三毒段の世界
 
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親鸞聖人が、真実のお経と言われる仏説無量寿経の後半に、
三毒段と言われる所があります。
 
お釈迦様が弥勒菩薩や天人などに浄土は、
往き易くして、しかも往く人はないと、
貧欲、瞋恚、愚痴の三毒を戒めておられるところです。
 
その最初の部分を現代語訳で、読みますと。
 
世間の人々はまことに浅はかであって、
みな急がなくてもよいことを争いあっており、
この激しい悪と苦の中であくせくと働き、
それによってやっと生計を立てているに過ぎない。
 
身分の高いものも低いものも、貧しいものも富めるものも、
老若男女を問わず、みな金銭のことで悩んでいる。
 
それがあろうがなかろうが、憂え悩むことには変わりなく、
あれこれと嘆き苦しみ、後先のことをいろいろと心配し、
いつも欲のためにおいまわされて、
少しも安らかなときがないのである。
 
 田があれば田に悩み、家があれば家に悩む、
牛や馬などの家畜類や使用人、また金銭や衣食、
日常の品々に至るまで、あればあるで憂え悩む。
それらのものについて、とにかく心配し、
何度もため息をついて嘆き恐れるのである。
 
思いがけない水害や火災や盗難などにあい、
あるいは恨みを持つものや借りのある相手などに奪い取られ、
たちまちそれらがなくなってしまうと、
激しい憂いを生じて取り乱し、心の落ちつくときがない。
怒りを胸にいだいて、いつまでも悩み続け、
心を固く閉ざして気の晴れることがない。
 
 
 
 
また災難にあって自分の命を失うようなことがあれば、
すべてのものを残して、ただひとりこの世を去るのであって、
何も持っていくことはできない。
 
身分の高いものや富めるものでも、やはりこういう憂いがある。
その悩みや心配は実にさまざまである。
そしてただ苦しみ悩むばかりで、痛ましい生活を続けている。
と、あります。
 
この、三毒段を読んでいると、私たちの毎日がいかに、
煩悩に引きづられた生活をしているのかが、うなずけます。
 
存覚上人が、お書きになったものを見ると。
三毒といふは、貧欲・瞋恚・愚痴なり、貧欲といふはいろに著し、
たからにふけるこころなり。
 
瞋恚といふは、いかりをなし、はらをたつるこころなり。
 
愚痴といふは、無明におほわれ、正理にまどひたるこころなり。
 
貧欲を生じ瞋恚をおこすことも、そのみなもとをいへば、
みな愚痴よりいでたり。
とあります。
 
こうした煩悩一杯の私たちを、念仏一つで救おうという、
阿弥陀如来の願いを確かに聞いて、報恩のお念仏の生活を
したいものです。妙念寺電話サービス、
次回は、5月29日に新しい内容に変わります。
 
                        ( 平成 9年 5月22日〜 第226回 )

                  

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