似非平等主義・悪平等主義のまやかし

 公務員といえば「休まず、遅れず、働かず」のイメージだが今世間の攻撃の的になっている官僚・キャリア公務員などは俗説と違い時間外手当もなくよく働いている。若い官僚など自宅へも帰らず寝袋を役所に持ち込んで寝ているくらいである。なぜそんなに忙しいのかといえば、官僚がその権力を維持せんがために許認可権などの多くの事務を抱え込んでいるからで、自業自得といえなくもない。
 しかし、一方で一部の怠惰きわまりない公務員がただ漫然と椅子に座って不当にも高給をはんでいる実態があることも確かである。彼らにとっての給与とは、事務所に存在している対価なのであって、けっしてこなした仕事の量や上げた成果に対する対価ではない。だから怠け者や仕事の能率の悪い者のほうが額面に表れる給与は同じでも既に「得」をしているのである。さらに、これらの者は能力の低さに由来する時間外勤務が生じ、それに対する対価が支払われる。まさに「盗人に追い銭」の世界である。
 さて、近年のパソコンの性能の向上には目を見張るものがある。CPUの処理能力もハードディスクやメモリーの容量も数年前とは桁外れに大きくそして早くなっている。あまりに頻繁に「あんな能力の低いパソコンにあれほど多額な金を支払ったのか」との思いをするものだから、多くの人々は悔しい思いに麻痺し慣れてしまっているのが現状である。似非平等主義者・悪平等主義者たちの主張によれば「東大卒」も「○○卒」も同じに扱うことが正義なのだが、十年前の性能しかないコンピューターに現在の標準能力を有するコンピューターと同じ価格を支払うのが正義であるといっているに等しい暴論であるといわなければならない。スポーツ選手や職人の世界でもその人の持つ技量に応じた対価が支払われるのであって同じ職業に就いていて同じ期間働いているものなら皆同じ給与などという制度は全く異常な制度というべきである。
 人間は機械でもなければ製品でもない、能力の高低、ましてや人種や宗教、門地などによってその価値に違いを生ずるものではない。それと労働の対価の算定とは本来違う議論なのである。高い俸給をもらっている人間が少ない給料の者より価値があるならば、我々は大リーガーに比べて何万倍も低い価値の人間になってしまうではないか。それどころか米国大統領でさえプロスポーツ選手の数分の一の価値しか持たない人間になってしまうではないか。似非平等主義者は怠惰を正当化し、怠け者をつけあがらせ、自分たちの主張が「金によって人間の価値が決まる」ことを前提としなければ成り立たないことをひた隠し、この世界の秩序を破壊するために嘘八百を並べたてているのである。



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