責任とは何か

 
HK大津放送局記者、笠松裕史容疑者(24)が滋賀県警と大阪府警の合同捜査本部に非現住建造物等放火未遂容疑で逮捕された。この事件を受け、橋本元一会長は、自らを含めた幹部4人の役員報酬を一部返上することを明らかにした。被害者、視聴者らに対する「見える形のおわび」だそうである。
 事件について、橋本会長は「基本的には記者個人に起因すると考えている」と、組織的な問題が背景にあったとの見方を否定した。原田放送総局長は「事件の背景になったかどうかは別として、本人の悩みにNHKとして十分なケアができたのか点検する必要がある」と語った。橋本会長は6日放送された広報番組で「報道に携わる者が重大な犯罪を引き起こしたとして逮捕されたことは、決して許されないことです。ざんきに堪えません。被害に遭われた方々や関係者の方々、視聴者の皆様に心からおわび申し上げます」と陳謝した。
 この事件に関し、当然のように、視聴者から「なぜこんな記者を雇ったのか」などといった、多数の批判や抗議があった。

 HKに限らず、組織や団体に所属する個人が犯罪や不祥事をやらかしたときに必ず出てくるのは「責任」である。まずは組織としての責任、ついで管理・監督責任である。そもそも「責任」とは何なのか。

 
任という言葉ほど多義的に使われる言葉も少ないと思うが、辞書を繙いてみると、
(大辞泉)@立場上当然負わなければならない任務や義務。A自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと。B法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担。主要なものに民事責任と刑事責任とがある。
(大辞林)@自分が引き受けて行わなければならない任務。義務。A自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負う義務や償い。B法律上の不利益または制裁を負わされること。狭義では、違法な行為をした者に対する法的な制裁。民事責任と刑事責任とがある。
「立場上当然負わなければならない任務や義務」という意味の責任は「自分のやるべき事をやる」、「自分の担当している仕事を行う」ということそのものを指し、他人からの非難、制裁を甘受するべきといった「責任」とは意味が違う。よって、管理・監督責任が属するのは、あとの二つの意味である。

 
般に、責任という言葉が、法律的責任という意味で使われるときには、法律上の不利益または制裁を負わされることを広くさしている。今回の事件で、法律的責任を負うべきは当然のことながら当該犯人のみであろう。これに異論のあるものはないであろう。自分がかかわった事柄や行為から生じた結果に対して負うべき責めという意味において、NHK会長は責任を負うべきか。当たり前だが、会長は事件を起こしたわけでも関わったわけでもない。科学的、合理的に因果を考えれば、なんぼ何でもそりゃ無理であり無茶だと思う。それでは組織としての責任はいかがか。「法人」も法的には人格を持つ。であるから、法人の法的責任を問うことがある。しかし、今回の事件を法人としてのNHKが起こした事件と捉えて法的不利益を負わせることはいくら何でもできないであろう。

 
織団体の構成員が犯罪や不祥事を起こすと、特にその組織や会社が大きくて名が売れていればいるほど、世の大衆やその劣情をあおりまくって部数を稼ぐマスコミは「責任者出てこい」と大合唱する。違法行為や不祥事を強制したり、示唆したり、あおったり、挑発したり罠にはめたりしてそういう行動に出る以外ないようにし向けたり、あるいは知って知らぬふりをして見過ごしたりしたというのなら当然、責めを負うべきである。また、業務上の事柄で、当然すべき指示をしなかったり、チェックを怠ったりした場合なら、責められて当然である。しかし、ただ単に、犯罪性向のあるものが組織に紛れ込んでいただけで、非難されたり、制裁を受けたりした日にはたまったものではない。毎日新聞の販売員に少女を虐殺するような「凶悪な変態」がたまたま存在していたと言うだけで世間は非難した。今回の抗議電話のように、「そんなヤツをなぜ雇ったんだ」という非難は多少理解できるところもあるが、まさか、そんな変態とは知らなかったであろうし、変態だって働いて飯を食ってもらわなければ世の中困るわけである。
 今回のNHKの記者もむしゃくしゃしていたとか悩んでいたとか言うことで放火するようなバカがたまたまいただけではないだろうか。誰でも悩みはあるし、むしゃくしゃもする。ストレスもたまれば自暴自棄にもなる。しかし、それで放火するものは殆どいない。要するに放火の原因は悩みや不安などではない。事件の原因であり、非難されるべきは、彼の人格の異常であり欠陥である。

 
理的因果関係もないのに管理・監督責任を問うのが当たり前の世の中になると、事件や不祥事のもみ消しの動機を与え、一部の政治家のパフォーマンスのネタに使われてしまう。今回のNHKの対応も、「基本的には記者個人に起因すると考えている」とパフォーマンス政治家よりもまともであるが、「事件の背景になったかどうかは別として、本人の悩みにNHKとして十分なケアができたのか点検する必要がある」との言葉もあり、どこかの中間管理職をスケープゴートに仕立てる可能性も示唆している。日頃、他の企業や、公務員の不祥事の責任をかっこよく追及している手前もあるかも知れない。「正義の味方」面しているアホマスコミよ。もういい加減にしたらどうだ。



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