食育とは何か−ふざけるな!スローフード

 
前、ビートたけしが司会をしていたテレビで、インドのアウトカーストの人々が、毒豆を有毒と知りながら貧困故に普通に食べているということを言っていた。この毒豆はラチルスピーというインドの豆で和名はガラスマメといい、スイートピーの仲間である。少量食べるぶんには問題ないが、多く摂取すると下半身が麻痺するラチルス症を発症するという。「かくすればかくなるものと知りながら」、刑場の露と消えたのは吉田松陰だが、世界的な大富豪が夢のような生活を送っている一方でこのような悲惨な出来事が当たり前のように繰り返されてきたのがインドである。

 
、日本人のライフスタイルは大きく変わって、子どもたちの生活習慣病も増えているという。また、輸入食品、加工食品、調理済み食品など便利な食品がいつでも自由に求められるようになり、外食の機会も増加して、一見豊かな生活になった一方で、乳幼児期から若年成人を中心に食行動上の多くの問題が指摘されている。朝食の欠食、インスタント食品のとりすぎ、偏食、極端なダイエットなどがその例である。食の専門家は、日本の家庭における4つの「こ食」、すなわち、孤食(ひとり食べ)、個食(家庭がバラバラの食事)、固食(好きなものだけ)、小食(小食)を指摘している。かつて日本の家庭で普通に見られた、夕餉を囲む家庭の団らんが消え、子どもたちは満腹はしていても、満足はしていない状態だという。このままではいけないということで、今「食育」の推進が各方面で言われるようになってきた。

 
のような中で、マスコミ受けし、現代のポピュリズムの潮流に乗った「スローフード」なる運動がある。スローフードとは、「郷土料理や質の高い小生産の食品を守り、質の高い素材を提供してくれる小生産者を守り、消費者全体に、味の教育を進める。」運動だそうである。その運動自身は悪い運動ではない。伝統的な農法や、貴重な品種を残すことは大事なことである。また、食文化の伝承も重要である。しかし、「スローフード運動=食育」等という輩がいるので困ったことになる。今輸入野菜や大規模栽培の野菜がなくなれば大多数の日本人は明日から野菜を食べれなくなる。高価な農薬を使うのは何のためか、大規模栽培をするのは何故なのか、スローフード運動の方は知っているのだろうか。大会社から資金の提供を受けたとか、有名なシェフと友達だとかいって自慢している人たちの目にはアジアやアフリカの飢えた子供の姿は映らないのであろうか。食育とは金持ちの道楽を教えることでは絶対にない。

 
は「食育」という言葉は明治時代からある。しかし食育に対する理解は不十分であり、必ずしも一定しているとはいえない。食育とは、単なる、味覚教育や栄養教育、疾病予防教育ではないし、食育の概念をそのように矮小化してはならない。それでは食育とはいったい何か。

 「食育とは、環境や農業、『人口と食糧問題』などの学習と関連させながら、郷土から日本および世界にいたる食文化、食材、調理、栄養、味覚などの『食』に関する知識を教え、それらの理解に基づいて『食』に関する確かな情報を選択する力を育むとともに、『食』を通じたコミュニケーション能力を育成することによって、身体と精神の健康を維持するに必要な食生活を実践する人を育てることである。」(アホ丸の定義)

 
育の具体的内容とは、まず、自分および家族の生命を維持し健康を維持増進させるためには、如何なる食生活を送ればよいのかを知ることである。つまり、味覚についての実践学習、食材、調理、配膳、マナーについての学習、食事を通してのコミュニケーション能力の向上、食と心身の関係についての理解等々によって、正しい食生活習慣を身につけることである。
 つぎに、我々に食材をもたらす、農業、漁業、食品加工などについて、机上および体験学習を通して基礎的な知識を得ることである。すなわち、食物がどれほどの人々の手を煩わし、どれほどの動植物の命を犠牲にしているかを知ることによって、命と命のつながりを考え、自分と社会との紐帯を実感することである。さらに、地域や郷土、日本および世界の食文化とその由来を知り、生活に生かすことを通して先人たちによって蓄積されてきた知恵を学び、過去から現代にいたる連綿としたつながりの中の自分を発見することである。
 第三に、日本および世界における食糧生産、自給と輸出入、南北における人口の増減、飽食と飢餓、環境と農漁業生産との関連について知ることにより、世界の一員としての自分を考えることである。
 つまり食育とは、人間生活に最も身近な「食」を通して、命の尊さを実感し、自分自身と家族の健康を維持する方法を身につけ、家族および地域・郷土の人々、歴史、文化との結びつきを確認し、さらに日本および世界の人々との関係について考える端緒を与える教育であり、"Think globally, Act locally"の実践であるといえる。

 
「いのちの尊さ」「自分と世界とのつながり」「人間と地球環境との関係」などの諸事象に目を向けさせることが、いわば食育の三要素である。それゆえ、食育は生涯にわたって行う必要があるが、とりわけ次世代の子どもたちが心身ともに逞しく自立するための支援としての食育が現代における急務であるといえるであろう。



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