第351回 ラストシーンは決まっています

 

        平成11年10月14日〜20日

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございます。
さて、皆さんはテレビドラマをご覧になっていて、
二つのタイプがあることに気づかれませんか。

一つは、どうゆうふうに話が進むのか、ハラハラドキドキ
しながら見るものと、結末はちゃんとわかっているのに、
ついつい見てしまうものとあることです。

刑事コロンボも、古畑任三郎も、水戸黄門も、大河ドラマも
みんな結末を知っています。
今年の大河ドラマは、12月には吉良家に討ち入ることを
知っていながら、一年間見ています。



一方、結末がわからないドラマは、ハラハラドキドキして
見ていて、とても疲れてしまいます。

何故このようなことを言うかといえば、お念仏の人の
ラストシーンは、ちゃんと分かっているのです。

これから、どんな苦しいことが起ころうと、どんなに
楽しいことが待っていようが、どんな悲しいことが
起こっても。
どんなに財産を残しても、残すものが何にもなくとも、
間違いなく仏に成らせていただくのです。

しかし、仏になるまでの、命のある間は、波乱万丈。
自分で作った原因は、自分で受け取らねばならない。
喜びも悲しみも苦しみも、みんな自分で作った原因
だから、逃れることは出来ないのです。

しかし、最後は、必ず仏になって、すべての人を救う
働きをするのだから、何の心配もいらないのです。

 南无阿弥陀仏は、肉体のある間だけの いのち 
しかないと思っている私に、限りない仏の いのちを
いただいた私だったと、呼びさまされる呼び声。

南无阿弥陀仏は、このいのちは、私一人だけのものでは
ないことを。
南无阿弥陀仏は、このいのちは、仏になるために与え
られたことを、そして、すでに仏になる仲間であることを。
南无阿弥陀仏は、このいのちは、いのち終われば必ず
仏となり、あらゆるいのちを救う働きをするのだと味わった
ときに、将来の不安も消えて、私の生活は、大きく変化
するものと思います。

自分中心で、今さえ良ければいいと空しい生活を送って
いますが、南无阿弥陀仏を聞くとき、私の人生は、仏になる
仲間として、積極的に変わってくるのであります。

大河ドラマの主人公のように、変化の多い、苦難い満ちた
ドラマチックな人生を楽しみながら、必ず仏としての働きをする、
いのちであることをかみしめて、この人生を南无阿弥陀仏
とともにしっかりと、味わいたいものです。

妙念寺電話サービス、お電話ありがとうございました。
次回は、10月21日に新しい内容に変わります。