個人情報保護狂想曲−個人情報保護法の誤解と曲解、過剰反応

1.人違いによる射殺事件と個人情報保護法への過剰反応
 佐賀県武雄市のとある整形外科病院に入院中の患者が暴力団関係者と間違われて射殺された事件はまだ記憶に新しいところである。その病院には患者の氏名や年齢性別といった「個人情報」が書かれたベッドや病室のネームカードがなかったという。もちろん、この事件で非難され責任を問われるべきは、射殺した下手人であるが、悪人でも阿呆でもとりあえず字が読めれば自分が殺そうとねらっている人間とは全く別な人は殺さなかったのかもしれない。
 個人情報保護法に対する誤解や過剰反応によって、必要とされる個人情報の提供が行われなかったり、有用な名簿作成が中止されるといった不都合なことが多発しているらしい。高齢者や交通遺児の支援団体は、行政機関などから情報が入手しにくくなり、活動に支障が出ている。学校などの名簿がなくなったため、人と人との交流が減り、
人間関係が疎遠になった、との指摘も多い。

2.そもそも実際にこの法律を読んだ人がどれほどいるのか?
 「過剰反応」をしている人の多くは、誤解どころか
法律そのものを見たこともない人が多いのではないかと思う。「個人情報流失事件」の報道を聞いて、「これは大変」ということで、個人情報保護法とは「すべての個人情報を秘密にしなければペナルティーを課される」という法律だと短絡的に「理解」した結果の反応ではないだろうか。また、個人情報保護制度の導入を名目として個人情報の提供を拒む業者や団体、個人がいることも大きいのではないか。さらに悪質な例としては「個人情報の流失」をネタに脅迫や恐喝、嫌がらせなどを行う輩もいるらしい。日本新聞協会の意見書が個人情報保護法が派生する問題を的確に提示していると考えるので以下引用する。

社団法人日本新聞協会の意見書

 2005年4月に個人情報保護法が全面施行されて以来、個人情報の取扱いをめぐる過剰反応が大きな問題となっている。
 同法の目的は、個人情報の有用性に配慮しつつ、いかに保護していくかのバランスを取ることにある。しかし、現状では、「個人情報は隠すべきだ」との誤解がまん延し、社会活動のあらゆる分野において、深刻な委縮現象や混乱が目立っている。
 教育現場では、緊急連絡網の名簿作成をやめたり、卒業アルバムの住所や電話番号の掲載をやめたりする学校が相次いでいる。医療現場では、事件・事故の被害者の容体を警察に教えなかったり、高齢者の介護にあたる施設職員に必要な情報を開示しなかったりする病院が増えている。警察が事件・事故の被害者を匿名で発表するケースも少なくない。
 匿名化は地域社会の結びつきも弱めている。自治体の中には、守秘義務のある民生委員にさえ、独り暮らしの高齢者や障害者の情報を提供しなくなったところがある。災害時に支援が必要な防災弱者を守るための自治会の名簿作りも難しくなっている。
 さらに問題なのは、法律の拡大解釈ともいえる行政の情報非開示の動きである。従来は公表していた幹部の天下り先を伏せたり、不祥事を起こした職員の名前を公表しなかったり、幹部公務員の経歴を省略したりするケースが少なくない。当然公表すべき「公共の利害」に関する事項さえ、「個人情報の保護」を理由に情報の隠ぺいが進んでいる実態は、法律が想定した保護範囲を大きく逸脱するものといわざるを得ない。行政の透明性確保を目的とした情報公開法の趣旨にも反するものである。
 こうした過剰反応や意図的とも思える行政の情報非開示は全国的な傾向であり、法施行に伴う「一時的な混乱」などとして看過できるものでは、決してない。個人情報とプライバシーを混同し、「個人情報を出すのは良くない」とする誤った考えも、早急に改める必要がある。
 個人情報を適切に管理し、保護することは当然のことだ。しかし、本来、国民が知るべき情報や、地域社会で共有すべき情報まで隠すことは許されない。
 匿名化の流れは「知る権利」を脅かし、「表現の自由」や健全な民主主義社会の根幹を揺るがしかねない。そのことに対し、私たちは強い危機感を抱き、深く憂慮している。
 個人情報保護法成立にあたっての閣議決定では、全面施行後3年をめどに見直しを検討することにしている。過剰反応や意図的な情報隠しが進む中、個人情報の有用性と保護のバランスに配慮した制度の見直しが急務と考える。

以上

 実に良い意見だと思う。しかし、不思議なのは、筆者の知る限り、個人情報保護法の問題点に関する連載や、法の改正や廃止に向けてのキャンペーンをどこのマスコミもしたことはないことである。

3.法のもともとの趣旨は?
 さすがに最近では、国や地方公共団体なども「個人情報保護法の目的は、個人情報の有用性に配慮しつつ個人の権利利益を保護することであることから、この法律の趣旨にのっとり、個人情報の適正な取扱いが確保される必要があります。」などと言い出すようになった。

 元来、個人情報保護法の趣旨は、個人情報を利用する企業に一定の取扱い安全義務を負わせることであった。行政的にいうと、個人情報保護法は、個人情報の有用性に配慮しながら、個人の権利利益を保護することを目的としてる(第1条)から
個人情報の「保護」と「活用」のバランスを図ることが重要なのだそうである。しかし、「危ないからできる限り個人情報は収集しないようにしよう」という話もよく聞く。

4.取り締まりの対象は?
 さて、この法が取り締まっているのは、「個人情報取扱い事業者とみなされた事業者が、個人情報を漏らした場合や、主務大臣への報告義務等の適切な対処を行わなかった場合」である。当然、
一般の個人については原則として対象とはなっていない。5000人以下の情報しか扱わない団体なども法の対象外である。よって、通常の規模の自主防災組織や自治会は、名簿を作成する際に規制を受けない。また、人の生命や身体の保護に必要な場合などは、本人の同意なしで情報提供できるとの例外規定もある。例えば、家電製品の欠陥が発覚した場合、修理や回収を行うメーカーに販売店が顧客情報を提供することなどは認められる。今のように、公益的な活動を行う非営利団体への情報提供までが制限されている実態は、法の元来の目的からの大きな逸脱である。

5.よくありがちな法律の根本的な誤解
 個人情報保護法は「個人情報」の
「無断私用の禁止」や「隠匿義務」などとは規定していない。個人情報の利用について一々確認許可を取ることなどは現実的にありえない。友達を誰かに紹介するときに、一々「あなたのことを紹介してもいいですか」などと聞いてから紹介を始めなければならない世の中などありえないではないか。この法によって、個人情報の隠匿が、社会生活上の基本的な道徳や倫理であるかの如き言説が巷間よく見られるようになっていることは、人間関係の希薄化を招き社会崩壊の序章であると危惧する。

6.「プライバシー」に属する情報のみを規制対象にすべき
 日本新聞協会の意見書のいうとおり、「個人情報保護法はプライバシーに属するものだけを規制の対象として、それ以外の個人情報は一種の公共財としてむしろ積極的に流通させたほうがよい。」と思う。個人情報のうちの、病歴、預金額、負債額、前科、遺伝情報などプライバシーに属するものは厳重に保護し、プライバシーに属さない個人情報は公共の利益のために役立たせるべきだと考える。

さて、次の問題なのがプライバシーの概念である。
 アメリカのS.D.Warren&L.D.Brandeisが1890(明治23)年に発表した論文『The Right to Privacy』(プライバシーの権利)の中で
「the right to be let alone」(「そのままにしておかれる権利」)の尊重の必要性を初めて説いたことに始まるといわれている。
 このように、
プライバシー権とは、「みだりに自分の私生活を公開されない」権利であった。なお、プライバシー権が、名誉権と異なるところは、名誉権が社会的評価にかかわっているのに対し、プライバシー権は社会的評価とは無関係の私生活や私事に関することである。
 
その後、『プライバシー権とは自己情報をコントロールする権利』という考え方が定説化するようになった。これは、コロンビア大学のAlan F.Westin教授が1967年に著した『Privacy and Freedomプライバシーと自由』の中で『プライバシー権とは、個人、グループ又は組織が自己に関する情報を、何時どのように、またどの程度に他人に伝えるかを自ら決定できる権利である』と述べたことがきっかけとなっている。この定義は個人情報が過保護になっている原因の一つであるとの指摘がなされている。国際大学グローコム客員教授青柳武彦氏は以下のように述べている。筆者も全く同感である。
 「自己情報のコントロールは、プライバシーを守る「手段の一部」にすぎない。情報主体してはプライバシーに属する情報を何らかの形でコントロールしたいと考えるのは当然であるが、それを定義とするのは論理が逆転している。それに、範囲が広すぎるから過保護や萎縮効果をもたらす。何よりも自己情報をコントロールするなどということは、この高度に発達した情報化社会においては既に実現不可能になっている。」
 「筆者が提唱しているプライバシーの定義は、『不可侵私的領域の存在を主張し、そのような領域に属する事柄の決定や個人情報の処理について一定の関与をする権利』というものである。不可侵私的領域とは、(1) 私生活上の領域、(2) 一般人の感受性を基準として公開を欲しないと思われる領域、(3) 非公知の領域、及び(4) 公開によって当該私人が現実に不快や不安の念を覚る領域のことである。」
 青柳氏はプライバシーを限定して、氏名・性別・生年月日・住所などの個人識別情報と区別すべきだと主張している。個人情報保護法第2条の定義では個人情報を生存する個人を識別できる情報としてしている。例えば氏名、生年月日だけでも個人情報となる。このことにはたして意味があるのか。
 青柳氏は、
不可侵私的領域の情報と個人識別情報を「本人の意思に反して結びつける行為」こそプライバシー侵害であるという。
 「例えば、A町にBという名前の男が居住しているという個人情報、及び某ビデオレンタル店にアダルトビデオばかり頻繁に借りに来る男がいるという情報は、どちらも単独ではプライバシーとは全く関係がない。しかし、この二つの情報を本人の意思に反して結びつけて、『A町に居住するB氏はアダルトビデオ愛好者である』という情報をビデオレンタル店が外部に漏らせば重大なプライバシー侵害行為となる。」

7.過剰なプライバシーの主張は「砂」のような人間関係を作り出す
 そもそもプライバシーは、他者との交わりを拒否する概念である。情報開示や表現の自由の概念とも相いれず『協調、共働』の考え方とも対立する。
プライバシーの極端かつ強引な主張は、人々を、握りしめても握りしめてもまとまることのない乾いた砂のようにし、人と人の結びつきを否定する人間不信社会を作り出すと思う。

8.どうして個人情報保護法は誤った方向に運用されるに至ったか
 日本では、戦後プライバシーの権利が判例法上確立している。「みだりに私生活を公開されない」権利としてのプライバシー権を中核に据えて個人情報保護法案作成することも可能であったはずである。
 しかし、個人情報保護法は「個人情報」を、「生存する個人に関する情報であって、当該情報に含まれる氏名、生年月日その他の記述等により特定の個人を識別することができるもの(他の情報と容易に照合することができ、それにより特定の個人を識別することができることとなるものを含む。)をいう。」としている。「個人情報」をプライバシーの権利とは異なる概念として規定しているのである。
 この点については、岡村久道は、
 「プライバシーの権利は、本人の権利として認められるものであり、主として権利侵害が発生した場合の事後的な救済措置(差止め請求、損害賠償請求権等)としての機能を営んでいる。これに対し、個人情報保護法制は、主として個人情報の適正な取扱いに関するルールを定めることにより、行政機関による監督という方法によって実効性を担保しようとするものである。それゆえ、個人情報の取扱いについては、どちらか一方のみではなく、その双方が遵守されなければならない。」と指摘している。

9.個人情報保護法を盾に取る悪徳役人
 現在、個人情報保護法運用の現場においては、プライバシーの権利に対する配慮はなされず、
個人情報保護法だけを盾に取るような運用がなされている点に問題がある。そこで、悪知恵を働かせる行政機関は、個人情報保護法を盾に、天下り先や、不祥事を起こした職員の氏名、幹部公務員の経歴等を公表しないという対応をしている。
 この点について、プライバシーを中核に据えて「個人情報」という概念を規定しておけば、公務員が、国民に対する「奉仕者」であり(憲法15条2項)、国民が有している公務員の選定罷免権(同1項)を行使するために、公務員の適格性を判断するために必要な情報が主権者である国民にあまねく提供されなければならないという憲法原則からすれば、上記のごとき「情報」がプライバシーとして保護されることは本来ありえない。
 
行政機関側は、個人情報保護法の限界や欠陥を承知の上で、この法律を制定させ、この法律を盾に、これまで隠蔽することができなかった各種の都合の悪い情報についての隠蔽を正当化しようとしているのである。

10.個人情報保護法は抜本的に改正されるか廃止されるべき
 国民生活審議会の個人情報保護部会が過剰反応対策として、法の運用の改善などで対処するとの意見書を内閣府に提出し法改正は見送られた。法の周知徹底を図れば、必要な情報は提供されるし、過剰反応は一時より落ち着いてきたという判断かららしい。しかし、現実には、過剰反応は各方面に広がり、深刻な影響が生じている。本当に過剰反応は、現行法に対する誤解が原因なのだろうか。

 確かに、法に対する誤解は解く必要がある。政府は、法の内容に関する広報啓発活動に最大限の努力を傾け、必要な情報が円滑に提供されるようにしなければならない。しかし、そもそも法律が運用開始の時点から混乱するというのは、法律そのものに問題があるのではないか。何が過剰適用で何が適正な適用なのかが混乱するような法律のあり方こそに問題があると思う。また、
守れないような決まりは早晩なくなる運命にあるのは、米国の禁酒法の運命を見れば明らかであろう。



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