如来と等しい位でも
 
妙念寺電話サービスです。お電話ありがとうございます。
1月16日は、親鸞聖人がご往生なさったご正忌です。
今から740年程前の1262年の11月28日、太陽暦に直すと
1月16日に、90歳の波乱多い人生を終わられました。
 
1月16日は、親鸞聖人のご命日にあたり、この私が、お念仏に
合わせていただいたお礼申し上げる日です。
700年前の親鸞聖人が、なんと90歳までご存命であったことは、
当時としても、大変な長寿でありましょう。
 
しかし、そのご一生は、平穏なことばかりではなく、

並々ならぬご苦労の上、私たちにお念仏の教えを

伝えてくださいました。
 
 親鸞聖人が勧めていただく、この念仏の教えに出会えなければ、
今この瞬間、こころの中は、怒りで一杯、腹立ちで一杯、妬みそねみに
苦しむ毎日であったはずです。
 
お念仏に出会い、お念仏の生活をさせていただくお陰で、
平穏な毎日を送らせていただいています。
 
もしお念仏に出会えなければ、地獄やガキや畜生や修羅のような
苦しい苦しい毎日であったことでしょう。
 
とはいえ、時には、腹立たしいこともありましょう、悔しいことも
ありましょうが、それも、お念仏を聞くことで、段々とおさまってきます。
 
お念仏に出会ったお陰で、やがて、苦しみが消え、恨みやつらさも
おさまってくるのです。 
 
ところで、親鸞聖人のお姿を書き写したものが現在に残っていますが、
そのどれを拝見しても、とても厳しい表情をされています。
 
お念仏の教えに出会い、お念仏を喜ばれた方が、またどうして
あんなに厳しい表情なのか、疑問に思います。
 
しかし、よくよく考えると、お念仏の教えに出会い正定聚の
位にありながら、如来と等しい位にありながら、
とても阿弥陀様のように、還相の菩薩のように、
すべての人びとの悩み苦しみを取り除くために、
何の行動も出来ない自分が見えてきます。
 
生身の体を持つ間は、とても末とおった行動は出来ないものです。
阿弥陀如来の大慈悲を深く味われた親鸞聖人は、
報恩感謝が出来ない自分をとても厳しく見つめられたのではないでしょうか。

 私たちは、ちょっといいことをすれば、それで十分だと思っていますが、
阿弥陀如来のお慈悲を味わえれば、味あえるほど、無力な自分が、
ただ恵みを受けるばかりで、報恩の出来ない自分が見えてくるのだと思います。
親鸞聖人があのように厳しい表情になっておられるのでは、
そのせいではないかと、味わえてきます。
 
 妙念寺のご正忌報恩講は、1月の14日と15日午後1時半からです。
お忙しいでしょうが、是非参拝ください。
そして、小さな喜びではなく大きな本当の喜びを受け取って

いただきたいと、思います。
この電話サービスは、1月15日に新しい内容に変わります。
お電話ありがとうございました。
 
 
 
                            ( 平成 10年 1月 8日〜  第259回 )