第1209回 心田を耕す

平成28年3月 31日〜

 あるお経(『雑阿含経』第四巻(九八)につぎの
ようなお話がのっております。

お釈迦さまが、托鉢を行っておられたときのことです。

ひとりの男がお釈迦さまにむかって、こういいました。

「修行者よ、私は田を耕し、種をまいて食を得ている。
あなたも自分で耕し、食を得てはどうか 」すると、
お釈迦さまは「私も耕し、種をまいている」と答えられました。

 それを聞いて男はおどろき、またお釈迦さまにたずねました。
「しかし、私たちはだれも、あなたが田を耕したり、種を
まいたりしているのを見たものがいません。あなたの鋤は

どこにあるのですか。牛はどこにいるのですか。
どんな種をまくのですか」

 すると、お釈迦さまは、
「私は、私のこころの田を耕しているのです」と、
答えられたといいます。

 生きてゆくためには、食べ物がなければなりません。
道具もお金も必要です。道具やお金を得るために、私たちは
田を耕し働いています。しかし、私たちにはそのほかにも、
耕さなければならないものがあるはずです。
それは「こころ」です。

こころを耕すことは、形がなく目に見えないので、とかく
おろそかにされがちですが、私たちにとって、何よりも
大切なことではないでしょうか。

 最近の科学や技術の進歩は、すばらしいものです。
おかげで、私たちの生活は便利になりました。
では、幸せになったかというと、必ずしもそうではありません。
多くの新しい機械にかこまれ、余計にあくせくしなければ
ならなくなったのも事実です。

 こんにちの日本は、物質的にも経済的にも、本当に豊かに
なりました。しかし、反面、こころの荒廃をもたらしたのでは
ないでしょうか。
財産があるがゆえに、争いが生ずることもしばしばです。
それは、「こころの田」を耕すことを、忘れているからでしょう。

物の値打ちをつくりだすのは、こころであること、こころは耕さずに
放っておくと、荒れるものであることに気づかなければなりません。
仏法を聞いて、こころを耕したいものです。

                  朗読法話集 第一集 より

         


           私も一言(伝言板)