自分の中の父
 
妙念寺電話サービス、お電話ありがとうございました。
 
小説家の井上靖さんの随筆にこんなところがありました。
 
父は八十一歳の高齢で亡くなった。
郷里の人などが訪ねて来ると、父を喪って淋しいだろうという
ようなことをきかれることがある。
 
そうした時、私は淋しくはないが、しかし、父というものは
いつまでも生きていて貰わねばならなかったと思いますね、
というように答える。
 
実際に、そのように思うからである。
そうした思いは、父の死から日が経つにつれて、
だんだん烈しくなって来る。
 
父の死に依って教わったことがある。
それは、父が亡くなると同時に、父は私の中にはいり込んで
生き出したということである。
 
父の生きている時は、少しも感じなかったが、父に死なれてから、
私は自分の中にいる父を感じ始めたのである。
 
縁側から庭へ降りる時など、ああ自分は父の降り方を
しているなと思う。             
 
新聞を取り上げる時なども、父と同じ取り上げ方をしていると思う。
 
縁側の籐椅子に腰かけてぼんやりとしている時など、
ああ、これでは父とまるで同じではないか、父もこうしていつまでも
雑木の葉っぱを眺めていたのではないか。そんなことを思う。
 
父が生きている時は、私は父とは少しも似ていないと思っていた。
 
人もそう言うし、自分もそう信じていた。
併し、父が亡くなったとたんから、私は自分の中に父が
入り込んでいて、それが時々顔を出すのを感ずる。
 
 
このように自分の中に父を意識し始めるということは、
父を理解し始めることに他ならない。
 
私は自分が父を少しも理解していなかったことに気付き、
それを悲しく思うことがある。
 
こうした意味では、父というものは、自分が死ぬことに依って
子供に理解され始めるものであるかも知れない。
 
こうした不幸さは父の方が、より多く持っているであろうと思う。
井上靖さんのこうした文章ですが、
 
人は、特別のことが起こると、それまで気づかなかったことを
気づくものでしょう。
 
井上靖さんの文章は、大事な人と別れることで、本当のことが
見えて来たということ。
 
私たちも、病気をしたときとか、ふと年老いたことを感じたとき、
それまで気づかなかったことに気づき、当たり前のことが
当たり前でなくなり、それまでよりも、もっと増して、
すばらしい人生を感じていくことでしょう。
 
お念仏は、平凡な人生をより豊かにしてくれるもの、
いつもの身近な風景や、人びととの関係が、念仏に出会い、
南無阿弥陀仏の生活を始めることによって、大きく変化して
来るのだと思います。
 
還相の廻向の働きの一つは、こうした発見によって味わえるのでは
ないでしょうか。
お念仏で、もっともっと豊かな人生をお送りください。
妙念寺電話サービス、次回は11月27日に新しいないように変わります。
                          ( 平成 9年11月20日〜 第252回 )
 
 
父の死に依って、私は二つのことを教わった。  一つは父が、私と死の間に一枚の屏風として立っていたということである。父が生きている時は、私は父でさえまだ生きているのだからといい気持ちで、勿論この気持ちは意識されたものではないが、恐らくそうした気持ちが心のどこかにあったことに依って、私は自分の死というようなものは考えたことはなかった。併し、父に死なれてみると、死と自分との間にふいに風通しがよくなり、すっかり見晴らしがきいて来る。次は自分だというような気持ちで、遥か前方に死の海面の一部が望まれて来る。これは父に死なれて初めて知ったことである。
 私は父というものが、生きているというだけで、子供を立派にかばってくれているということに遅ればせながら気付いた次第である。父に世話になろうがなるまいが、たとえ小さい時棄てられたとしても、それでもなお、子供は父というものにかばわれているのである。しかしこれは父の方ではいっこうに知らないことである。私はこうしたことが、父が生きているということの意味であると思う。ここには人間的なはからいも、親子の問題も何もない。そうしたこととは別に、父という一個の人間と、子供という一個の人間が、父と子である、という関係から生み出されて来る一番純粋な意味である。
 私の場合、父は亡くなったが、母はまだ健在である。来年八十歳になるが、なお矍鑠としている。一枚の屏風は失われたが、まだ一枚の屏風が私をかばってくれているわけである。有り難いことだと思う。