江田島の遺書

妙念寺電話サービスお電話ありがとうございました。

本願寺から 「 大乗 」 という月刊雑誌が発行されていますが、

その随想に、こんな文章がありました。


広島のお寺の住職で、大学教授の海谷則之(うみたに のりゆき)

さんの文章です。


終戦の直前に江田島の海軍兵学校を卒業した

二人の先生と江田島を訪ねられた時の思い出です。

江田島にある自衛隊の展示室には、

現在、多くの展示品がありますが、その中で

釘付けになったのは、毛筆でかかれた一通の遺書だったといいます。


22歳で沖縄周辺で特別航空隊として戦死された

山下久夫少尉のものでした。



出陣前、お母さん宛に書かれた遺書は、力のこもった筆跡で、

死の決意と家族への熱い思いが伝わって来ます。

 

拝啓 御母上様にもその後益々ご健勝の由、

久夫心よりお慶び申し上げます。

久夫も選ばれて出陣せんとし、

御母上に最後の筆を執って居ります。(中略)

戦死のときは母上より戴いたマフラと本願寺で戴いた数珠、

また祖母様の数珠と坂本の賜る千人針と照一の写真とを、

肌につけて征きます。

母上様も久夫亡き後はご無理なさらぬ様、

又御父上様にも充分御健康に留意される様申し上げられ、

安らかな老後をお送りください。

永久に母上の御下に久夫はお念仏を称えつつ仕えさせて戴きます。


(中略)

お母上様お念仏を申してお別れします。

お念仏は母上と思って参った私、お母上も久夫のことを

思い下さるときお称えください。

皆様にも宜しく。南無阿弥陀仏 頓首再拝(とんしゅさいはい)

  御母上様




 

幼いころからの慈しみに対してさまざまな思いが去来したことでしょう。

文面から、篤信(とくしん)なご家庭であることがうかがえます。

自分の亡きあと、どうぞ阿弥陀様のお慈悲をよろこび、

安らかな一日一日を送ってくれるように、と願っておられるのです。


そして、自分は死んだらお浄土に参らせていただき、

その後はお母さんの元にずっと仕えさせてさせて戴きます。

だから、どうぞお念仏をよろこんで下さいと。

これはまさに還相廻向のこころであります。


私はこのとき蓮如上人の御歌

  恋しくば 南無阿弥陀仏を称ふべし

     われも六字のうちにこそ住め

 を思い出しました。


そしてとくに感動したのは、

「 お念仏は母上と思って参った私 」 という最後の言葉です。

お念仏をお母さんだというのです。

幼いときから目にした。み仏さまに手を合わせ念仏

申しておられたお母さんのお姿がいつも、息子の久夫さんの

胸にあったのでしょう。


だから 「 ナンマンダブ 」 と聞くと、すぐにお母さんのことが思い浮かび、

「 大安慰 」 ( 阿弥陀様の大きな安らぎの世界 )が

開かれたのだと思います。

ご法義を大切にするご家庭であったからこそ、

こんな素晴らしい 「 倶会一処 」 の世界をよろこぶ

言葉が出てきたものと、家庭教育の大切さを再認識いたしました。

 

広島の海谷則之さんの文章をご紹介しました。

妙念寺電話サービス次回は、5月14日に新しい内容に変わります。

 

                         ( 平成10年 5月 7日〜 第276回 )