法三章
煩瑣な法は人々を苦しめ、強者による弱者に対する「弾圧」に用いられる。

  「法三章」とは、「漢の高祖が、秦の煩雑な法を廃止して発布した、殺人・傷害・窃盗のみを罰するという三ヵ条の法。転じて、法律を極めて簡略にすること。」(『広辞苑(第五版)』)のたとえである。
 秦の都咸陽を陥落させた劉邦(漢の高祖)が、各県の長老や顔役を呼んで次のように言った。
「長老たちはながいあいだ秦の苛酷な法に苦しんで来られた。非難するものは一族皆殺しの目にあい、ふたりが立ち話をしているだけでも、盛り場で処刑された。(中略)長老たちと取り決めるのは、三条の法令だけです。殺人犯は死刑、傷害犯と強窃盗は処罰する。その他は秦の法令はぜんぶ取り除きます。」と。(田中 謙二/一海 知義共著『史記(三)・高祖本紀』(1978、朝日新聞社)
『漢書・刑法志』には「秦の膨大な法令から適宜選択して漢の法令に改作した」と伝えている。さすがに法三章のみでは広大な漢帝国を治められなかったのだろう。しかし、「法三章」の故事は、法令はいかに詳細に定めても、人々の心に規範意識がなければ何にもならない。簡略な法令しかなくても、人々に規範意識があれば、社会の公正と秩序は守られるということを教えている。
 同様なことが次のようなラテン語の格言にもある。
「Corruptissima res publica plurimae leges. The more corrupt the state is, the more numerous are the laws. 国家がより堕落しているほど、法はより多い。Tacitus」

 ところで、秦の煩瑣な法体系を作ったのは李斯という人物である。
 李斯(?〜 紀元前210年)は中国秦代の丞相。韓非の法治主義を実践し、度量衡の統一、焚書などを行い、秦帝国の成立に貢献したが、始皇帝の死後、権力争いに敗れて殺害された。
 楚の上蔡生まれで郡の下級官吏であったが、志を立て、韓非と共に荀子に教えを受けた。秦に入って丞相呂不韋(りょふい)の客となり、秦王政(のちの始皇帝)の側近の官に任用された。
 政は韓非の著作である『韓非子』を読んで、「この作者と親しく出来るのなら、死んでも悔いは無い。」と言う程に傾倒していた。政の信頼厚くなった李斯のところに、かっての同窓である韓非がやってきた。もし韓非が登用されてしまえば自分の地位は非常に危うくなる、と考えた李斯は政に韓非の讒言を吹き込んで投獄させ毒殺してしまった。
 ライバルを蹴落とした李斯は、積極的に献策を行い、紀元前221年に遂に秦は中国を統一し、政は始皇帝となり、李斯は丞相となった。郡県制、焚書、文学の統一、法律の制定などを初め、秦の政治の基礎を確立することにつとめた。
 前210年(始皇帝37)の巡幸に随行し、途中、皇帝の死にあうと、李斯は宦官の趙高と共に偽詔を作って、胡亥を二世皇帝にたて元の太子扶蘇を殺させた。しかし、始皇帝が死んだ事で、陳勝呉広の乱が起こり国内は大混乱になった。このときに至っても、二世皇帝は遊びほうけ、宮廷の外の状況を知らない有様だった。李斯はこれを諌めようとし、趙高が悪辣である事を二世皇帝に告げた。これが、かえって二世皇帝の怒りを買い、趙高によって投獄され、李斯自身が定めた八つ裂きに近い極刑である腰斬に処された。

 さて、自分で作った方で自分残虐な刑に処せられたという李斯のたどった皮肉な運命から何を学ぶかである。法三章と李斯の作った秦の法との比較においてこれを見るなら、以下のようになろう。

法三章 李斯の法
罪の種類 少ない 多い
解釈 最も明確 より不明確
適応 恣意のはいる余地ほとんどなし 恣意的な適応がいくらでも可能


 曖昧な法は無効であるという明確性の原則(doctrine of vagueness )があるが、解釈が不明確であると恣意的運用が行われやすいことは常識である。一方、罪の種類が多いということは微罪もたくさんあるということである。微罪の特徴はというと、被害者に与える損害が少ないというだけではなく、「誰でも結構やってしまう」ということであろう。上述した「立ち話をしただけで処刑」ということが本当にあったかは別にして、結構誰でもやってしまうようなことが「罪」とされ重すぎる刑が科せられたことはあったのであろう。 では、結構誰でもやってしまう「罪」の特徴はというと、神ならぬ人間にとっては不可避なちょっとした過失、路傍の花を摘んだりとか、(下品な話だが)立ち小便をしたり、また、ある条件下では人間誰でもそうせざるを得ないような行いであったりと言うことであろう。後者の例として、論語に次のような有名な話がある。

葉公語孔子曰、吾黨有直躬者、其父攘羊、而子證之、孔子曰、吾黨之直者異於是、父爲子隱、子爲父隱、直在其中矣
楚の国王の葉公が孔子に自慢した。「私の領内に正直者の躬という男がいて、自分の親が羊を盗んだのを、その息子が進んで役所に訴えましたよ。」
孔子はこう言った。「私の国のものは、そうはしません。親子は双方にかばい合います。この親と子の思いやりが正直に繋がると私は思います。」

 子が親をかばい親が子をかばうのは人の情として当然である。これを「偽証」という罪に問うとすれば多くの罪人が出るであろう。

 さて、このように多くの人間がやることを「罪」として規定すると、またしても恣意的な法の運用がはびこってしまう。つまり罪に該当する行為全てを罰するのではなく、権力者にとって都合の良い行為だけを暴いて罰するのである。さて、スピード違反や駐車違反は殆どの人間がやっているが、捕まるのはほんの僅かである。それも、取り締まり情報に詳しい人や運が良い?人は捕まらない。でも、これくらいなら何とか我慢できる。ところが、取り締まる対象を恣意的に決められた日にはたまったものではない。ましてや、重い刑を科せられる犯罪について、恣意的に摘発されたり起訴されたりされたら、これはもう「弾圧」である。
 このように、誰でも日常的にやってしまう行為や、一定の条件にあるものが誰しもやっている行為を「罪」として規定することは、法を利用した権力者の「政治的弾圧」を容易にしてしまう危険があるのである。
 あえて例を挙げるなら、民主政治では、集票のため政治活動に必ず金がかかり、裏金も必要になるので、表に出せない献金も当然のように出てくる。買収のような原始的な選挙違反から、巧妙な脱法行為まで、選挙違反などは日常茶飯というのが本当のところであろう。運悪く「ばれた」政治家だけが逮捕され、政治生命を絶たれる。
 さらに、日常茶飯誰でもやっているような「違法行為」の証拠を常につかんでいるものは、政敵や自己の思い通りに働かなくなった政治家を「違法行為の曝露」によってつぶせることになる。もちろん、つかんだネタはすぐには出さず、ここぞと言うときに効果的に用いるのである。戦後の日本が米国の属国であり続けた仕組みを筆者はここに見いだす。田中角栄が米国の属国的地位から日本を真の独立国にしようとした際に、全く不自然極まりないロッキード事件の「発覚」があった。米国に反抗すると如何なることになるかを多くの日本の政治家が思い知った一瞬であった。



このボタンを押すとアドレスだけが記された白紙メールが私のところに届きます。


目次に戻る

表紙に戻る