牛津FCむかしむかし
牛津FCは昭和51年に発足しました。というか発足したそうです。当時のことを、牛津FC出身である南里徹コーチにお聞きしました。
「当時は部員が全体で40人ぐらいでした。コーチは学校の先生で、片淵先生と平野先生という方でした。練習は毎日行われていて、朝練習が7:30から、そして放課後の練習は日暮れまで行われていました。朝練習はリフティングでグラウンドを往復する練習でした。とにかくお盆の3日間とお正月の3日間以外は毎日練習をしていました。夏休みは、午前中は練習で、午後は水泳をしていました。もちろん練習中に水分を摂ることは禁止でした。また当時、佐賀県全体の小学校のサッカーのチーム数は21チームぐらいで(現在は80チーム弱)、その中でベスト4ぐらいの実力でした。」
南里コーチにお話を伺い、私も自分の小学校の頃(鹿島市の浜少年)を思い出していました。特に、「水分を摂ることは禁止でした。」というところは一緒だったなあ、と懐かしさで一杯になりました。
その後、西岡さん(地域の方)という方と水田先生(教員)がご指導され、そして、小城郡のサッカーの重鎮である内川コーチもスタッフに加わりました。内川コーチは以前小城黄城少年(現在の小城FC)の監督をされていて、当時何度も県で優勝されています。内川コーチが牛津の指導に入っていただいたことは、大きなプラスでした。
その後、森永さん(地域の方)という方と内川コーチの2人体制となり、そこへ南先生(教員)、山田先生(教員)、新(あらた)先生(教員)がスタッフに加わりました。3人とも牛津小学校の先生で、基礎からしっかりと指導されるすばらしい先生方でした。特に新先生は、牛津小から岩松小へ異動されてからもサッカーのご指導をされ、牛津の好敵手として互いに切磋琢磨し合いました。
そして、野中先生(教員)が加わりました。野中先生は現在諸富SSCアミーゴの指導者で、県サッカー協会小学部会の会長をされています。チームを「牛津FCロッソ」「牛津FCリベルタ」と名付けられたのもこの野中先生です。この野中先生が私をこの道に導いてくださいました。
野中先生は、比較的ディフェンス面からチームを作り上げる方でした。そして、ゲーム中は選手に一切指示を出さず、静かにゲームの行方を見守るスタイルでした。練習も子どもにわかりやすい言葉を使って丁寧に指導されていました。もちろん結果もすばらしく、県大会で何度も優勝され、全国大会へも出場されています。今でも諸富と試合をした時は、牛津のチームについて、野中先生がお気づきになったことをアドバイスしていただいています。
平成6年、野中先生、南先生、新先生、そして内川コーチというそうそうたるメンバーが牛津FCの指導をされている時に、大園がその仲間入りをさせていただきました。
きっかけは、平成4年、牛津小の5年生を担任していた時に体育の時間でサッカーの授業をしていましたが、その時のクラスの女子がサッカー大好きになってしまって、「女子のサッカー部を作ってください!」ということになりました。社会体育としてサッカーをやるのはいいけど、サッカー部となると本格的にやらないと、とか、場所や用具をどうしようかなあ、と悩んでいました。そこで、野中先生に相談したところ、「サッカー部と一緒にやろう!」とおっしゃっていただいたので、平成5年、晴れて牛津FC女子部が誕生しました。
当時は県の女子サッカーも盛んではなかったのですが、小城中の女子チームや牛津FCの選手(男子)と練習試合を繰り返して力をつけていきました。卒業前に当時佐賀県で一番強かった鹿島サニーガールズと対戦し、1-1の引き分けで有終の美を飾った思い出があります。
その女子部が卒業した後、野中先生から、「FCの男ば見てくれん?」と言われ、一年間お世話になったお礼に、と平成6年、正式に牛津FCの指導者となりました。最初に指導させていただいたのは4年生。実はこの学年の子どもたちが来年1月に成人式を迎える子どもたちでした。
当初は自分の経験だけのつたない指導で、子どもたちに良い練習を提供できていませんでした。いつも、これからどんな練習をしたら良いのだろう、と行き詰まっていました。レベルアップを図るためには、やはり指導者が学ばなくてはなりません。野中先生や他チームの指導者にも尋ねたり、JFA(日本サッカー協会)の機関誌を読んだり、書店にある技術書を買ったりして学んでいきました。そんな四苦八苦している指導者をカバーするかのように子ども達はがんばって新人戦県3位という成績を残しました。
平成7年度の牛津FC5年生は頼りない監督の私を引っ張っていってくれました。秋に行われる初めての公式戦「佐賀県学童オリンピック大会」では小城多久地区予選1位の快進撃で県大会に出場しました。1回戦は山代少年(現FCエスペランサ)に4-2、2回戦は嬉野少年に3-1とあれよあれよとベスト4まで進みました。準決勝は鹿島JSC。前半は0-0でしたが、後半立て続けに3点取られ結局0-3で破れました。この日の前日、GKが練習中に骨折するアクシデントがあり、落ち着いて戦えなかったことが敗因でした。つくづくサッカーはメンタルなスポーツだと思いました。
しかし、この大会ベスト4。そして、初夏の全日本予選は県大会準々決勝で鳥栖フューチャーズジュニアにPK負けでベスト8。夏のさわやか杯県大会では全日本予選で敗れた鳥栖フューチャーズジュニアに1-0でリベンジしましたが、準々決勝で唐津少年に0-2で破れベスト8。秋の全日本フットサル予選(5人制サッカー)では、県大会ベスト4.そして最後の大会、冬の佐賀新聞社杯県少年サッカー選手権大会では、県大会準々決勝で唐津FCに終了間際に決勝点を入れられベスト8でした。しかしながら、公式戦すべてに県大会に出場し、ベスト8以上の成績を残せました。ダメな監督を支え、県大会に連れて行ってくれたこの子どもたちに今でも感謝しています。しかしこの子達も今年成人式でした。この子達が5、6年生の時に担任をさせていただいたので成人式には私も出席させていただきました。成長した希望あふれる皆の顔を見て感動しました。この子達が将来、牛津FCの指導者として戻ってきてくれることを期待せずにはおられませんでした。
この平成8年、野中先生のご異動で指導者は私と内川コーチの二人になりました。当時の6年生は一学年で32人いましたので、ロッソとリベルタの2チーム編成でした。ロッソが大園、リベルタが内川コーチでしたので、5年生以下の指導者が手薄です。そこで、牛津小の先生であった西村先生に5年生以下の指導をお願いしました。西村先生は牛津小赴任前に東与賀少年をご指導されていましたので、実績のある指導者がFCに入っていただいたことは大きなプラスでした。おかげで6年生に集中して練習することができ、前回も書きましたが輝かしい成績を残すことができました。
しかし、平成9年度の始めに大園が異動(佐賀県立ろう学校)となり、新たな指導者の必要性が出てまいりました。牛津小にいてFCを指導するのと、そうでないのとでは、練習時間等十分な時間が取れずとても不便です。困っている時に元同僚の先生から、「今度牛津小に来られた先生がサッカーの経験者らしいよ。」と教えていただいたので、これはチャンス!だと思い、アポを取ってお話し合いをし、快く引き受けていただきました。この方がみなさん御存知の松瀬先生です。先生のおかげで、仕事を終えてから慌てず安心して練習に行くことができました。またこの年もう一人、社会人サッカーで活躍されていた梅崎コーチ(6年生の指導をしていただいた)にもFCに参加していただきました。
平成9年は、ロッソ監督が西村先生、同コーチを梅崎コーチ、リベルタ及び5年生監督を大園、4年生以下を内川コーチと松瀬先生にお願いしました。この年の6年生は24名だったので、ロッソを16名、リベルタを8名プラス5年生8名として公式戦に臨みました。この年は惜しくも県大会に進むことはできませんでしたが、一年を通して選手が真面目にしっかりとサッカーに取り組んでいました。
この年の途中から、私が担当していた5年生が学童オリンピックを控えており、指導者も2人体制が良いだろうという判断で、同学年の選手の保護者の方にコーチに依頼しました。この方が今の上瀧コーチです。上瀧コーチはこの学年が4年生の時から保護者としてサポートしていただいていました。もちろん経験者ということで、サッカーに関することもアドバイスしていただいていました。この5年生のキャプテンは中山咲希さんのお兄さん、昨年末の親子サッカーでさわやかな風のようにお母さんチームで活躍してくれた中山大貴くんでした。
学童オリンピックは小城多久地区3位となり、鳥栖三神地区の3位チーム三田川少年と県大会出場をかけて代表決定戦を行いましたが2-3で敗れました。でもこの学年は、5年生当初負け続けで、小城多久地区で牛津が勝てるチームはありませんでした。しかし、子どもたちの努力と真剣さでこの位置まで向上しました。この決定戦の負けで、次年度は必ず良い結果を出すぞ、と気合いを入れました。
平成10年は、ロッソ監督が大園、同コーチに上瀧コーチ、リベルタ(5年生)監督を松瀬先生、4年生以下を内川コーチにお願いしました。そして新しい指導者として5年生が学童オリンピックを控えている理由で陣内コーチにスタッフに入っていただきました。ちょうど息子さんが同学年の選手であり、ご本人もサッカー経験者であり、少年 サッカーの指導に理解のある方だったのでお願いしました。
この時のロッソは5年生時に「学童オリンピック大会」県大会に出場できなかったがゆえに、シード権がなかったので、各大会で予選を突破することがとても難しかったです。
「全日本少年サッカー大会」予選は、この時県3位のFC伊万里ファイターズのパートで、伊万里と川副に敗れ2勝2敗のパート3位で予選突破がなりませんでした。「さわやか杯」では、この時県準優勝の小城黄城少年(現小城FC)のパートで、パート代表決定戦で小城に敗れ、これも予選突破なりませんでした。しかし、秋のフットサル大会(5人制の室内サッカー大会。学童オリンピック大会同様各地区予選が行われ、各地区3~4位までが県大会に出場。県大会優勝チームは東京で行われる全国大会へ出場。現在も県では行われているが、小城多久地区は天山リーグと重なるため不参加)では、小城多久地区1位となり、県大会でも3位となったので、自信を持って最後の「県少年サッカー選手権大会」に臨みました。
平成10年度の「県少年サッカー選手権大会」予選はコンディションとの戦いでした。この大会は冬の大会なので、どこのチームも風邪等の病気との戦いとなります。ですから、選手のコンディションを整えることも大切ですが、サブのメンバーのレベルアップも必要となってきます。いわばチームの総合力で戦うこの最後の大会。
我が牛津FCロッソも風邪で予選に出られない選手がいましたが、サブの選手が見事に期待に応えてくれて、チーム力がダウンすることなく戦うことができました。
我がチームは諸富SSCアミーゴのパートで、FC巨勢に6-0、北茂安少年に4-1、多久東部少年に11-1と3勝し、勝ち点9となりました。シードである諸富は2勝1分で勝ち点7。最後の諸富戦は引き分けでも良かったのですが、全勝して弾みをつけて県大会に行きたかったので、「絶対勝つぞ!」と選手達に気合いを入れました。
また、この試合勝ちたかったのは、元牛津FC指導者であった野中先生が諸富の指導者であったからです。お世話になった先生に勝って恩返しがしたい、そう思っていました。ですから、必要以上に気合いが入っていました。
試合は牛津がミドルシュートとヘディングで2点先制しましたが、1点返された後は防戦一方でした。しかし、牛津のFWの選手がハーフラインあたりからスピードにのったドリブルで駆け上がりシュート。見事ゴールで3点目。最後に咲希さんのお兄さん、大貴くんが決めて4点目。4-1で諸富を破り、この年度初めての県大会出場が決まりました。選手達は大喜び。一緒にがんばってきた上瀧コーチも感動されていました。でも勝てたのは、この日昼食で食べた、お母さん達作成の愛情一杯の渾身のカレーライスのおかげだったのかもしれません。
これで悲願の予選突破。いよいよ県大会です。県大会1回戦では、岩松少年に1-0で勝ちましたが、2回戦の川副町少年に2-3で敗れました。しかし、県ベスト8。最後の大会で選手達から感動をもらいました。
平成11年度は、ロッソ監督を松瀬先生。コーチを陣内コーチ。リベルタ(5年生)と4年生を内川コーチと上瀧コーチ、3年生を大園という体制で臨みました。この年は県大会には惜しくも進めませんでしたが、子どもたち同士、保護者同士のまとまりがよく、大会を重ねるごとに団結力が高まっていった素晴らしい学年でした。さすが松瀬先生だなあと感心していました。
平成12年度は、ロッソ監督を内川コーチ。5、6年生のコーチを上瀧コーチ、松瀬先生、陣内コーチ。3、4年生を大園という体制でした。この年は5、6年生が少なく、4年生も合わせてロッソを編成しました。この年は異年齢集団ではありましたが、子どもたちは一致団結して勝利を目指して戦いました。各公式戦予選でもシードチームを何度も追いつめることができました。内川監督の、ゲームでの選手の見方、選手起用の仕方がとても参考になりました。
平成13年度は牛津FCが進化した年でした。新たに1、2年生の募集を開始し、総勢約100名の部員という大所帯となりました。指導者も充実し、新たに南里隆コーチ(現4年生監督!)、栗原コーチ、渡島コーチに参加してもらいました。ということで、ロッソ監督を松瀬先生、コーチを栗原コーチ、5年生の監督を大園、コーチを南里隆コーチと渡島コーチ、4年生を陣内コーチ、3年生を内川コーチ、2年生を上瀧コーチ。1年生を南里隆コーチという体制でした。
この年のロッソは、5、6年合同チームということでしたが、全日本少年サッカー大会県ベスト16、さわやか杯県ベスト16、フットサル大会県ベスト4、県少年サッカー選手権大会県ベスト16と輝かしい成績を収めました。前年の学童オリンピック大会でも県ベスト16という成績で、公式戦では一度も予選敗退することなく全大会県大会に出場することができました。
印象に残っているのは、最後の県少年サッカー選手権大会予選での三日月少年戦でした。勝った方が県大会という大一番。この時の三日月少年の監督は、現牛津FCコーチの南里徹監督で、牛津FCロッソの監督は松瀬監督。実はこの二人、小城高校の一年先輩、後輩の間柄でした。試合は、前半、三日月少年の理にかなった怒濤の攻めで何度も牛津ゴールを脅かしました。しかしその攻撃を耐え凌いで牛津が先制。後半は一進一退の攻防が繰り広げられましたが、牛津が追加点。結局2-0で牛津が勝ち県大会出場を決めました。
ところで、この時の1年生こそ、今のかわいい4年生達でした。当時、南里隆コーチが、「アパッチ野球軍」(失礼!)と言われたほど、話を聞かない、砂遊びをする、勝手にけんかし始めるすごい集団でした。私はその姿がとても微笑ましかったのですが、南里隆コーチは大変だったことと思います(笑)。
この平成13年度は5年生も大活躍しました。この学年が4年生の時は、今の4年生が夏に準優勝した大会、「4年生交流サッカー大会」で、優勝しました。その1年後のこの年の秋、学童オリンピック大会が行われ、小城多久地区1位となり、県大会出場を決めました。
県大会1回戦はFCあかまつに5-0。2回戦は浜少年に3-2と勝ち進み、準決勝でヴァレンティアFCジュニアと対戦しましたが、前半点を取れる時に取れなかったことがひびき、0-3で敗れてしまいました。しかし堂々のベスト4。県3位です。
しかし、監督をさせていただいていた私は、優勝できると自信を持って試合に臨んだだけに、選手達に申し訳ない思いで一杯でした。とても悔しくて、その日の夜、頭を丸めて気合いを入れました。家族には大不評で、翌日の職場でも、「(人相が悪いので)あんまり外に出らんが良かよ。」と言われました。
この頃、南里隆コーチや渡島コーチから、「1年生、元気の良かですよ!」と報告を受けました。相変わらず、練習中いきなりけんかが始まったり、泣き叫んだりしていたようでしたが、「やっと人間らしくなってきました(笑)。」と報告を受け、思わず笑ってしまいました。
平成14年度は、ロッソ監督を大園、コーチを内川コーチ、リベルタ監督を陣内コーチ、4年生を松瀬先生、3年生を上瀧コーチ、2年生を南里隆コーチ、1年生を栗原コーチと渡島コーチという体制でした。
前年度の学童オリンピックで県3位になった選手達が6年生になりました。5月の全日本予選では危なげなく予選を勝ち進んだのですが、とんでもないアクシデントが発生しました。右のアタッカーであり、攻撃の要であった南里健太くん(監督のご子息)が練習中に骨折してしまいました。指導者である私の責任だったのですが、チームにとってとても痛すぎる戦線離脱でした。しかし、県大会は彼の分まで周りの選手ががんばり、学童オリンピック大会同様ベスト4まで勝ち進みました。この大会のベスト4からの試合会場は何と鳥栖スタジアム。選手達はスタジアムで試合できる喜びを感じながらの準決勝でしたが、惜しくも鹿島JSCに1-2で敗れてしまいました。
この後のさわやか杯は県ベスト8、最後の県少年サッカー選手権大会も県ベスト8と公式戦では優勝できませんでしたが、その他の大会では優勝もでき、輝かしい成績を収めることができました。
この冬から、週に1度、中学校の指導へ行かせていただいていますが、この学年の指導を中心に行っています。4年生同様、中学生もがんばって欲しいものです。
平成14年度は新しい指導者が加わりました。南里徹コーチです。牛津のコーチは他チームよりも多いのですが、平日の指導が可能な指導者が少なかったので、教職員である南里徹コーチをお迎えしました。南里徹コーチは私と同期同年齢で(どっちが若く見えますか?)、岩松少年、三日月少年と指導され、指導者歴は私よりも長い方です。丁寧で的確なコーチングが持ち味のコーチです。
平成13年度より、大園が学校現場より黒髪少年自然の家に勤務となり、土日の休みがなかなか取れなくなり、また職場が遠方でもありますので、平日の選手の指導にも支障を来していました。また、6年生ともなると大会、練習試合等増えてまいりますので、その土台となるトレーニングの質の向上が求められます。そこで信頼のおける南里徹さんにコーチ就任を依頼し、私が練習に行けない間6年生を見てもらうことを快諾していただきました。そのおかげで輝かしい成績を残すことができました。
平成15年度になりました。この年から平日の指導の充実ということで新しい指導者、松本先生が加わりました。松本先生はとにかく子ども大好き、サッカー大好きの先生で、その優しい人柄は以前から存じておりましたので、是非牛津FCへ、ということでご依頼したところ、二つ返事で快諾していただきました。
現在は低学年の指導でがんばっていただいていますが、他の指導者からも、その丁寧な語り口や指導ぶりに感嘆の声が上がっています。今後が大いに楽しみな指導者だなあと思っています。
さてこの年の指導体制は、ロッソが陣内監督、南里徹コーチ。リベルタが松瀬先生、栗原コーチ。4年生が上瀧コーチ、松本コーチ。3年生が南里隆コーチ、大園。2年生が内川コーチ。1年生が渡島コーチでした。この年のロッソも前年の学童オリンピックで 県ベスト16。全日本大会、さわやか杯もベスト16と良い成績を残しました。ディフェンスが固い良いチームでした。
さてこの年、今のかわいい選手達と出会いました。みんないい顔をしています。いきいきととてもいい顔です。
しかし、この選手達に最初に感じたのは、話を最後まできちんと聞くことができない、ということでした。私がみんなに話をしている途中で急に質問をしたり、その話について知っていることを大声で話し始めたりという状態であったので、話は最後まできちんと聞くこと、質問は最後にまとめてすることを教えました。それ以降、次第に子ども達は話を聞き方が上手になり、今では話を最後まできちんと聞けるようになりました。
サッカーの技術については比較的ボールを扱えてるなという印象でした。いろいろなボールの扱い方を教えるにつれ、その技術を身につけようと精一杯がんばる姿に頼もしささえ覚えました。