答えるのが、普通の考え方だと思います。


自力聖道門では、そういう立場だと思います。
仏法の真理の源泉を釈尊のお悟りというものに見出すわけです。



 ところが、歎異抄という親鸞聖人のお言葉を記録した
お聖教の中には、お釈迦さまよりももう一歩上流に
さかのぼっています。


釈尊が説かれた本願がまことである証拠は、それが釈尊の
説法だからではなくて、弥陀の本願そのものがまことだからだ、
と言うのです。


お釈迦さまが弥陀の本願を説くことが出来たのは、弥陀の
本願がもとからあるからだ。


というのが親鸞聖人の独創的な考え方です。

弥陀の本願という永遠のまことが、歴史的時間の中での
釈尊の説法をまことたらしめているということです。


言いかえますと、釈尊は弥陀の本願の考案者ではなくて、
発見者なのです。


釈尊が歴史上に出現される以前から、生きとしいける
ものの命はみな、弥陀の本願によって生かされていたのに、
誰ひとりこれに気づかなかったわけです。


それを釈尊が初めて発見して下さったのです。
広大無辺な弥陀の本願の第一発見者たるところに、
何ものにも変えがたい釈尊の偉大さがあります。


もしも釈尊がお説き下さらなかったら、われわれが
阿弥陀さまに助けていただくことなど、今でも分から
なかったことでしょう。


しかし、その釈尊をして弥陀の本願について説法せしめた
ところのものは、まさしく弥陀の本願それ自身なのです。
ここに、親鸞聖人の浄土真宗の真の面目があると思います。


そうしますと、お念仏の道とは、弥陀の本願という
広大無辺な宇宙法則に従うことだといえるでしょう。


一切の衆生を仏にするという堂々たる宇宙の法則があるのです。

この弥陀の大法則にまかせる衆生はことごとく、ひとりでに
お浄土に生まれてしまうのです。


われわれ小さな自分のはからいを捨てて、南无阿弥陀仏の
大法則に従えば、自然にお浄土に往き、仏になってしまうのです。


弥陀の本願によって救われるのは、人類だけではなく、
他の異類もふくめた十方衆生はみな本願の内に収まっているのです。


妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。
次回は、7月19日に新しい内容に変わります。


    浄土真宗教学研究所所長
    大阪大学名誉教授    大峯顯師
       「念仏と宇宙の法則」の抜粋
      
一味2001夏の号(bU84)より

   

          

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